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山梨(甲府、玉幡)飛行場跡地 [├空港]

  2010年11月 訪問 

無題4.png
1948年9月当時の写真(USA M1168 95) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

(マップ・1)

山梨県‎中巨摩郡にあった「山梨(玉幡)飛行場」。

昭和6年の満州事変勃発により、玉幡村にあった玉幡競馬場が閉鎖され、その跡地に「玉幡飛行場」が作られました。

飛行場を建設したのは、元陸軍航空本部嘱託員梅沢義三という人物で、後に日本航空学園の創立者となりました。

梅沢氏は山梨在郷軍人航空研究会を母体とし、玉幡競馬場跡地に1,000m滑走路の飛行場を作ったのでした。

この飛行場が開設した年は、資料により昭和7年だったり8年だったり9年だったりします。

上のマップは、アジ歴にある「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」(下記リンク参照)

から作図しました。

当飛行場の頁は、「昭和13年3月調」となっていますので、その頃の飛行場です。

飛行場敷地北側が微妙な曲線になっています。

リンク先の地図を確認すれば一目瞭然なのですが、これは競馬場トラックの名残です。

前述の通り、当飛行場は「1,000m滑走路」と資料にあるのですが、

実は上のマップの紫で囲った部分は最長でも600mしかありません。

資料には「競馬場とその周辺を買収した」とあり、敷地の北西にある橋のたもとから、敷地南東の角までいっぱいにとって

1,000mです。

当時の地図、写真が閲覧できないため、確認はとれないのですが、

県道5号線「開国橋東詰」交差点の辺りから南東方向に1,000m滑走路が伸びていたのではないかと思います。

梅沢氏は当初からここを単なる飛行場で終わらせるつもりはなかったようで、

資料には、ここに飛行場だけでなく「航空発動機練習所」、「山梨飛行学校」を設置したとあります。

 

(マップ・2) 

このマップは、1948年の航空写真、防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」

から作図しました。

当飛行場の頁は「昭和18年4月調」とありました。

航空写真の方を優先したため、水路部の地図とは異なっている部分が結構ありますのでご了承くださいませ。

この地図と共に記載されている飛行場情報を以下引用させて頂きます。

面積 東西1,000米、北西-南東930米 南北850米 総面積60萬平方米
地面の状況 植芝密生する平坦地なり、設置後日尚浅き為地盤固まらず・降雨後は置土粘着し乾燥せば風塵立ち昇る
目標 甲府市街、釜無川、開国橋
障碍物 西方に高圧電線、北方に電車用架空電線あり
離着陸特殊操縦法 (記載なし)
格納設備 大格納庫(間口50米、奥行40米)1、其の他5あり
照明設備 なし
通信設備 陸軍無線電信所あり
観測設備 甲府測候所にて毎日1回航空気象を観測す
給油設備 あり
修理設備 兵舎あり
宿泊設備 なし
地方風 全年を通じ北西風多く、夏季は午後より西風定吹するを例とす
地方特殊の気象 7,8月頃雷雨の発生多し、冬季は午前中のみ気流良好なるも午後は比較的不良なり、霧は10-12月間に多く暴風は3月に特に多し
交通関係 釜無川停留所(甲府市至眞秋澤間)北方付近 甲府駅より「バス」の便あり
其の他 本場は岐阜陸軍飛行学校分教場なり 北側に隣接して山梨航空技術学校飛行場あり
(昭和18年4月調)

修理設備の項目に「兵舎あり」と記されています。

他の飛行場の頁を見ると、続く「宿泊設備」の欄にしばしば「兵舎あり」と記されていることから、

ズレちゃったのかもしれません。

 

山梨飛行場? 甲府飛行場?

前述のアジ歴にある「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」は、

当飛行場のことを「山梨飛行場」として扱っているのですが、Remarks の箇所には、

This field is called the KŌFU airfield by the army.

という一文があります。

残念ながらオイラはこの資料の水路部原本を確認していないのですが、

其ノ他 「陸軍ハ本場ヲ甲府飛行場ト称ス」なんて書かれているんでしょうか。

それはともかく、陸軍は当飛行場を「甲府飛行場」としていたんですね。

そういう目で改めて資料を見返してみれば、

創設者の梅沢氏は当飛行場を一貫して「山梨飛行場」としており、

陸軍は一貫して「甲府飛行場」としています。

 

飛行場、飛行学校として発足した山梨飛行場でしたが、

昭和15年4月、熊谷陸軍飛行学校甲府分校が設置され、飛行場を共用するようになります。

それで、この時から「山梨飛行場」と軍との結びつきが始まったのかと思っていたのですが、

アジ歴で検索すると、

・昭和11年12月23日 甲府飛行場飛行機庫新築其他工事の件
・昭和14.8.3~8.31 陸軍航空本部第10課 甲府飛行場整地其他工事の件

がヒットします。

昭和14年の工事は、「第三期航空要員急遽養成に伴い在来の未整地区を整備するものとす」

とあり、分校設置以前のかなり早い時期から、陸軍が当飛行場に深く関わっていたことが分かります。

時代背景もさることながら、当飛行場創設者の肩書からして、これは当然のことなのかもしれません。

 

熊谷?  岐阜?


ということで、当飛行場には「熊谷陸軍飛行学校」の甲府分校が設置された訳なのですが、

資料を見ると、「岐阜陸軍飛行学校甲府分校」もちょいちょい登場します。

前述の防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」の中でも当飛行場について、

「本場は岐阜陸軍飛行学校分教場なり」

と記しています。

前述の通り、当飛行場に「熊谷陸軍飛行学校甲府分校」が設置されたのは昭和15年4月なのですが、

同年同月、「熊谷陸軍飛行學校各務原分教所」が開校しています。

そして同年8月、この「各務原分教所」は独立して「岐阜陸軍飛行學校」と改称(下記リンク参照)し、

甲府分教所が付属します。

そんな訳で、当「甲府分校」の所属が熊谷から岐阜に変更になったのでした。

 

(マップ・3)  

「日本海軍航空基地要覧(陸軍航空基地含む)」(1945年3月訳)に出てくる甲府飛行場地図を元に作図しました。

こちらも1948年の航空写真、グーグルマップを優先したので、形がちょっと違います。

恐らくこれが最終形態。

南側に大きく拡張しています。

前述の防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」

にあった当飛行場の情報(昭和18年4月調)では、其の他の項目で、非常に気になる文言があります。

「本場は岐阜陸軍飛行学校分教場なり 北側に隣接して山梨航空技術学校飛行場あり

とあります。

この情報と共に添付されている地図は、直ぐ上の(マップ・3)ではなく(マップ・2)なのですが、

北側に「学校」が、ではなくわざわざ「学校飛行場」があるとしています。

(マップ・3)の南側部分には諸施設等は見当たらないため、

もしかしたら(マップ・3)の敷地南側の拡張したエリアが「甲府分教場」、北側が飛行学校なのかもしれないと思いました。

 

3つを重ねるとこんな感じ。

 

D20_0129.jpg

2014/9/14追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、甲府中學校滑空部、甲府工業學校校友會滑空部が当飛行場を使用していたという記録が残されています。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m


      山梨県・山梨(甲府、玉幡)飛行場跡地     

山梨(甲府、玉幡)飛行場飛行場 データ
設置管理者:山梨航空機関学校と旧陸軍の共用
空港種別:陸上飛行場
所在地:山梨県‎中巨摩郡‎昭和町‎
座 標:N35°37′49″E138°30′51″
面 積:40ha
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1928年 山梨県、玉幡村に玉幡競馬場建設
1931年  玉幡競馬場閉鎖
1932年 10月 甲府在郷軍人航空研究会を母体とし、航空発動機練習所開設
1933年 2月 40万平方メートルの飛行場を開設
1936年 8月 財団法人 山梨航空研究会を設立し山梨飛行場を設置
      12月 陸軍、飛行場飛行機庫新築工事
1939年 7月 山梨航空技術学校設立認可
      8月 陸軍、 飛行場未整地地区の整地工事
1940年 4月 熊谷陸軍飛行学校甲府分校開設
      8月 岐阜陸軍飛行學校甲府分教所に改称
1942年 1月 山梨航空機関学校と改称。航空整備士養成の専門校となる
1945年 終戦により閉校。戦後国有地から県に払い下げられ、山梨農林高、警察学校となる

関連サイト:  
日本航空学園/日本航空学園の歴史  
「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」  
アジ歴・昭和11年12月23日 甲府飛行場飛行機庫新築其他工事の件  
アジ歴・昭和14.8.3~8.31 陸軍航空本部第10課 甲府飛行場整地其他工事の件  
アジ歴・岐阜陸軍飛行学校令・御署名原本・昭和十五年・勅令第五〇〇号  

この記事の資料:
韮崎・巨摩の歴史
玉幡村史
防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」


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双葉滑空場 [├空港]

  2010年11月 訪問 

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山梨県甲斐市 中央道双葉JCTすぐ西にある日本航空高校。

敷地内には「双葉滑空場」が整備されています。

 

D20_0116.jpg

 

D20_0124.jpg

 

双葉滑空場:map 


      山梨県・双葉滑空場      

双葉滑空場 データ

設置管理者:日本航空学園
所在地:山梨県甲斐市宇津谷445番地
座 標:N35°40′52″E138°28′57″
滑走路:700m×15m
磁方位:15/33
*座標はグーグルアースにて算出

関連サイト:
日本航空高等学校/山梨キャンパス    
Wiki/学校法人日本航空学園   


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韮崎滑空場 [├空港]

  2010年11月 訪問 

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山梨県韮崎市 釜無川の河川敷にある韮崎滑空場。

すこし下流にある日本航空学園の滑空場です。

一般にもグライダー滑空の入会受付をしており、当日の朝に日本航空学園双葉滑空場に集合。

格納庫から機体を出し、当韮崎滑空場へフェリーフライトを行うところから始めるのだそうです。

 

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韮崎滑空場:map 


      山梨県・韮崎滑空場      

韮崎滑空場 データ

設置管理者:日本航空学園
所在地:山梨県‎韮崎市‎龍岡町下條東割‎ 釜無川河川敷
座 標:N35°41′20″E138°28′00″
標 高:330m
滑走路:1,200m×30m
磁方位:14/32
*座標はグーグルアースにて算出

関連サイト:
日本航空高等学校/山梨キャンパス    
韮崎市航空協会   


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鳴沢飛行場跡地 [├空港]

  2010年11月 訪問 

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山梨県鳴沢村 国道139号沿いにある「富士緑の休暇村」。

かつては飛行場でした。

昭和40年代にゴルフ場、別荘地の建設に伴い集客のため建設。

試験飛行を繰り返したのですが、正式には開港しなかったそうです。(地元店情報)

滑走路跡には現在各種運動場、駐車場が細長~く整備されています。

 

D20_0085.jpg

・A地点。

 

D20_0091.jpg

同じくA地点から。

 

鳴沢飛行場:map  


      山梨県・鳴沢飛行場跡地     
ネットでは昭和40年代に「鳴沢飛行場でラジコンの競技会開催」という記事がいくつかありました。ここの飛行場のことではないかと

鳴沢飛行場 データ
所在地:山梨県‎南都留郡‎鳴沢村‎
座 標:N35°28′36″E138°41′26″
滑走路:750m?
磁方位:09/27
*座標、滑走路長、磁方位はグーグルアースにて算出

関連サイト:
国土地理院 1970年10月当時の写真(CB708Y C7 27) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   


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忍野場外離着陸場(スカイポート富士) [├空港]

  2010年11月 訪問 

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山梨県の山中湖北側にある忍野村。

ここにある忍野場外離着陸場(スカイポート富士)で忍野MAXフライングクラブが活動しています。

公式サイト(下記リンク参照)、とても楽しい雰囲気です^^

 

忍野場外離着陸場(スカイポート富士):map  


      山梨県・忍野場外離着陸場(スカイポート富士)      

忍野場外離着陸場(スカイポート富士) データ

設置管理者:桜井利行氏
空港種別:場外離着陸場
運用期間:積雪時は休止
所在地:山梨県‎南都留郡‎忍野村‎内野‎
座 標:N35°27′37″E138°52′13″
標 高:965m
着陸帯:300m×150m
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1990年 開所

関連サイト:
トライクライダー(リンク切れ?)   


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梨ヶ原離着陸場(跡地?) [├空港]

  2010年11月 訪問 

2013/7/26,27追記:当着陸場の行き方を含めて貴重な情報を頂きました。詳しくは2013-07-26、2013-07-26のこおろぎさんのコメントをご覧くださいませ。こおろぎさん、どうもありがとうございましたm(_ _)m

D20_0072.jpg

 

D20_0073.jpg

なんとか滑走路が見える場所はないものかと探したのですが見つかりませんでした。。。

 

富士山と山中湖に挟まれた「陸自・北富士演習場」。

この敷地内の山中湖、東富士五湖道路近くに「梨ヶ原離着陸場」があり、

グーグルで見ることができます。

戦時中は旧陸軍の「北富士秘匿飛行場」でした。

1946年当時の航空写真で見ると、うっすらと写った滑走路と共に誘導路らしいものが見えます(下記リンク参照)。

 

梨ヶ原離着陸場:map  


      山梨県・梨ヶ原離着陸場      

梨ヶ原離着陸場 データ

設置管理者:陸上自衛隊
所在地:山梨県‎南都留郡‎山中湖村‎山中‎
座 標:N35°25′55″E138°49′43″
滑走路:650m×18m
磁方位:16/34
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

関連サイト:
国土地理院 1946年2月当時の写真(USA M46-A-5VV 70) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   


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相馬飛行場(田鶴牧場、伊久留飛行場)跡地 [├空港]

  2010年7月 訪問 

相馬c.png

石川県七尾市‎伊久留町‎(いくろまち)にあった「相馬飛行場(田鶴牧場)」。

「伊久留飛行場」とも呼ばれていたそうです。

上の図は現地に展示してある地図と1947年の航空写真(下記リンク参照)を参照して作ったものです。

オレンジ線は、「飛行場はおおよそこの範囲内であろう」。という程度のもので、

その中のグレーの長四角は、板張り滑走路(600m)のおおよその位置です。

 

「田鶴浜町史」456~458pに「相馬飛行場建設」という項目があり、

「太平洋戦争も敗戦の色濃く、二ヶ月後に終戦を迎えようとする昭和二十年、本土決戦を最後の手段と考えた軍部は、突然当町伊久留の地に海軍航空隊、相馬飛行場建設に来村した」

と記されています。

当時不足していたコンクリートの代用品として、 松、杉板材が使用されたそうです。

「板敷」というのもそうですが、滑走路が微妙に湾曲しているのが非常に気になります。 

滑走路の長さは1,200mと記されているのですが、オレンジ線の範囲を最大に使って1,350mです。

 

D20_0040.jpg

A地点。

「相馬飛行場跡  昭和二十年、相馬国民学校を飛行場設営隊本部とし、学校に平行して長さ一、二〇〇メートル、幅五〇~一〇〇メートルの滑走路をもつ飛行場が八月十四日に完成したが八月一五日に終戦をむかえ、一度も利用されることなく取り壊された。田鶴浜町」

終戦の前日に完成したのですね。。。

 

D20_0044.jpg

同じくA地点。

左側の黒い説明板全文 「本土決戦が焦眉に迫った昭和二十年六月 突如この地に海軍の秘匿飛行場の建設が始められた。その名も「田鶴牧場」と称し 田植え直後の田を幅約百メートル 長さ千二百メートルに亘って埋立て その上に厚板を敷き並べて滑走路としたものであった。建設作業は小松海軍航空隊の予科練生、同軍設営隊、朝鮮出身労働者等数百人の並々ならぬ労苦と、近郷各種団体の度重なる勤労動員によってなされた。幸い 完成と同時に終戦となり戦禍は免れたものヽ いま多くの犠牲と戦争の罪過に思いを致すとき この事実が風化されることなく語り継がれ平和が永続することを願いこの碑を建てる。平成十五年三月」

 

D20_0046.jpg

右側のケースの中に滑走路に敷いた厚板と釘?と地図が展示してありました。

この厚板は2002年に地元の民家から見つかったものらしいです。

厚さ6.3cmで、迷彩模様に塗ったコールタールが杉板の表面に残っているのだそうです。

 

D20_0036.jpg

B地点。この辺は板敷き滑走路だったはずです。

 

相馬飛行場(田鶴牧場):map  


      石川県・相馬飛行場(田鶴牧場)跡地      

相馬飛行場(田鶴牧場) データ

設置管理者:旧海軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:石川県‎七尾市‎伊久留町‎(いくろまち)
座 標:N37°01′43″E136°53′24″
滑走路:1,200m×50~100m
磁方位:04/22?
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿 革
1945年06月     着工
1945年08月14日 完成
1945年08月15日 終戦

関連サイト:
国土地理院 1947年11月当時の写真(USA M631 38) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   


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愛国金沢(金沢)飛行場跡地 [├空港]

  2010年7月 訪問 

無題9.png
1946年11月当時の写真(USA M323-A-6 7) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)
(埋立てが進み、当時とは大分地形が変化しています)


石川県の「愛国金沢(金沢)飛行場」跡地。

2017/4/1追記:「航空路資料第4 中部地方飛行場及不時着陸場 昭和19.6 水路部」から作図追加、記事修正しました。

1939年、大坂―金沢―富山―長野―東京 という形で定期便の運航が始まりました。

金沢~東京を3時間30分で結んだのだそうです。

しかし戦時体制で民間定期便はほとんど利用されず、飛行場はグライダー練習、遊覧飛行に使われ、

戦後は農地として払い下げられました。

当飛行場について扱うサイト様(下記リンク参照)によりますと、

建設費を主に出費したのが前田家であったこと、建設の背景に既に1934年に富山に飛行場ができたこと
(今の富山空港とは違うもの)への金沢の政財界の対抗意識があったらしいこと、
飛行場の場所は河北潟南端の東蚊爪、いま免許センターがある付近であったこと、
1938年に開業してから大坂―金沢―富山―長野―東京という定期便が組まれたものの、
ほとんど飛行機が飛んでいなかったらしいこと、などが注目される。
なお、定期便が飛ばなくなった後のこの飛行場は、グライダーなどの練習用途に使われたらしいが、
敗戦後の1946年に閉鎖された。軟弱地盤だったことを理由にあげる説もある(以上、配付資料参照)。
と記されていました。

2014/8/30追記:アギラさんから情報頂きました。 「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)の中にある「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、当飛行場が金澤高等工業學校航空研究會に使用されていたと出ています。アギラさんありがとうございましたm(_ _)m

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石川県警ヘリポート。

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跡地の南南西にある「飛行橋」。

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中日新聞によりますと、市中心部と飛行場をほぼ直線で結ぶことを目的として整備された道路は年配者から今でも「飛行道路」と呼ばれていて、

大宮川に架かるこの橋は「飛行橋」と言い、欄干にプロペラ形の飾りがついています。

老朽化のため平成10年7月に架け替えられたのですが、この飾りは地元の強い要望で引き継がれたのだそうです。

かつてここに飛行場があったことを示す名残です。


      石川県・金沢飛行場跡地      

金沢飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
所在地:石川県‎金沢市‎湊‎1丁目‎
座 標:N36°38′31″E136°39′42″
面 積:40ha
滑走路:四の字に三本
着陸帯:700m×620m不定形
*座標はグーグルアースにて算出

沿 革
1936年 建設計画
1938年 金沢蚊ヶ爪に建設着工
1939年 07月15日 大日本航空、東京への定期便開始
1946年 閉鎖

関連サイト: 
第13回 公共交通と地域経済;小松飛行場その他  


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野島掩体壕 [├場所]

  2010年11月 訪問 

横須賀.png

神奈川県の日産追浜工場にあった追浜(横須賀第一)飛行場跡地(A地点)。

そのすぐ西側に「野島掩体壕」(B地点)があります。

2010年5月に飛行場跡地には行ったのですが、掩体壕の方は一身上の都合でスルーしていて、

半年後に改めて行って来たのでした^^;

追浜(横須賀第一)飛行場跡地については下記リンクをご参照ください。

掩体壕のあった周辺は現在「野島公園」として整備されており、BBQのいい匂いがあちこちからしてました。

 

D20_0060.jpg

「野島掩体壕」入口。

通常の掩体壕は盛り土をして造り、一基につきヒコーキを一機格納するのに対し、

こちらは山をトンネル状にくり抜いて造っているため、規模が桁違い。

国内最大級と言われており、「秘密基地」を地で行くスケールです。

 

説明板が設置されていました。

説明板より: 野島の掩体壕(全文) 野島掩体壕は、横須賀市夏島町にあった旧横須賀海軍航空隊基地の戦闘機を空襲から守る施設として建設されました。この掩体壕は、標 高約55メートルの野島山の東西をトンネル状に貫通しており、長さは約260メートル、両側に出入り口があります。出入り口の部分は、幅約20メートル、 高さ約7メートルで、トンネル状にコンクリートが打設されており、中央部分は、幅約10メートル、高さ約8メートルで、素掘りの状態です。作業に当たった 横須賀海軍の「第三〇〇設営隊戦時日誌」には、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月15日から6月30日までの掘削工事が進められていた記録が 残されており、同時に掘削されていた夏島掩体壕とあわせて、海軍の小型機約100機を格納する計画でしたが、終戦で実際に使用されることはありませんでし た。通常の掩体壕は、戦闘機1機を格納する程度の大きさが一般的で、この野島掩体壕は、現存する掩体壕の中でも国内で最大規模と言われています。第三〇〇 設営隊は、横須賀海軍施設部第一部隊を改編した部隊で、海軍の将兵に技術者を加えた精鋭部隊でした。日吉台(横浜市港北区)の旧日本海軍連合艦隊総司令部 地下壕や松代大本営地下壕(長野市松代町)などの建設にも加わっていました。平成22年3月 横浜市

 

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説明板にあった見取り図。

全長258.5m。。。

 

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説明板より: 「野島作業風景 昭和20年6月30日」

 

D20_0063.jpg

反対側の入り口。

 

野島掩体壕:map  


      神奈川県・野島掩体壕      

野島掩体壕 データ

設置管理者:旧海軍
所在地:神奈川県‎横浜市‎金沢区‎野島町‎
座 標:N35°19′38″E139°38′09″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1945年3月15日から6月30日まで掘削工事が実施されたという記録あり
終戦のため使用せず

関連サイト:
ブログ内関連記事(追浜(横須賀第一)飛行場跡地)       


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青野木場外離着陸場 [├空港]

  2010年9月 訪問 

D20_0100.jpg

宮城県ののどかな山の中にある「有限会社スカイライフ」。

航空機、航空機用機器、航空機用部材パーツ、グッズ等の航空機関連商品専門の輸入販売会社です。

この会社に約200mの滑走路が整備されています。

「立ち入り禁止」で、許可が得られる時間帯でなかったため、写真はなしです。

 

青野木場外離着陸場:map 


      宮城県・青野木場外離着陸場     
ジャンク品の通販もあり、「プロペラ1枚500円」、「航空機用ピストン300円」などが紹介されていました

青野木場外離着陸場 データ
設置管理者:有限会社 スカイライフ
空港種別:場外離着陸場
所在地:宮城県仙台市青葉区芋沢畑前北10
座 標 標 点:N38°18′16″E140°43′18″
滑走路:350m×35m
磁方位:14/32
*座標はグーグルアースにて算出

関連サイト:
スカイライフ    


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