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慶良間空港 [├空港]

  2012年1月 訪問 

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那覇空港の西約36kmに浮かぶ外地島(ふかじしま)。

無人島のこの島に「慶良間空港」があります。

以前は那覇空港との間に定期便があったのですが、現在は閉鎖していて、

この島に行くには、那覇港から村営フェリーで阿嘉島に渡り、ここから島間の橋を2つ渡り、慶留間島を経て辿り着きます。

と書くと大げさですが、阿嘉島の港から空港までは3km程で、あっという間に着いてしまいます。

 

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入り口入るとこんな感じ。

↑画面左側がガラス張りの小部屋のようになっていますが、ここが搭乗待合室になっています。

 

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搭乗待合室の先はエプロン。

歩いてヒコーキに乗るのですね~。

空港の原点を見る思いです。

 

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津波警報が出た時に空港に避難させてくれたことへの感謝でした。

3.11のことなのでしょうか。

 

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ターミナル正面に展望台がありました。空港が一望できます。

 

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慶良間空港:map  


      沖縄県・慶良間空港      

慶良間空港 データ

設置管理者:沖縄県
3レター:KJP
4レター:ROKR
空港種別:地方管理空港
運用時間:8:00~18:00
所在地:島尻郡座間味村
標 点:N26°10′06″E127°17′36″
標 高:47.5m
面 積:13ha
滑走路:800m×25m
着陸帯:920m×60m H級
磁方位:02/20
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1982年 02月 慶良間飛行場設置許可(非公共用)800m。設置者:公共施設地図航空(株)
       07月 供用開始(800m)
1983年 04月 不定期2地点間旅客輸送(那覇~ケラマ間)の実施承認を受け、実質的には定期的な航空路を持つ飛行場となる1986年 運航会社倒産等により運航停止。
       運航再開のため琉球エアーコミューター設置。飛行場設置管理者が琉球エアーコミューターに
1987年 02月 運航再開
1992年 04月 沖縄県へ設置管理者地位継承
       11月 慶良間空港設置許可。第3種空港政令指定
1994年 11月 供用開始(800m)
2008年 06月 法改正に伴い地方管理空港に政令指定

関連サイト:
沖縄県/慶良間空港   
国土交通省大阪航空局/慶良間空港   
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沖縄旅行・5 [■旅行記]

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5:00 起床…したのですが、相変わらず頭が痛くて、腰も昨日より痛い気がする。_| ̄|○ il||li

本日は10:00 の船で阿嘉島に行き、慶良間空港を見学する予定です。

10時の出港まで那覇市内をあちこち観に行こうかと思っていたのですが、体調が悪いのでギリギリまで寝ていることにしました。

テレビつけっぱにしていたのですが、天気予報では本日の県南部は風注意報が出ていて、4mのシケだそうです。

…こわいよ。というか、船は出るのでしょうか??

ホテルの方に確認したところ、阿嘉島行の港(とまりん)までは徒歩15分程だそうで、

車はホテルの駐車場に止めっぱで構わない。とのことだったので、歩いて行くことにしました。

朝食はホテルのバイキング。

ここのホテルは沖縄の家庭料理をウリにしているとのことだったのですが、

確かに各ちゃんぷるー、ポークなどあって非常に懐かしかったです。

9時過ぎ、ホテルを出ました。

小雨交じりで寒いです。傘をさすほどでもなかったので、そのまま歩いて港へ。



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途中でこんなもの発見。

「鉄の暴風」と形容された沖縄戦では、20万トンの爆弾が使用され、

そのうちの5%に当たる1万トンが不発弾になったと推計されているのだそうです。

戦後しばらくは不発弾が地表にゴロゴロしている状態で、

昭和47年の本土復帰までに住民、米軍等により5,500トンが処理されました。

その後自衛隊による処理が続けられており、現在でも毎年20~30トン程度が処理されています。

500トンは永久不明弾になるとしても、現在でも25%に当たる2,500トン程度が残存していると考えられており、

このペースでいくとあと80年位かかるのだとか。

不発弾を発見した場合、地上ならすぐに最寄りの警察に、海中ならすぐに最寄りの海上保安部に連絡。

年月を経てもその殺傷力は変わらず、処理には非常に危険が伴うため、

爆弾の規模によって半径数百メートル~1キロが避難対象となります。

でもそこはてーげーな沖縄。

海底で発見した不発弾をご丁寧に県庁10階に運び、「見つけました~d( ̄∇ ̄*)」とやってしまったため、

急遽その部屋に土嚢を積んで封鎖。なんてこともあったのだそうです。

これ、まかり間違ってれば今頃県庁は。。。

戦時中は全国に爆弾が投下されましたから、不発弾の処理は沖縄に限ったことではないのですが、

全体の約4割が沖縄なのだそうです。

 

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泊港旅客ターミナル「とまりん」。

離島航路が集中しています。

目当ての窓口に行くと、「2便欠航」の張り紙が。きたー。

事前に予約してあったのですが、戻って来れないと困るのでキャンセルにしようかとも思ったのですが、

「1便はちゃんと出ますよ」とのことだったので、ともかく行ってみることに。

 

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10:00 出港。

昨日まで乗った船は建設関係の人が多かったのですが、この船は普段着の人が多くて、

皆さん顔見知りらしく、そこここで挨拶とおしゃべりが飛び交ってました。

ぼっちなオイラ。

11:30 阿嘉港着。出港してすぐ揺れたのですが、その後は心配したほど揺れませんでした。

雨が降ってます。船着き場から近くの公園の屋根の下に入り、とりあえずカメラをレジ袋の中に。

港から空港までは約3キロ位のはずなので、レンタサイクルでも借りるつもりだったのですが、

結構な降りだったので、これはもうレンタカーを使おうと思いました。

ちょうど地元の方が来られたので聞いてみたのですが、「この島にはレンタカーはない」とのことでした。Σ(゚Д゚;)ガーン 

レンタバイクはあるのでターミナル内で聞いてみるといいかも。あ、でも今は接岸作業中だからだれもいないかも。

とのことで、ターミナル内に入ってみました。

おばさんの予言通りターミナルは無人でした。壁にレンタバイクの貼り紙があったので電話してみたのですが出ません。

事前に自宅で調べておいたレンタサイクル屋さんに行ってみることに。

程なく到着したのですが、こちらも無人です。雨は降ってるし寒いし、頭痛はするし、腰痛だし。。。(;´Д⊂)

もう帰ろうかと思ったのですが、船が戻ってくるまであと3時間この島からは出られません。

並んでいるバイクに貼ってある番号に電話してみると、これから行く。とのことで待つことに。

手続きを済ませ、雨の中空港に向かいました。

原チャリに乗るのは久しぶりです。

雨降ってるし、コーナーがコワイ~><

法定速度付近でヨタヨタと空港へ。

この空港は現在定期便はないので、てっきり建物内には入れないのだと思っていたのですが、

試しにドアを押してみると、すいっと開きました。

一応声を掛けてみたのですが、人の気配がしません。

ひととおり空港の写真を撮り終えた頃、雨は止み、弱く日差しも出てきたので、後ろの展望台に上ってみました。

展望台で昨日買った大福もちの昼食。

海に突き出した滑走路が見え、とても気持ちのいい場所でした。

出港前までここでぼーっとしていようかとも思ったのですが、どす黒い雲が広がって来たので戻ることに。

バイクを返し、港に戻り、周辺をうろつきました。

 

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昨日お邪魔した糸満の平和の礎の灯の採火記念碑がありました。

(碑文全文) 平成三年六月二十日 沖縄県戦没者慰霊追悼式を挙行するにあたり この地において平和の火を採火した この地は 第二次世界大戦における米軍上陸第一歩の地で 昭和二十年三月二十六日午前八時四分 すさまじい砲撃とともに米軍が上陸し二十万余の尊い人命を奪った悲惨な沖縄戦が開始された場所である ここに戦没者のご冥福と世界の恒久平和を祈念し この碑を建立する 平成十年三月二十六日 座間味村長

米軍上陸の第一歩はここから始まったのですね~。

 

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港周辺の様子。ここにもエネオスが。

 

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ターミナルと港はこんな感じ。

 

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このフェリーは座間味島が始発で、我々が乗り込んだ時点で客室内はほぼ満席でした。

それで後部甲板に並んでいるベンチに陣取ることに。

ここはビニールシートが張られて、風雨をある程度しのげる感じです。

オイラ以外にも10人程度がバラバラと座っていたのですが、そのうち左舷側から雨が入ってくるようになり、

みんな右舷側に移動しました。

出港してしばらくはそれほど揺れなかったのですが、那覇に近づくにつれて揺れが大きくなってきました。

一度だけですが、波がバサーと後部甲板に入ってきました。ひー。

16:15 予定より15分位遅れてとまりん入港。やれやれです。

雨がますます強くなってきたのでターミナル内で傘を購入し、ホテルへ。

まだ早い時間なのでどこかに寄ることもできたのですが、体調が悪いのでコンビニで夕食を買ってホテルに戻りました。

すぐお風呂沸かしてダラダラと過ごし、寝たのでした。

おやすみなさい。

 

(続きます)


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HondaJet・5 翼型 [├雑談]

HondaJet・1 年表    
HondaJet・2 MH02    
HondaJet・3 エンジン開発    
HondaJet・4 OTWEM     
HondaJet・6 機体の特徴など   


自然層流翼型

HondaJetの主翼には「自然層流翼型」が採用されています。

オイラをはじめ一般人には馴染みのない言葉と思いますが、

「層流」とは、翼や胴体の表面を流れる気流が乱れることなく整然と動いてゆく状態のことで、

こうした状態を特別の装置を使って作り出す方法もあるのですが、

特別の装置なしで実現できるのが「自然層流」・NLF(Natural Laminar Flow)です。

 

翼断面は一般に漫画的表現の涙を引き延ばしたような形[たらーっ(汗)]になっており、

丸みを帯びた前縁から徐々に厚みが増し、それから徐々に薄くなって後縁に至ります。

飛行中この翼にどんな現象が起こるかというと、徐々に厚みが増して最大翼厚(翼が最も分厚くなる部分)までは

層流が維持されるのですが、最大翼厚部分を越えて、徐々に翼が薄くなる後縁までの部分に気流の乱れが生じ、剥離が起こります。

そしてこの気流の乱れ、剥離が大きな摩擦抵抗を生みます。

ではこの抵抗を減らすにはどうすればよいでしょう?

なるべく長く層流の状態を保ち、乱流、剥離の発生を遅らせればよいわけですが、

そのためには最大翼厚をなるべく後方にもってゆく翼形にすれば、それだけ摩擦抵抗が減らせる。ということになります。

これが自然層流翼型の概念です。

一例ですが、リアジェット28/29クラスのビジネスジェット機で自然層流翼型を採用した結果、

翼の摩擦抗力が従来翼型のおよそ半分になったというデータもありますからこれは画期的です。

 

自然層流翼型開発

この自然層流翼型は1930年代からNASAの前身NACAが研究/開発しており、概念としては以前からありました。

大戦期のヒコーキにも採用され、米、英はじめ各国で研究/採用されており、日本でも戦闘機の強風、紫電、紫電改等に採用されました。

以下、自然層流翼型の数値をA~Dまで4例だけですが並べてみます。

因みに「上面40%」とは、翼の上面で、前縁から40%まで層流が維持される。ということで、

この数値が大きいほど、層流の状態が長く維持され摩擦抵抗の少ない翼型ということになります。

それぞれ、開発年、翼型名、上面と下面で層流が維持される数値の順です。

 

A.1930~1940年 NACA64-215     上面40%、下面40%

B.1981~1983年 NLF(1)-0414F    上面70%、下面70%

C.1984~1985年 HSNLF(1)-02413 上面55%、下面65%

D.1995年       Honda SHM-1    上面42%、下面63%

 

この数値だけ見ると、Bの翼型が最も長く層流を維持しており、「摩擦抵抗の少ない翼型」ということになります。

因みに DのHonda SHM-1がHondaJetに採用されている翼型です。

この数値だけで比較すると、

「な~んだ。 HondaのSHM-1って、大したことないじゃん」と思ってしまいますが、

「層流」を追求すると、他の部分に様々なネガが出てしまうのです。

翼は離着陸時の低速/高迎え角から、高速巡航時まで、様々な状況下に置かれ、

その中で安定して性能を発揮することが求められます。

層流翼型は「抵抗が少ない」という点では理想的なのですが、

他に様々な問題点があり、これまで採用例は非常に限られていました。

どんなネガが出てしまうのか、 以下具体的に挙げてみます。

 

自然層流翼型のデメリット

当たり前のことですが、翼は揚力を発生させて空を飛ぶためにあり、この翼こそがヒコーキをヒコーキたらしめている訳ですが、

層流を追及した翼は揚力をあまり発生できなくなってしまいます。

ヒコーキの性能向上の為に抵抗を減らすことは非常に重要なのですが、そのために揚力が発生できないのでは本末転倒です。

ヘルシーを追求し過ぎて全然甘くないケーキとか、エコを追求し過ぎて全然走らない車のようなものです。

加えて、失速特性の面でも層流翼型は素性が悪くなります。

また翼表面を平滑にしないと却って逆効果になってしまうため、製作には非常に気を遣います。

更にAの翼型とBの翼型は低速域のヒコーキ用の翼型で、高速で飛行するビジネス機には不向きでした
(Bはマッハ0.4まで)。

1980年代に入ってNASAは改めて高速域で使用可能な自然層流翼型を開発しました。

それがCの翼型でマッハ0.7に対応した翼型なのですが、こうした高速用の自然層流翼型は、どうしても翼が薄くなってしまいます。

翼が薄いと、燃料をあまり入れることができません。

このため、この高速用の層流翼型を採用した機体は、燃料の搭載量を確保するために

必要以上に主翼面積を大きくするケースもあるのだそうです。

翼を薄く作るためには強度の確保も難しくなり、いたずらに重くなってしまう可能性もあります。

1980年代に入って開発された翼型でも失速特性が悪いという問題は解消できず、

更に、高速飛行時の安定性(ピッチングモーメント)が悪いという問題まで抱えていました。

要するに自然層流翼型は、抵抗を減らすことはできるのですがそれと引き換えに、

揚力発生しない、燃料入らない、作るの大変で重くなる、操縦に神経使う等々、性悪の翼になってしまうのです。

 

Honda SHM-1の開発

 こうした現状を踏まえた上で、ホンダ開発陣は最初から十分な厚みがあり、素性の良い自然層流翼型の開発を目指しました。

飛行中の翼には、前縁から後縁に至るまで、部位ごとに圧力係数が変化します。

前縁部分から急激に圧力係数が高まり、それから後縁にかけて圧力係数が小さくなります。

この圧力係数のピークが大きすぎると、高速飛行時に造波抵抗につながる衝撃波が生じやすくなります。

一方で、この圧力係数のピークが低くては揚力を十分に発生させることができません。

ホンダは従来の翼型設計の常識を覆し、この圧力変化が最適化するように翼型を精密にデザインしました。

SHM-1の圧力分布は、ピークの高さを下げつつ、しかもピークが複数に分散して発生するように設計されています。

従来の翼型ではこのピークが富士山のような高い独立峰になるのですが、ホンダが開発した翼型は低い山脈が続くような感じです。

これにより高速飛行時に衝撃波が発生しにくく、しかも揚力は十分に確保できる翼になりました。

これはきちんと確認することができなかったので、オイラの想像なのですが、

ピークが低く、長く続くのは、層流から乱流、剥離への遷移を遅らせることにつながり、

その分摩擦抵抗も少ないのだと思います。多分。

 

ホンダが翼型開発で行ったことが某所で次のように説明されていました。

「従来の翼型設計の固定概念を改め、新しい設計手法を用いて、今までの自然層流翼型のコンセプトを一新しました。

翼型の輪郭を小さな面「翼素」の集合体として表現、この翼素を個々に調整しながら最適化しました。

層流の状態から乱流や剥離への変化点を緻密にコントロールすることで、

小さな抵抗と大きな揚力を確保しつつ、良好な失速特性、低いピッチングモーメントを実現させることができました。」

 

一般的なこのクラスの主翼の厚さは、前縁から後縁の長さの10~12%なのですが、

SHM-1は3~5ポイント厚い15%。

狙い通り、厚みがあるため強度を保ちやすく、燃料の搭載容量を確保しやすい翼型となりました。

こうした非常に精緻な設計により、SHM-1は自然層流翼型でありながら、十分な厚みがあり、

操縦特性に優れたものとなりました。

こうして空力上の理想と実用性を両立させることができたのでした。

 

この翼型の効果をホンダは1996年に飛行試験で実際に確かめました。

アメリカ空軍のジェット練習機T-33の翼にポリウレタンフォームをかぶせ、

その上にファイバーグラス製の外皮を貼りつけて層流翼型とし、

赤外線カメラや何種類かの測定機器で観察して、層流が乱流に変わる部位を確定しました。

こうしてホンダが独自開発した、翼厚が厚いにもかかわらず、抵抗が低く、高い速度領域での特性に優れた翼形は、

SHM-1と名付けられてHondaJetに採用されました。

HondaJetの主翼はアルミ一体削り出しスキンを採用することで滑らかな翼表面になっており、

これも燃費向上に貢献しています。

同様にイルカのような機首部分にもNLF設計が施されており、胴体全体の有害抵抗は10%ほど少なくなっているのだそうです。

 

 

HondaJet公式サイト/Honda独自開発の自然層流翼と自然層流ノーズ      


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海軍与根(糸満)秘密飛行場跡地 [├空港]

  2012年1月 訪問 

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沖縄県‎豊見城市‎与根にあった「海軍与根(糸満)秘密飛行場」。

前記事の糸満防空監視哨から国道331号線を4kmほど北上した所にありました。

また、那覇空港(戦時中の海軍小録飛行場)の南東約4.4kmに位置しており、

小録飛行場の補助飛行場として建設されましたが、未完のまま放棄した飛行場です。

 

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・A地点。

ここから微妙に斜めに滑走路が伸びていたはずです。

 

海軍与根(糸満)秘密飛行場跡地:map  


      沖縄県・海軍与根(糸満)秘密飛行場跡地      

海軍与根(糸満)秘密飛行場 データ

設置管理者:旧海軍
空港種別:秘匿飛行場
所在地:沖縄県‎豊見城市‎与根‎
座 標:N26°09′34″E127°40′08″
滑走路:1,680m?
磁方位:17/35
*座標、磁方位、滑走路長はグーグルアースにて算出

沿革
1944年夏頃 着工。未完成のまま放置

関連サイト:
国土地理院 1945年12月当時の写真(USAokinawa M22 87) (左上の小録飛行場の方が目立ってます)  
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沖縄県・糸満防空監視哨跡 [├場所]

  2012年1月 訪問 

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沖縄県‎糸満市、糸満ロータリーの北北西に小高い場所があり、「三巓毛(さんてぃんもう)公園」が整備されています。

この公園内に「糸満防空監視哨跡」があります。

 

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これです。特に説明はありませんでした。

 

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琉球瓦の破片でしょうか?

 

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戦前のこの場所からの写真がいくつか展示されていました。

 

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上の写真のアングルで撮ったつもり。

 

 

糸満防空監視哨跡


      沖縄県・糸満防空監視哨跡      

糸満防空監視哨 データ

所在地:沖縄県‎糸満市‎糸満‎
座 標:N26°07′47″E127°40′12″
*座標はグーグルアースにて算出
公園に駐車場あり

関連サイト:
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福地飛行場跡地 [├空港]

  2012年1月 訪問 

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沖縄県‎糸満市‎福地にあった「福地飛行場」。

米軍が建設した小型機用飛行場です。

サンゴを固めて作った飛行場だったため、現在でも当時のサンゴが出てくるのだそうです。

 

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・A地点。

周辺は長閑な畑が広がっていました。

 

福地飛行場跡地:map  


      沖縄県・福地飛行場跡地     
後方支援、連絡等に使用され、すぐ姿を消したようです

福地飛行場 データ
設置管理者:米軍
空港種別:小型機用飛行場
所在地:沖縄県‎糸満市‎福地‎
座 標:N26°05′33″E127°40′35″
滑走路:420m?
磁方位:12/20
*座標、磁方位、滑走路長はグーグルアースにて算出

関連サイト:
国土地理院 1945年12月当時の写真(USAokinawa M22 21) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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沖縄県・辺野古V字滑走路建設予定地 [├場所]

  2012年1月 訪問 

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渦中の「辺野古V字滑走路建設予定地」。

沖縄県‎名護市‎にあります。

 

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・A地点。

国道329号線、辺野古交差点。

左奥にあるのは、辺野古一里塚についての説明。

この交差点を左折して少し進むと、

 

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こんなものが。

 

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「アップルタウン」のいわれが説明されていました。

 

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以下A地点周辺。

 

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建設予定地に近づこうとB地点に向かったのですが、その途中にありました。

建物もあったので話をお聞きできるかと思ったのですが、お留守のようでした。

 

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・B地点。

多分民間人が最も予定地に近づける場所だと思います。

お邪魔した時には生憎のお天気だったのですが、グーグルでは美しいエメラルドグリーンの海が広がっています。

丁度数組の友人家族らしきグループが砂浜でシートを広げていました。

非常に平和な光景なのですが、すぐ横には米軍基地のフェンスが続いています。

 

戦前から沖縄を見続けてきた80、90の親戚のオバーたちは、

兄弟姉妹の命を多数米軍に奪われているのですが、 「沖縄がここまで復興できたのはアメリカのおかげ」と言い切ります。

そして、オイラの知る限り数十年前から、 「アメリカがいなくなったら沖縄は中国に乗っ取られるサ」とも。

アップル中佐に謝意を伝える銘板と 建設反対の看板と。

相矛盾する思いが共存せざるを得ない地元が一番辛いのだと思います。

 

辺野古V字滑走路建設予定地:map  


      沖縄県・辺野古V字滑走路建設予定地      

辺野古V字滑走路建設予定地 データ

設置管理者:米海兵隊
空港種別:海上滑走路
所在地:沖縄県‎名護市‎辺野古‎
座 標:N26°31′18″E128°03′04″
滑走路:1,800m×2本
磁方位:04/22,05/23
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

関連サイト:
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宮里飛行場跡地 [├空港]

  2012年1月 訪問 

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沖縄県‎名護市‎宮里にあった「宮里飛行場」。

米軍が造った小型飛行場です。

1944年の写真(下記リンク参照)ではまだ跡形もないのですが、翌年の写真(下記リンク参照)ではハッキリと写っています。

この周辺の写真はその後閲覧できるのが1977年で随分間が空いてしまうのですが、その頃にはもう跡形もなくなっています。

いつ頃なくなったのか等、詳しい事は不明です。

 

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・A地点。

周辺はじっしりの住宅地で、飛行場の形跡はありませんでした。

 

宮里飛行場跡地:map  


      沖縄県・宮里飛行場跡地      

宮里飛行場 データ

設置管理者:米軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:沖縄県‎名護市‎宮里‎3丁目‎
座 標:N26°35′45″E127°58′08″
滑走路:370m?
磁方位:18/36
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1945年? 建設

関連サイト:
国土地理院 1944年9月当時の写真(USAokinawa MR7.LV468BG 18) (まだ跡形もない)  
国土地理院 1945年8月当時の写真(USAwide R230 67) (ハッキリ写ってる)  
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沖縄県・本部監視哨跡 [├場所]

  2012年1月 訪問 

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沖縄県‎国頭郡‎本部町にある「本部監視哨跡」。

老人ホーム敷地内から柵越しに見学させて頂きました。

説明版(全文) 本部監視哨跡 本部町指定文化財(戦争遺跡)平成21年11月20日 指定
監視哨とは、戦時中情報蒐集の目的で、敵の飛行機や潜水艦などの来襲を監視、発見し(その位置、方向、機数、高度、敵味方の識別等の情報を)警察を通じて守備軍(最初は沖縄連隊区司令部)へ報告して防衛に役立てるための施設である。本部に監視哨が設置されたのは昭和10年代で、当初は谷茶の大瀬(現谷茶公園のお宮)で立哨し、後(年代不明平良 専哲氏談)海岸段丘上の展望のよい現在地にコンクリート造り監視哨がつくられた。(当時渡久地警察署で監視指導係をした新垣庸正巡査部長は昭和18年に建造されたと証言)当時は二階建てで、一階は監視要員の待機所、二階が監視所となっていて、現在一階部分は土に埋まっている。監視哨員は、崎本部、健堅、辺名地(大浜・谷茶を含む)、渡久地(東・大嘉陽・野原を含む)、伊野波、並里、浜元、浦崎地域の優秀な若者を6班に編成し(1班は6名程度)、1週間に1日ずつ勤務した。双眼鏡を持ち、飛行機や潜水艦を発見するため、5~6人交代で24時間監視体制がとられ、電話は渡久地警察署に取り次ぎ報告した。昭和19年10月10日米軍による空襲(10・10空襲)の時には、渡久地警察署で電話取り次ぎに当たっていた監視員の1人が爆撃にあい犠牲になった。沖縄戦とともに監視哨もその任務を終えた。この本部監視哨は且つて沖縄に在った11の監視哨のうち、その原型が残っている数少ない戦争遺跡のひとつであり、戦争の歴史的遺産として今後の教訓に資するため、本部町の文化財に指定するものである。本部町教育委員会

これまでいくつか監視哨跡を見学させて頂いたのですが、潜水艦の監視も兼ねている所は初めてです。

 

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別角度から。

 

 

本部監視哨跡


      沖縄県・本部監視哨跡      

本部監視哨跡 データ

運用期間:1943年~1945年
運用時間:24時間
所在地:沖縄県‎国頭郡‎本部町‎谷茶‎
座 標:N26°39′23″E127°53′25″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
昭和10年代 本部に監視哨が設置される。谷茶の大瀬で立哨
1943年    当地にコンクリート造り監視哨が設置される
1945年    終戦。任務終了

関連サイト:
本部町/本部監視哨跡    
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伊平屋ヘリポート [├場所]

  2012年1月 訪問 

無題5.png

沖縄県‎島尻郡‎伊平屋村にある「伊平屋ヘリポート」。

現在グーグルでこの周辺は雲に覆われていてヘリポートが確認できず、地図上にも出てこないため、作図しました。
(2015/4/19追記:現在は航空写真で確認することができます)

様々な用途に使用されているようで、

自衛隊ヘリが住民の緊急搬送、不発弾処理等で2007年に6回、2010年に9回使用しています。

また急患搬送にも使用されており、2010年度は、ドクターヘリ15回、自衛隊ヘリ2回の使用があります。

さらにはアイラス社が当ヘリポート~那覇空港間のヘリコプターチャーター便を運航しており、

運航予定機種:AS350B2 定員:5名  所要時間:片道約35分 だそうです。

 

D20_0136.jpg

・A地点。

車道沿いにあります。

 

D20_0138.jpg

 

D20_0135.jpg

車道の反対側にある吹き流し。

最初ヘリポートの存在に気付かず、この道を入っていってしまいました^^; 

 

無題9.png

(2015/4/19追記:↑ストリートビューに緊急搬送が写ってました。こんな島まで撮影車持ち込んだんですかね)

伊平屋ヘリポート:map  


      沖縄県・伊平屋ヘリポート      

伊平屋ヘリポート データ

空港種別:場外離着陸場
所在地:沖縄県‎島尻郡‎伊平屋村‎田名‎
座 標:N27°02′29″E127°58′51″
標 高:5.0m
着陸帯:50m×50m
磁方位:10/28

沿革
1975年2月1日 施工

関連サイト:
アイラス株式会社    
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