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とりのまったり日記 [■ブログ]

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先日某所にて店頭デモをやりました。

小心者のオイラにとっては苦行以外の何物でもないのですが、

終了後、某ドーナツ店のドーナツが1コ約40~50円の負担金で買いホーダイなのでした。

上の写真、その時のものなのですが、これだけでドコの何ていうドーナツか分かってしまう猛者っているのでしょうか。

 

というわけで千葉県強化月間終了致しました。

貴重な情報を教えて下さったマリオ・デ・ニ−ロさんan-kazuさんに改めて感謝致します m(_ _)m

次回から東北強化月刊です。

 

ほとんどひたすら跡地の記事ばかりなのに、いつも見に来てくださり、そしてコメントまで頂き、本当にありがとうございます。

内心、(よくコメントすることが見つかるな~)といつも感心しながら拝見してます。

コメントいただけるのは嬉しいですけど、無理しないでくださいね?

オイラなら、こんなにコメントできません(断言)。

それから、11月からしばらく月~金アップ致します。

早速明日から11月ですが。

怒涛の跡地記事続きとなります。

疲れますのでほどほどにお付き合いくださいませ~。

 

とり。 m(_ _)m


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下志津陸軍飛行学校八街分教場跡地 [├空港]

  2012年7月 訪問 

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千葉県‎八街市‎にあった「下志津陸軍飛行学校八街分教場」。

通称「八街飛行場」。成田空港34Lエンドの南西約9kmにあります。

まるで方眼紙のような地割の中に、それを無視するかのように滑走路が伸びており、

その跡が道路として残っています。

 

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・A地点。

 

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・B地点。

道路沿いに碑があります。

陸軍司令部偵察隊の碑(全文)
大室孟 謹書 世界の航空戦史に燦然たる功績を残した司令部偵察機諸隊は 主としてこの地で錬成され東亜の全戦域に雄飛し その多くは再び還らなかった

裏面にも碑文が掘られていました。

日華事変-太平洋戦争で活躍した司令部偵察機隊(一部抜粋)

司令部偵察機は、当時の世界に於ける最高性能機であり その高速と高空性能を活かして、単機よく広域の戦略偵察を行い、航空作戦の遂行に寄与した。又大戦末期には武装して対B-29戦闘 対地攻撃及び特別攻撃隊による艦船攻撃に任じたものもあった。まさに世界にその類例を見ない、陸軍航空独特の機種、用法であった。(以下、各飛行隊名が並ぶ)昭和60年5月大室 孟 鈴木素儀 ほかの旧軍関係者に地元八街町の有志も加わり460名に及ぶ協賛者により建立 施行 八街町(有)斉藤石材店

全国の飛行場跡地に設けられた碑文は、ここにあった飛行場のこと、そして敗戦に伴う犠牲について触れているという点で

内容は共通しているのですが、そこには必ず書いた人物の戦争観、死生観が反映され、文体には個性が出ます。

この碑文には「大室孟 謹書」と記されていますが、この人物は当飛行場に駐屯した偵察隊の隊長をされていた方なのだそうで、

そう聞けば納得の内容です。

 

戦後、八街飛行場は食糧増産のため農地として開放されました。

「開墾すれば、2町歩までは無償で与える」とのお達しが出たため、駐屯していた兵士のうち、

空襲で荒廃した郷里に戻ることを諦めた方などがこの地に帰農する決意をしました。

早速残存兵士による「帰農組合」が結成されましたが、八街町と富里村が協議した結果、兵士以外の希望者も加えることとし、

復員者60名をはじめ、八街町長推薦者20名、富里村長推薦者10名、県知事推薦者10名

計100名を入植者として受け入れることが決まりました。

 

終戦から18年後の1963年9月、「新空港建設候補地に富里・八街」の新聞報道があり、住民の間に大きな衝撃が走りました。

八街町民の間からは「農業が続けられなくな る」、「一度は八街飛行場建設で畑を提供させられ、国策の犠牲となった。

もう二度と犠牲になるのはゴメンだ」という声が湧き上がりました。

富里村民と連携して激しい空港反対運動をくり広げた結果、

1966年7月、「建設予定地を成田市三里塚に変更する」と閣議決定したのでした。 

 

下志津陸軍飛行学校八街分教場:map 


      千葉県・下志津陸軍飛行学校八街分教場跡地      

下志津陸軍飛行学校八街分教場 データ

設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:千葉県‎八街市‎朝日‎
座 標:N35°40′43″E140°20′04″
滑走路:1,500m×60m
磁方位:03/21
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1939年 文違・古込地区を飛行場建設用地として買収。それに伴い軽便鉄道廃止
1941年 04月 完成
1945年 08月 終戦。食糧増産のため飛行場解放

関連サイト:
国土地理院 1947年11月当時の写真(USA R535 94) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)
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千葉県・銚子ボルタック [├場所]

  2012年7月 訪問 

2015/7/19追記:銚子VORは2015年3月運用停止となり、TACANのみ運用となりました

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千葉県‎銚子市‎上野町‎にある「銚子ボルタック」。

前記事の「下志津陸軍飛行学校銚子分教場跡地」の西南西約900mにあります。

飛行場の敷地について、正確なことは分からないのですが、1947年当時の写真を見ると、

ここも飛行場跡地だったのではないかと思います。

 

そのスジの方にとっては分かりきった話で恐縮なのですが、

この施設はヒコーキにここまでの方位と距離を示す電波航法装置で、

世界中から成田空港に飛来するパイロットにとって非常に重要なものです。

写真右側の巨大な丸皿みたいなのがVOR(VHF Omnidirectional Range)で、

これでここまでの方位を知ることができます。

 

左の巨大な人生ゲームのピンみたいのがTACAN(Tactical Air Navigation)で、

これで方向と距離の両方を知ることができます。

「これ一つで両方分かるのなら皿は要らないじゃん」と思ってしまいますが、

TACANは「戦術航法装置」と訳され、アメリカ軍で採用された軍用のものです。

民間機は距離を知るために利用するのだそうです。

VORとTACAN、2つ合わせて「ボルタック」と呼びます。

 

この装置のおかげで、洋上だろうが、たとえ地上が曇っていようが、夜で真っ暗だろうが、

ヒコーキはここまで真っ直ぐ飛んで来ることができます。

そんな訳で非常に重要な施設であるため、24時間監視体制にあるのだそうです。

オイラがお邪魔した時にも施設内の車に人影がありました。

こちら に銚子ボルタック施設更新に伴う飛行コース変更について出ていました。

12~13年ごとに更新工事があるのだそうで、その間はこの施設が使えませんから、

代替施設が猿田に設けられ、それに伴って飛行コースが暫定的に変更されるとのことで、

その間どのように飛行コースが変更になるかもリンクが張られていました。

興味のある方は見てみてください。

 

銚子ボルタック:map  


      千葉県・銚子ボルタック     
外国のエアラインのクルーたちが見に来ることもあるのだそうです

銚子ボルタック データ
設置管理者:国土交通省
所在地:千葉県‎銚子市‎上野町‎
座 標:N35°43′35″E140°47′58″
*座標はグーグルアースにて算出

関連サイト:
Wiki/超短波全方向式無線標識   
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下志津陸軍飛行学校銚子分教場(銚子、三崎、春日台飛行場)跡地 [├空港]

  2012年7月 訪問 

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千葉県銚子市‎春日台町。住宅密集地‎にポツンと小さな公園があり、碑が整備されています。

ここに「下志津陸軍飛行学校銚子分教場」がありました。

前記事の「香取飛行場」の東約18kmに位置しています。

非常に長々とした名称ですが、「銚子飛行場」とも、地元では「三崎飛行場」、「春日台飛行場」とも呼ばれていました。

本家「下志津陸軍飛行学校」は同じ千葉県にあり、現在は陸自の「下志津駐屯地」になっています。

碑文(全文)
 かつてこの地に下志津陸軍飛行学校分教場があった 同分教場はこの春日台を中心とした約四十万平方米の小規模のものだったが太平洋戦争末期には八紘石賜隊が結成されこゝから出陣し還らぬ人となった。この史実を風化させることなく現在の日本の平和と繁栄が数多くの尊い犠牲のもとに築かれものであることを思い起こし二度とこのような過ちを繰り返さぬよう心から平和への願いが天翔ける祈りとなってこの地から津々浦々に及ぶことを心より念じこの翔天の碑を建立した 平成五年十一月八日 翔天の碑建立委員会

2014/9/8追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、当飛行場が銚子商業學校滑空部の滑空場として使用されたと記録されています。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m

 

下志津陸軍飛行学校銚子分教場跡地:map (画面中央の公園に碑があります)


      千葉県・下志津陸軍飛行学校銚子分教場跡地      

下志津陸軍飛行学校銚子分教場 データ

設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:千葉県‎銚子市‎春日台町‎9
座 標:N35°43′32″E140°48′34″
面 積:約40ha
着陸帯:1,200m×1,000m
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1935年 銚子市民あげての招聘により建設決定
1936年 下志津陸軍飛行学校銚子分教場
1944年 中頃教導飛行団と改変
      11月 特別攻撃隊、八紘石腸隊が出撃

関連サイト:
国土地理院 1947年11月当時の写真(USA R535 165) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)
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香取航空基地(干潟の飛行場)跡地 [├空港]

  2012年7月 訪問 

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千葉県‎旭市‎鎌数にあった「香取航空基地」。

地元では「干潟の飛行場」とも呼ばれていました。

十字に交差した2本の滑走路を持つ飛行場で、前記事の「横芝飛行場」の北東約13kmに位置しています。

現在は滑走路の1本がテストコースになっています。

2014/8/16追記:地元の方から貴重なお話を頂きました。詳しくは九さんのコメント(2014-08-14 19:59)(2014-08-15 10:58)をご覧ください。 九さんどうもありがとうございましたm(_ _)m

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:香取 建設年:1943 飛行場長x幅 米:1400x100 1500x100コンクリート 主要機隊数:小型2.0 中型4.0 主任務:作戦 隧道竝ニ地下施設:施設アルモ数量不明 掩体:小型有蓋25 小型無蓋76 中型無蓋35 其ノ他記事:魚雷同時調整18本 格納庫144本

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・AB地点。

二つの掩体壕が並んでいます。

 

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・C地点。

旭緑地公園内に海上自衛隊で使用していた練習機が展示されています。

ノースアメリカン・ T-6テキサン練習機。

説明版には、 「米国からのMAP供与品 SNJ-6198」と記されていました。

海軍型SNJが海上自衛隊に48機引き渡されたのだそうで、その中の1機なのだと思います。

 

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・D地点。

テストコースとして残る滑走路。

ご覧の通りで高い緑の壁に阻まれ滑走路を視認することはできません。

 

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・E地点。

大きな掩体壕が残っています。説明版が設置されていました。

旧香取海軍航空基地『掩体壕』(全文)
 昭和十三年、このあたり共和村(現在旭市)鎌数を中心とした地に海軍航空基地の建設が始まり、昭和十六年、太平洋戦争勃発と共にアメリカ航空機の来襲によって被害も多くなった。海軍では航空機を空襲から護るために、基地周辺に強固なコンクリート製掩体壕が約二十五基築造し、空襲と同時に航空機を避難させていた。戦後、その多くは取り壊され、現在旭市に残るのはこの一基のみである。多くの人命、財産が失われた悲惨な戦争を風化させず、平和の尊さを永く語り伝えていくために、戦争の遺物の一つとして、所有者の協力を得て表示した。平成十一年三月 旭市教育委員会

 

香取航空基地跡地:map  


      千葉県・香取航空基地跡地      

香取航空基地 データ

設置管理者:旧海軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:千葉県‎旭市‎鎌数‎
座 標:N35°43′45″E140°36′39″
面 積:440ha
滑走路:1,500m×100m(コンクリート 04/22)、1,400m×100m(コンクリート 13/31) 「日本海軍航空史」(終戦時)より
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出
(テストコースになっているのは1,400mの方だと思われる)

沿革
1938年 03月 共和村八軒町、谷町、飛行場建設用地に決定と通達
1939年 春頃  第一次土地買収
1940年 この頃着工。周辺住民も動員される
1942年 第二次土地買収
      04月 ドーリットル空襲を受ける
1943年 09月 完成
1945年 10月 接収。返還後払い下げられ、圃場となる

関連サイト:
国土地理院 1946年2月当時の写真(USA M44-A-5VV 298) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック) 
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2012 ふくスカ りんご祭り・2 [■旅行記]

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ということで続きです。

メインイベント

 

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着陸~。

以下その他写真を。

 

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いぢり倒されるキビマルくん。

 

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朝食の海鮮丼。500円。

 

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昼食の肉巻おにぎり? 350円。

 

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ギョウザ。多分400円。

 

ということで、次回からまた千葉県強化月刊に戻ります~。


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2012 ふくスカ りんご祭り・1  [■旅行記]

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千葉県強化月間中ですが、先週末ふくスカのりんご祭りにお邪魔して来たのでその時の記事を2つ割り込ませます。

今年はお天気に恵まれたのですが、時折よろけてしまう程の突風があったため、

オープニングのスカイダイビングが中止になってしまいました。 

それでは以下ずらずらと。

 

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去年はこのタマゴ型のヘリが物凄い機動を見せてくれたのですが、今年は大人しかったです。

 

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クラッチレバーの他にリアブレーキレバー、アイドリング調整レバーが付いているのだそうです。

 

2に続きます。


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横芝飛行場跡地 [├空港]

  2012年7月 訪問 

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1947年11月当時の写真(USA R535 7) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


2017/3/26追記:防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」から地図追加し、記事修正しました。

千葉県‎山武郡‎横芝光町にあった、「横芝陸軍飛行場」。

前記事の「豊成飛行場」の北東約11kmに位置しています。

上のマップは、水路部資料、1947年の航空写真、グーグルマップを比較して作図しました。

これも水路部の地図と航空写真の実際が微妙に違っていて、

特に北側に張り出した格納庫等飛行場諸施設のあるエリア(赤マーカー)が随分違うのですが、

航空写真優先で作図したところ、こうなりました。

ご了承くださいませ。

先頭の航空写真、これまでは必ず敷地全体(もしくは滑走路全体)を載せていたのですが、

このサイズでそれをやってもなんかよく分からないため、格納庫等諸施設が集まっている北側のエリアのみのアップとしました。

興味のある方はリンクから飛んでみてください。

水路部資料に当飛行場についての情報がありましたので、以下引用させて頂きます。

面積 北西_南東1,350米 北東_南西870米
地面の状況 全面植芝、平坦なるも中央稍高く周囲に向け1/500の下り傾斜を為す、硬度は普通なるも西側地区幅200米の地域は排水不良にして軟弱なり
目標 (記載なし)
障碍物 (記載なし)
離着陸特殊操縦法 離着陸方向は北北西を可とす
格納設備 木造格納庫(70x40米)1、(36x22米)3棟
照明設備 (記載なし)
通信設備 宮川郵便局(電信及電話取扱)北方約2粁
観測設備 (記載なし)
給油設備 あり
修理設備 (記載なし)
宿泊設備 横芝町に旅館1(収容員数20)あり
地方風 全年を通じては北北西風多し 平均風速6.4米/秒
地方特殊の気象 最近の統計に據れば快晴日数50.4、曇天日数149.5 降水日数159.2 降雪日数5.9霧日数28.2なり
交通関係 横芝駅(総武本線)北方約2粁、同駅より「バス」の便あり
其の他 (記載なし)
(昭和18年4月調)

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「栗山平和公園(マップの青マーカー)」。

公園の一角に碑文がありました。

横芝飛行場之跡(全文)
 横芝飛行場は、昭和13年に当時の陸軍航空本部により、旧横芝町から旧上堺村にまたがるこの周辺土地、約170ヘクタール(約170町歩)を買収して建設されたものである。初めは、水戸陸軍飛行学校横芝分校であったが、後には、仙台飛行学校横芝教育隊となり、練習機を交え80機以上の航空機が置かれ、操縦学生や通信学生たちの教育に当たっていた。しかし、先の太平洋戦争末期には、この飛行場も標的となり、連日のように爆撃を受けるなど、激しい攻撃にさらされ、これに伴い、周辺地域を中心に本町住民も戦争の災禍を被り、暗い一時期を過ごすこととなった。以来、戦局は険しさの一途をたどり、ついに終戦を迎えるに至ったが、この飛行場は、ここで育まれた航空兵たちにとっては、終生忘れ得ぬ揺籃の地となり、町民としても、戦争と平和を語るとき、欠くことの出来ないところとなった。ついては、ここに未来永劫の平和を願い、横芝飛行場記念碑を建立し、歴史のあかしとして後世に伝えようとするものである。平成5年3月吉日 横芝町長 實川堅司郎


      千葉県・横芝飛行場跡地      

横芝飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:千葉県‎山武郡‎横芝光町‎栗山‎4476-1
座 標:N35°38′42″E140°30′14″
面 積:170ha
着陸帯:1350m×870m?
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1938年 陸軍航空本部、飛行場建設
1945年 03月20日から海軍攻撃254飛行隊が使用(ななしさんから情報頂きましたm(_ _)m)

関連サイト:
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この記事の資料:
現地の碑文
防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」


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豊成(東金)飛行場跡地 [├空港]

  2012年7月 訪問 

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千葉県‎東金市‎に「豊成(東金)飛行場」がありました。

跡地には公園が整備されておりその一角には

 

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碑があります。

裏側に碑文がありました。

本土防衛の跡を偲び 平和を祈る ふるさとの碑(全文)
 豊成飛行場は史上 東金飛行場といわれて昭和十九年三月大東亜戦争末期本土決戦の戦略によって急造された。青麦を刈り捨て、住家を移転し、墓地を掘り返して昼夜兼行、近隣住民を総動員して工を急いだが、未完成のまま十九年末には飛行第二十八戦隊が駐留してきた。総面積百七十ヘクタール、その八十四パーセントは肥沃な農地であった。以来戦況は日に増し悪化し、空襲は連日連夜に亘り、村役場の移転、小学校は取り毀して寺院神社に分散授業、戦火は鳴浜小学校や民家を焼き、遂に住民や兵員の犠牲者を出すに至った。かくて一回の戦果朗報を聞くことなく齢一歳にも満たずして二十年八月十五日終戦解体することとなった。今わが豊成飛行場の歴史も半世紀の歳月の底に沈んで語る人もなくなったが、この跡地に残された本土防衛の志想と平和を希望する愛郷の真情は魂魄となって強く生き続けていると思うわれら思いをここに致して、地域一体となって後世のために「平和を呼ぶふるさとの碑」を建設して遺すことに相成った。永遠に平和と繁盛の花咲き栄え給えと祈ってやまない 平成六年三月吉日 鈴木勝題字選文 豊成飛行場記念碑建設委員会

偵察用の飛行機や爆撃機迎撃用の飛行機が配備され、敗戦間際にはアメリカ軍艦への体当たり攻撃も試みられました。

また少し離れた場所に飛行場跡の礎石が現存しており、掩体壕を支えていたものと考えられているのだそうです。

 

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豊成(東金)飛行場跡地:map (画面中央の公園に碑があります) 


      千葉県・豊成(東金)飛行場跡地     
何度も空襲を受け、その都度飛行場から銃弾の薬莢がリヤカー二台分位ずつ出るほど激しい銃撃に見舞われたという手記が残っています

豊成(東金)飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:千葉県‎東金市‎下武射田‎
座 標:N35°34′20″E140°24′57″
面 積:170ha
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1944年 03月08日 数名の将校が前触れもなく役場を訪問。飛行場建設を通達
      19日 測量、その後本格工事
      05月10日 地鎮祭
      08月 ほぼ完成
      11月中旬  飛行場大隊の大隊長以下による視察、点検
      12月 飛行第二八戦隊双発百式三型機約20機配備
1945年 04月頃 隼約10機が飛来。特攻訓練開始
      05月上旬 特攻訓練終了し移動。

関連サイト:
国土地理院 1948年5月当時の写真(USA M1070 128) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)
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誉田飛行場(平川滑空場)跡地 [├空港]

  2012年7月 訪問 

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千葉県千葉市‎緑区‎平川町‎にあった「誉田(ほんだ)飛行場」。

元々は逓信省航空機乗員養成所の「平川滑空場」でしたが、陸軍に接収されて「誉田飛行場」になりました。

飛行場を分散秘匿するための誘導路は、畑をつぶして転圧しただけのものであり、

付近の家の欅(けやき)の大木などは離着陸の障害になるからと枝落としされたのだそうです。

戦後跡地は帰農者に払下げられ、現在は格納庫跡のコンクリート製土台が畑の中に残るだけとなっています。

 

誉田飛行場(平川滑空場)跡地:map 


      千葉県・誉田飛行場(平川滑空場)跡地      

誉田飛行場(平川滑空場) データ

設置管理者:逓信省→陸軍
空港種別:秘匿飛行場
所在地:千葉県‎千葉市‎緑区‎平川町‎
座 標:N35°32′44″E140°14′26″
面 積:150ha
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1943年 起工
1944年 06月 完成。 滑空場として予備学生及び少年航空兵のグライダー飛行訓練に使用されていた
       後に実戦機の飛行場となる
       戦後は帰農者に払下られる

関連サイト: 
国土地理院 1947年2月当時の写真(USA M50 111) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)
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