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岩手県・燕航空部隊発祥地碑 [├場所]

  2012年9月 訪問 

無題3.png

まずは上図をご覧ください。

以前、「騎兵連隊滑走路跡地」という記事→ の中で、

「かつてこの周辺は旧陸軍騎兵第3旅団の演習地であり、公園東側に約1,500mの滑走路があったらしい」

と書きました。

そして県営運動公園東側(・A地点)の写真をアップしました。

ところがその後、・B地点に「燕航空部隊発祥地碑」というものがあることを知りました。

ネットで調べたところ、かつてここは「観武ヶ原練兵場」であり、航空機の重要性が増したため、後に航空隊も作られた。

とのことでした。

以前アップした「騎兵連隊滑走路」と、この「燕航空部隊発祥地」は同一のものなのでしょうか?

ということでお邪魔したのでした。

 

D20_0023.jpg

・B地点。

ご覧の通りで碑が幾つも設置してありました。

奥手に扉が設けてあり、合法的にフェンス内に入れるようになっていました。

 

D20_0019.jpg

まずは一番奥にある「燕航空部隊発祥地」碑。

 

D20_0021.jpg

裏面はこんな感じ。

水戸陸軍航空通信学校戦技第五期生

某サイト内で、「昭和15年 水戸南飛行場に陸軍航空通信学校が開校され 通信教育と研究を移管した
戦局の要請により昭和18年8月 明野陸軍飛行学校分校が開校 水戸校は仙台に移駐した」と記されていました。

 

向かって真中に設置されているのは「開拓の碑」でした。
 (全文)かつて、この地は観武ヶ原(みたけがはら)と呼ばれており盛岡市の青山 月が丘、みたけ地区一帯、約三百五十ヘクタールは、旧陸軍の兵舎・練兵場として使用されていた。終戦後の昭和二十年、この地区を一大食糧生産基地とする構想がたてられ、当時の引揚者や復員軍人、一般の入植希望者などを中心とした開拓団が作られた。昭和二十三年観武ヶ原開拓農業協同組合が認可され、本格的な開墾が始まり入植者数は九十九戸であった。この地は 岩手山からの火山灰に覆われた荒野で開墾当初は電気も水道もなく、朝に星を、いただき、夕べは月と共に働き、明日を夢見ての汗と涙の毎日であった。収穫らしい収穫があがったのは開拓十年目位からであったろうか。昭和三十年代後半になり開拓の歴史は一大転換期を迎え、青山地区と、みたけ地区の団地造成が始まり、都市化の兆しが見られるようになったのである。更に昭和四十五年の岩手国体誘致による公共施設の建設が拍車をかけ、大きな変貌を遂げて一大団地として生まれ変わったのである。食糧生産基地としての夢は消えたが、現在の都市化へと進展し、多くの人々の安住の地になったのも一つの歴史の流れであった。 平成十七年十月吉日 観武ヶ原開拓農業協同組合

飛行場と関係する部分は出だしのほんの短い言葉に集約されています。

青山、月が丘、みたけ地区一帯が軍用地であったと記されています。

先頭の地図で名前の出ている地名にを付けました。

大きな公園周辺もみたけ地区に含まれており、オイラが以前アップした「騎兵連隊滑走路跡地」もこの範囲に入っています。

どちらも軍用地にあった飛行場であること、どちらも同一の範囲に存在していたこと、

「時代が進むにつれて航空隊が置かれるようになった」という資料があること、

等の点から、「騎兵連隊滑走路」と「燕航空部隊」が使用したのは同一の飛行場ではないかと思いました。

ということで、今回の記事は[場所]のカテゴリーに分類し、新たな飛行場としてカウントしませんでした。

 

D20_0031.jpg

以下、飛行場場所特定とは直接関係ないのですが、向かって右側に上の大きな石碑があります。

これは元々設置されていた場所から1km移設したのだそうです。

 

D20_0035.jpg

一部色が違っていますが、これは1921年の東京〜盛岡郵便飛行の際、飛行機がこの碑にぶつかったため、

大きな傷ができ、欠けて読めなくなってしまった部分を補修した跡のようです。

びっしりと漢字が並び、あまりにも格調高くてオイラには読んでみようという気も失せる文体なのですが、

幸いなことにオイラのような者のために訳の碑も設置されています(写真左手前の碑)。

[大意]観武ヶ原命名の碑(全文)
 明治四十一年九月、工兵第二、第七、第八大隊と第八師団の歩兵が参加して岩手県の岩手山南麓地方で特別工兵演習が行われた。そのとき皇太子殿下の巡遊があり奥羽を回る途中、日を重ねて臨戦された。ありがたくもこの無名の地を、観武原と命名された。攻守の状況を親しくご覧になられた上に、このような佳い名をいただいた。将兵の栄与、村里の誉これ以上のものはない。そこで演習の総監であった、陸軍中将男爵上原勇作等この演習に参加しかかわった将士が相談して皇太子殿下が臨戦された土地に碑を建て後の世に伝えることにした。文章は有朋に依頼された。有朋は皇太子殿下のおそばでともに臨戦したことでもありこの文を謹んで書き述べた。平成十六年六月吉日 観武ヶ原開拓農業協同組合

皇太子殿下が当地で行われた演習をご覧になり、この地を観武原と命名したことを記念した碑なのですね。

如何に皇太子殿下が相手であるとはいえ、オイラにはあまりに遜り過ぎ、当地を卑下しているような印象を受けました。

これも時代なのだろうなぁと思ったのですが、

この地は元々戊辰戦争に破れたため賊軍の汚名を着せられることとなり、

盛岡藩出身者は明治新政府の中で重要なポストに就けませんでした。

また、「白河以北一山百文(白河より北の地は価値がない)」などと馬鹿にされていたのだそうで、

軍の大規模施設の誘致はそうした汚名を返上する絶好の機会と捉えられていたのだそうで、

そういう背景を持つ当時の人々にとって、皇太子殿下の視察、命名というのは

今のオイラには想像もつかないようなことだったのでしょうね。

 

尚、この訳が記された碑は右隣に元々の一部破損してしまった石碑の原文も記されていて、

そちらの分の末尾には、

「明治四十一年十二月
元師陸軍大将正二位大勲位功一級公爵
山縣有朋謹撰文竝
篆額 内大臣秘書官従六位勲五等
日高秩父敬書」

と刻まれていました。

 

燕航空部隊発祥地碑:map (画面中央に碑があります。ストリートビューにも映ってました)


      岩手県・燕航空部隊発祥地碑      

沿革

1908年 06月 工兵第八大隊盛岡移駐
       09月 皇太子殿下、当地の軍事演習視察、命名
       12月 皇太子殿下視察の記念碑建立
1909年 騎兵第三旅団新設。
       青山、月が丘、みたけ地区一帯、約350haが陸軍の兵舎・練兵場として使用される
1921年 皇太子殿下視察の記念碑に飛行機がぶつかり破損
1935年 騎兵第三旅団、満州へ移駐
1939年 盛岡陸軍予備士官学校創設
       その後も終戦までの問、歩兵独立兵団や戦車隊、通信教育隊、航空教育隊などが置かれた
1945年 終戦。一大食糧生産基地として開拓団結成される
1948年 観武ヶ原開拓農業協同組合認可。本格的な開墾始まる。入植者数99戸

関連サイト:
国土地理院 1948年5月当時の写真(USA R1431 107) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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千葉県・銚子ボルタック [├場所]

  2012年7月 訪問 

2015/7/19追記:銚子VORは2015年3月運用停止となり、TACANのみ運用となりました

D20_0202.jpg

千葉県‎銚子市‎上野町‎にある「銚子ボルタック」。

前記事の「下志津陸軍飛行学校銚子分教場跡地」の西南西約900mにあります。

飛行場の敷地について、正確なことは分からないのですが、1947年当時の写真を見ると、

ここも飛行場跡地だったのではないかと思います。

 

そのスジの方にとっては分かりきった話で恐縮なのですが、

この施設はヒコーキにここまでの方位と距離を示す電波航法装置で、

世界中から成田空港に飛来するパイロットにとって非常に重要なものです。

写真右側の巨大な丸皿みたいなのがVOR(VHF Omnidirectional Range)で、

これでここまでの方位を知ることができます。

 

左の巨大な人生ゲームのピンみたいのがTACAN(Tactical Air Navigation)で、

これで方向と距離の両方を知ることができます。

「これ一つで両方分かるのなら皿は要らないじゃん」と思ってしまいますが、

TACANは「戦術航法装置」と訳され、アメリカ軍で採用された軍用のものです。

民間機は距離を知るために利用するのだそうです。

VORとTACAN、2つ合わせて「ボルタック」と呼びます。

 

この装置のおかげで、洋上だろうが、たとえ地上が曇っていようが、夜で真っ暗だろうが、

ヒコーキはここまで真っ直ぐ飛んで来ることができます。

そんな訳で非常に重要な施設であるため、24時間監視体制にあるのだそうです。

オイラがお邪魔した時にも施設内の車に人影がありました。

こちら に銚子ボルタック施設更新に伴う飛行コース変更について出ていました。

12~13年ごとに更新工事があるのだそうで、その間はこの施設が使えませんから、

代替施設が猿田に設けられ、それに伴って飛行コースが暫定的に変更されるとのことで、

その間どのように飛行コースが変更になるかもリンクが張られていました。

興味のある方は見てみてください。

 

銚子ボルタック:map  


      千葉県・銚子ボルタック     
外国のエアラインのクルーたちが見に来ることもあるのだそうです

銚子ボルタック データ
設置管理者:国土交通省
所在地:千葉県‎銚子市‎上野町‎
座 標:N35°43′35″E140°47′58″
*座標はグーグルアースにて算出

関連サイト:
Wiki/超短波全方向式無線標識   
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根形(第二木更津)飛行場候補地 [├場所]

  2012年7月 訪問 

無題4.png

2016/9/19追記:「海軍航空基地現状表(内地の部)」(昭和二十年八月調)の中で、

当飛行場について「候補地」と出ていました。

以下同資料にある「根形飛行場」についての記載を記します。

位置 君津郡根形村 
基地名 根形
最寄駅ヨリノ方位 房総西線木更津駅 E9
飛行場 長×幅 米 1500x1200
主要機 小型
主任務 退避場
其ノ他記事 候補地
丁字型二計画耕作地大部分ニシテ一部林野ナリ付近二工事資材ナク輸送モ亦不便ナリ本地ハ富津候補地ノ代替地ナリ

となっておりました。

一番最後の「富津候補地ノ代替地ナリ」というのが非常に気になります。

富津が飛行場建設の候補地になっていたんですね。

(当資料には富津についての記載はありませんでした)

 

当「根形飛行場」については長いことハッキリした情報がなく、

「候補、未成」という資料と、「八月末ほぼ完成」という資料があります。

飛行場名になっている「根形」ですが、当時この周辺は根形村であり(1955年に廃止)、

上の地図でも「根形保育園」、「根形公民館」にその地名が残っています。

1947年当時の写真で見ると、この周辺は当時から広大な平地でした。

現在でも、途中で屈曲しているのですが、長さ約8km、幅約1kmの広大な田んぼが広がっていますから、

飛行場の広さとしては十分過ぎるほどです。

D20_0118.jpg

真っ直ぐの道路脇には広大な田んぼが広がってました。

 

第二木更津(根形)飛行場跡地:map 


      千葉県・根形(第二木更津)飛行場候補地      

根形(第二木更津)飛行場候補地 データ

設置管理者:日立社
空港種別:陸上飛行場
所在地:千葉県‎袖ケ浦市‎三ツ作‎?
座 標:N35°24′35″E139°59′53″?
滑走路/滑走帯:600m×50m、1,500m×1,200m等諸説あり
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

関連サイト:
国土地理院 1947年2月当時の写真(USA M50 68)  (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック) 
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千葉県・稲毛民間航空記念館 [├場所]

  2012年7月 訪問 

D20_0099.jpg

前記事の「稲岸公園」の前の道を海岸に向かって真っ直ぐ進むと、稲毛海浜公園の交差点に出ます。

そのまま公園内を真っ直ぐ進むと、右手に「稲毛民間航空記念館」があります。

複葉機(鳳号)が復元されたのを機に建設されたもので、稲毛飛行場の歴史を後世に残すべく、

現在では飛行機の歴史や大空への夢を育むため、展示施設の管理や紙飛行機工作教室などのイベントを行っています。

入場無料。

 

D20_0097.jpg

館内に奈良原式4号機「鳳」号が展示されています。

復元機で実際に飛行できる機体です。

 

稲毛民間航空記念館:map 


      千葉県・稲毛民間航空記念館      

稲毛民間航空記念館 データ

所在地:千葉県千葉市美浜区高浜7丁目2番2号
開館時間:9:00~17:00

関連サイト:
公式サイト    
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大慶園ヘリポート [├場所]

   2012年7月 訪問 

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千葉県市川市にある「大慶園ヘリポート」。

「大慶園遊園地」の中にあります。

公式サイトを拝見してもヒコーキ関係の事は一切出てこないのですが、なぜか敷地内にはヒコーキ関係のものがそこここに。

一体どうやったらこういうものを手に入れることができるのでしょうか??

 

D20_0037.jpg

 

D20_0036.jpg

 

D20_0046.jpg

 

D20_0047.jpg

 

D20_0055.jpg

他にもプロペラ、キャノピーなどいろいろありました。 

 

大慶園ヘリポート:map   


      千葉県・大慶園ヘリポート      

大慶園ヘリポート データ

設置管理者:大慶園
空港種別:場外離着陸場
所在地:千葉県市川市大町358
標 点:N35°45′76″E139°58′12″
標 高:40feet
着陸帯:20m×20m
磁方位:12/30
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出
入園料:100円

関連サイト:
公式サイト    
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