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下志津陸軍飛行学校銚子分教場(銚子、三崎、春日台飛行場)跡地 [├空港]

  2012年7月 訪問 

無題1.png
1947年11月当時の写真(USA R535 165) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


千葉県銚子市‎春日台町。

ここに「下志津陸軍飛行学校銚子分教場」がありました。

前記事の「香取飛行場」の東約18kmに位置しています。

非常に長々とした名称ですが、「銚子飛行場」とも、地元では「三崎飛行場」、「春日台飛行場」とも呼ばれていました。

本家「下志津陸軍飛行学校」は同じ千葉県にあり、現在は陸自の「下志津駐屯地」になっています。

2017/3/27追記:防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」から作図、記事修正しました。

上のマップは、水路部資料の地図、1947年の航空写真、グーグルマップを比較して作図しました。

微妙に異なる部分は、1947年の航空写真を優先しております。

同資料に当飛行場の情報が記載されていましたので、以下引用させて頂きます。

面積 南北1,200米 東西1,000米
地面の状況 平坦且堅硬なり、芝及雑草を生ず、排水概ね良好なるも霜解けの際は稍泥濘と為る
目標 銚子市、利根川河口
障碍物 (記載なし)
離着陸特殊操縦法 (記載なし)
格納設備 格納庫3棟
照明設備 建物屋上に障碍物標示燈あり
通信設備 (記載なし)
観測設備 銚子測候所(東方約6粁)にて航空気象を観測す
給油設備 完備す
修理設備 応急修理可能
宿泊設備 兵舎あり
地方風 冬季は北西風、夏季は南又は南南西風にして其の他は北北東風なり・偏北風は9月に始まり冬季中風強し
地方特殊の気象 海陸風の影響あり
交通関係 銚子駅(総武本線)東方約2.3粁 銚子駅より「バス」の便あり
其の他 本場は下志津陸軍飛行学校分教場なり
(昭和18年4月調)

D20_0197.jpg

上のマップの青マーカーにある公園。 住宅密集地‎にポツンとある小さな公園で、碑が整備されています。

1947年の航空写真で確認すると、当時ここには飛行場の建物等諸施設が密集しており、中枢区画だった場所です。

碑文(全文)
 かつてこの地に下志津陸軍飛行学校分教場があった 同分教場はこの春日台を中心とした約四十万平方米の小規模のものだったが太平洋戦争末期には八紘石賜隊が結成されこゝから出陣し還らぬ人となった。この史実を風化させることなく現在の日本の平和と繁栄が数多くの尊い犠牲のもとに築かれものであることを思い起こし二度とこのような過ちを繰り返さぬよう心から平和への願いが天翔ける祈りとなってこの地から津々浦々に及ぶことを心より念じこの翔天の碑を建立した 平成五年十一月八日 翔天の碑建立委員会

2014/9/8追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、当飛行場が銚子商業學校滑空部の滑空場として使用されたと記録されています。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m


読売新聞(YOMIURI ONLINE)2015年06月26日 05時00分版に

当飛行場記事「飛行場 後に特攻隊出発」がありました。

以下抜粋させて頂きます。

当分飛行場は、偵察機の乗組員養成が目的だったのだそうで、銚子初の軍事施設でした。

そのため銚子の在郷軍人会は「久シク待望シテ得ラレザリシモノハ遂ニ来マシタ」という歓迎の声明を出しています。

周囲は境界石が置かれているだけで、地元住民も立ち入ることができました。

銚子高等女学校滑空部員だった方の回想として、滑空訓練のため当飛行場を利用していたこと、

分教場関係者から「(グライダーに)乗せてくれないか」と話しかけられたり、

誘われて飛行機の操縦席に座らせてもらったりしたこともあったのだそうです。

そんなある意味のんびりした雰囲気も感じられた飛行場でしたが、

末期の時期になると特攻隊「八紘石腸隊」が編成されました。


千葉日報オンライン 2013年8月16日 15:38版で、その特攻隊について取り上げられていました。

1944年11月、当分教場から20歳前後の特攻「八紘石腸隊」の18人が出撃し、

翌年1月に17人がフィリピン・レイテ沖で戦死しました。

1993年に有志が石碑を建立し、毎年終戦記念日に慰霊祭を行っています。

参列者の中には、同隊唯一の生存者の方も毎年おられるのだそうです。


      千葉県・下志津陸軍飛行学校銚子分教場跡地     
上のマップの赤マーカーの所に銚子ボルタックがあります。

下志津陸軍飛行学校銚子分教場 データ
設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:千葉県‎銚子市‎春日台町‎9
座 標:N35°43′32″E140°48′34″
面 積:約40ha
着陸帯:1,200m×1,000m
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1935年 銚子市民あげての招聘により建設決定
1936年 12月1日 下志津陸軍飛行学校銚子分教場開校
1940年 この頃銚子商業學校滑空部が滑空訓練に使用
1944年 中頃教導飛行団と改変
      11月 特別攻撃隊、八紘石腸隊が出撃
1993年 11月 碑建立

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
現地の碑文
千葉日報オンライン 2013年8月16日 15:38版
読売新聞(YOMIURI ONLINE)2015年06月26日 05時00分版
防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」


コメント(7)  トラックバック(0) 
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コメント 7

me-co

おはようございます。
昨日、「銭」という単位を新入り(平成生まれ)が知らない・・・ことが判明しました。こうして時代の変遷とともに悲しい歴史も風化してしまうのかと思うとやり切れませんが、特攻隊という愚挙により多くの尊い命が失われてしまったことは、「碑に書いてあるからいいでしょ」ではなく、教育の場でしっかりと伝えていく必要があると思いますねーハイ(・ω・)
by me-co (2012-10-24 06:49) 

koume

こうやって見ると、ホントに日本中から飛び立って、帰らぬ人になったと言う記述が多いですね。。。
あの時代はそれが普通だったとは言え、やりきれない気持ちです。
余談ですが、昨日、戦時中の体験を小学生に語る…というイベントのニュースを放送していて見てたんですけどね…。
今時の小学生『焼夷弾が降って来て』は、わからないだろうと^^;;
by koume (2012-10-24 11:05) 

ジョルノ飛曹長

碑がなければ、完全に見落としてしまいますね^^;
by ジョルノ飛曹長 (2012-10-24 12:40) 

まめ助の母

あら?空き地?と思ってしまうほどの公園ですね
その当時はいろいろな人達のいろいろな思いがあったでしょうに…

先日お客さんの戦争体験(当時小学生だったそうです)を
文章にまとめたものをいただきました。
学校の先生だった彼女は小学生にわかるようにと書いたそうで
わかりやすいものでした。
一般の方々の暮らしの中にも辛いことが
たくさんあったのだなぁと思いました。
by まめ助の母 (2012-10-24 12:50) 

鹿児島のこういち

>銚子市民あげての招聘により建設決定

市民あげての招聘だったのに敗戦の時にはどんな気持ちだったのでしょう?
by 鹿児島のこういち (2012-10-24 14:07) 

miffy

歴史の証人として跡地をちゃんと保存しているのですね。
空き地があるとすぐに建物が建つことが多いのにな~
by miffy (2012-10-24 21:49) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■me-coさん
平成生まれの大卒新人が続々と社会に出てるんですね~。
日本がアメリカと戦争したことすらな若者もいるらしいですね。
「戦争」といえば湾岸戦争しか連想しないとか。。。

■koumeさん
>焼夷弾
分からないでしょうね~^^;
子供たちに分かりやすく伝えるのはとても難しいことだと思います。

■ジョルノ飛曹長さん
そうですね。
周辺に案内板が出ていましたが、
本当に小さな公園の一角にひっそりと設置されていました。

■まめ助の母さん
銃後の人々の手記を拝見するたび、大変だったのだなあと思います。
当時を実際に見てきた方が分かりやすい言葉で記録を残して下さるのは
とても貴重なことですね。

■鹿児島のこういちさん
1935年の開設当時はイケイケドンドンで、
まさかこんなことになってしまうとは夢にも思わなかったでしょうね。

■miffyさん
確かにそうですね~。
小さな公園ですがこうして残して下さるおかげで部外者のオイラもハッキリと知ることが出来ます。
by とり (2012-10-26 05:32) 

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