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大日本飛行協会中央滑空訓練所(石岡飛行場)跡地 [├空港]

  2012年9月 訪問 

無題9.png
1947年10月当時の写真(USA R379 93) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)


2017/3/26追記:防衛研究所収蔵資料「航空路資料第3 関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18.8 水路部」から作図、記事修正しました。

茨城県‎石岡市‎にあった「大日本飛行協会中央滑空訓練所」。

昭和18年8月刊行の水路部資料では、「大日本飛行協会石岡飛行場」とありました。

上のマップは、水路部資料にあった地図、1947年の航空写真、グーグルマップから作図しました。

敷地境界線がハッキリしない部分が多く、おおよそこんな感じ。という程度のものですのでご了承くださいませ。

水路部資料の地図では、上のマップの通りで敷地が四分割してありまして、

「稍荒地(薄紫)」、「離着陸不能(灰色)」、「格納庫 協会建物(黄色)」、「飛行場(紫)」とありました。

ただし「飛行場」という文字は、紫のエリアの一番上にあり、敷地全体のほぼ中央にあります。

また他の文字と比較してかなり大きく書かれています。

そのため「飛行場」という文字は、敷地全体を指し示しているのではないかと思います。

 

当飛行場は、格納庫、宿舎、講堂、事務所などの施設とともに初級から高級までの訓練機を備え、

教授陣には航空界の第一人者が当たりました。

石岡市は滑空機の製造、訓練、教育と、滑空界の一大拠点に発展した場所です。

D20_0078.jpg

石岡市立府中中学校(上のマップの青マーカー)。

当時はここにグライダー製作所があり、主に文部省型を製作していました。

部品から完成機までの一貫生産を行い、月産十機程度だったのだそうです。

D20_0079.jpg

「格納庫 協会建物(黄色)」エリア(上のマップの赤マーカー)。

法政大学石岡総合合宿所入ってすぐの所に碑があります。

偲学の碑(全文)
この地は、昭和十五年財団法人大日本中央滑空訓練所が設立され、大空を夢み憧れる若人育成の大地であった。昭和二十年八月終戦と共に筑波学園工業専門学校と同筑波中学校が開校され、後に昭和二十三年法政大学付属第三中学校、高等学校となった。名声高き付属校として数多くの若人を社会に送り出したが昭和三十年三月廃校に至る。平成八年八月吉日 法政大学第三中学校、高等学校卒業生一同建之 施工(有)宇田石材工業 

D20_0082.jpg

離着陸不能エリア(上のマップの黄マーカー)。


     茨城県・大日本飛行協会中央滑空訓練所(石岡飛行場)跡地     

大日本飛行協会中央滑空訓練所(石岡飛行場) データ

設置管理者:大日本飛行協会
空港種別:滑空場
所在地:茨城県‎石岡市‎半ノ木‎
座 標:N36°14′10″E140°15′34″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1940年 大日本飛行協会中央滑空訓練所開設
1944年 大日本滑空工業専門学校設立
1945年 春頃から艦載機による空襲をたびたび受ける
       08月終戦。跡地には筑波学園工業専門学校と同筑波中学校が開校

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この記事の資料:
現地の碑
防衛研究所収蔵資料「航空路資料第3 関東地方飛行場及不時着陸場 昭和18.8 水路部」


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コメント 3

鹿児島のこういち

昭和20年に開校して昭和30年に閉校って、ちょっと短すぎじゃないですか?これから子供の数が増えてく時代だったはずなのに。
by 鹿児島のこういち (2012-11-17 11:18) 

まめ助の母

見えやすい所に石碑があるのですね
なんだか珍しい感じ…
by まめ助の母 (2012-11-17 23:52) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
オイラも不思議でならなかったのですが、Wikiによりますと、
学校の立地自体が悪いことや、終戦直後の物資不足による施設の不備、
生徒の確保が十分に行えないことなどが原因で経営が悪化。
と書かれていました。

■まめ助の母さん
言われてみれば確かにそうですね。
珍しいケースと思います。
by とり (2012-11-19 07:14) 

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