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航空自衛隊静浜基地(旧海軍航空隊藤枝基地) [├空港]

   2010年05月 訪問 

D20_0143.jpg

静岡県焼津市にある「航空自衛隊静浜基地」。

戦時中、旧海軍の航空基地として建設されました。

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:藤枝 建設年:1944 飛行場長x幅 米:2000x200 主要機隊数:中型 主任務:作戦 隧道竝ニ地下施設:居住、電信所、魚雷調整場、魚雷格納庫、隧道 居住、爆弾庫、燃料庫、工業場、倉庫 分散 掩体:小型有蓋9

1943年12月に「焼津航空基地」と仮称され、その後本格的に建設が始まりました。

そして1944年12月に「藤枝航空基地」として開設しました。

有名な芙蓉部隊のいた基地です。

基地開設は1944年12月ですから、海軍航空基地としては、非常に短い期間した存在しなかったことになります。

返還され、空自の基地として開設してからは、航空自衛隊の操縦士の初級教育(初めて飛行機に乗る訓練)

を主として担当しています。

 

書籍:「静岡県に戦争があった」に当航空基地についての詳しい記述がありました。

抜粋、要約して記させて頂きます。

1943年11月8日、横須賀海軍施設部部員で大井航空隊工事事務所の技官が、軍用車で静浜村役場に突然乗り付け、

村長や国民学校長と面談して、村地図の提出を要求した。

11月29日 横須賀海軍施設部大井航空隊の技官二人が再度訪れ、海軍用地借用を申し入れた。

技官は3日中に地主の承諾を手配するよう依頼し、土小杉宮西・下ノ島地区を現地検分して地図を要求した。

静浜国民学校では村役場を通じて気象データの調査を要請され、

生徒たちが当番日誌に「天候・気温・風向」の記入を指示されて飛行条件の資料として利用された。

12月2日に海軍施設部大井事務所の技官数名が訪れて、宿舎建設地と建築資材置き場を決定した。

翌日に建設家屋の縄張りと境界標の杭打ちをしたため、用地内の農家は急ぎ水田の稲刈りを行った。

12月3日に宿舎建設用地の関係者は役場に召集され、借地承諾の印を取られた。

同日早くもトラック約20台で建築資材を運び込み、地元の大工が召集されて工事請負業岩崎組の作業場一棟を建設した。

4日に宿舎建設地の関係地主29人は、海軍施設部員との間で前日同様の借地契約を結ばされた。

12月6日 海軍施設部員3人が村役場に来た。

海軍側の通告内容は、

「今月20日過ぎには大阪より徴用工員2,500人が動員される予定である。

宿舎の建設が間に合わない場合学校と寺を宿舎として提供すること。

清水浜村婦人会に対し布団1枚1日20銭で120枚の借用」を申し入れた。

12月11日 静浜村海軍施設は「焼津航空基地」と仮称した。

11日から16日にかけて大工と作業員100~200人が動員されて、間口17~18間の宿舎が上小杉宮西の田畑に20棟余を建築。

12月4日 上小杉宮西地区の田畑はほとんど宿舎で埋まる。

宿舎建設を終えた大工たちが帰され、次いで徴用工員700~800人が入所し校庭で訓練開始。

1944年1月11日 第二次工事として、上小杉宮前の舎宅建設開始。徴用工員は約千人に達する。

15日徴用工員の面会日で老婆、妻、娘など約千人が訪れた。

17日 海軍施設地の買収地について、打ち合わせが静浜村役場で開かれる。

1月20日 用地買収に関係する地主約300人が、国民学校講堂に集められた。

海軍側から買収区域の大地図により説明があり、関係地主はその場で土地売買承諾の調印を取られた。

田地132町2反歩、畑地5町8反歩に及ぶ広大な地域であった。

海軍施設部による用地内の農家移転に関する説明
1. 4月までに家屋を移転すること。移転料、土地買収料について買い上げ価格の3/4を現金で村長を通じて即時支払う。
2.建設資材を必要とする者に対しては資材を提供するが、その代金は買い上げ代金より差引とする。現形変更については自己負担3.海軍施設部の買い上げ区域周辺50m内の建築を禁ずる

海軍航空基地設置により静浜村は、多くの土地買収と家屋移転を強いられることになった。

静浜村は716戸中の1/4近くの173戸が移転、全耕地400町歩中の約四割弱の150町歩等の土地買収であった。

全耕地を失う者と半分の耕地を失う者が約1/3に達し、事実上村の解体であった。

移転総数173戸中の80戸が村内への移転、残りは他町村への移転となった。

2月13日 静浜村では、海軍施設地工事に伴う工員募集が区長から通知された。

募集要項は男女を問わず18才から60才まで、労働時間午前6時半から午後5時まで日給2円80銭。

4月中頃から移転家屋の解体と移転作業が始まった。

藤守地区では、土砂搬出用の鉄路の敷設が行われた。

5月13日 海軍施設部は航空基地の地鎮祭。

小学校と村役場が兵舎として利用されたため、生徒達は新校舎が出来るまで寺や神社社務所で学習した。

海岸でこぶし大の石ころを一か所に拾い集め、その石はトラックで飛行場に運ばれた。

トロッコが海岸近くまで引かれ、それに乗せて運ばれることもあった。

石ころは田んぼを掘り返した所に敷き詰められ、その上をコンクリートで固めて滑走路が作られた。

第一線から退いた年取った海軍下級兵士達が、17,18才の下士官の指図で兵舎を作っていた。

軍属、徴用工、少年義勇隊、学徒動員の学生たちが穴を掘り防空壕作りをし、誘導路や防空陣地を作っていた。

これらの作業場のどこにも角棒や金棒を持った監督たちがいた。

その年の10月~11月末にかけて、2,000mx200mの第一滑走路が完成した。

また同時に第二滑走路の作成計画が立てられて、藤守地区より浜街通筋の40軒が移転させられた。

仮称「焼津航空基地」は海軍航空隊が駐留してから、「藤枝航空基地」と呼ばれた。

駐留する航空部隊は「芙蓉部隊」と呼ばれ、富士山の見える基地を使用したことから名付けた通称である。

1945年1月1日 双発機「銀河」が着陸。

4日夜に「月光」等7機飛来。

その後「彗星」、「零戦」等を加えて主力機が40機になった。

3月までに三飛行隊が合流して第十六攻撃隊となり、後に「海軍進攻夜間戦闘機隊」と命名された。

芙蓉部隊は戦闘能力が激減する中で、劣勢兵力をもって敵の優勢兵力と対戦する場合に

奇襲や夜襲戦によって制空権を獲得しようとする戦術を取った。

特攻機攻撃のような消耗戦を批判して、日の出前1~2時間の黎明期に

敵航空部隊基地に爆撃隊を以て制圧するのが夜間戦闘機隊の任務とした。

その後昼間に戦闘機隊の攻撃能力を高めようという戦術を取った。

 

中村英雄著「清水三保青春の雄叫び」の中で当航空基地についての記述があり、

1945年2月18日 硫黄島上陸支援のため、米第58機動部隊が関東地方の航空基地制圧のため来襲。

(当航空基地の)彗星7機、零戦1機、九十九艦爆1機が炎上。残存機は彗星11機、零戦18機になったとあります。

 

航空自衛隊静浜基地:map  


        静岡県・航空自衛隊静浜基地        

航空自衛隊静浜基地 データ
設置管理者:防衛省
4レター:RJNY
空港種別:陸上飛行場
所在地:静岡県焼津市上小杉
座 標:N34°48′45″E138°17′53″
標 高:7m
滑走路:1,5000m×200m(海軍藤枝基地当時: 「日本海軍航空史」(終戦時)より)   
1,500m×45m(現在) 
磁方位:09/27
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1943年 11月8日 横須賀海軍施設部部員、静浜村役場にて村地図の提出を要求
        29日 横須賀海軍施設部、海軍用地借用を申し入れ。土小杉宮西・下ノ島地区を現地検分、地図要求
       12月2日 宿舎建設地、建築資材置き場決定
        3日 建設家屋の縄張りと境界標の杭打ち実施。宿舎建設用地の借地承諾押印。作業場一棟建設
        4日 宿舎建設地の借地契約
        11日 静浜村海軍施設は仮称「焼津航空基地」に
        20日 長野、愛知等の徴用工員56人が宿舎に入所
        21日 入所者の身体検査実施。不合格者は帰郷。横須賀海軍施設部長少将による視察
        22日 施設部技官による土地高低の測量
        23日 海軍施設部将校が役場にて、役場、学校、隔離病舎の平面図要求
             上小杉宮西地区の田畑は、ほとんど宿舎の建物で埋まる
        26日 静浜村母の会が徴用工員慰安。学校で舞踊を披露
        30日 海軍施設部で新年の餅つきがあり、臼20個貸出
1944年 1月3日 村役場にて、海軍施設対策協議会
       11日 第二次工事として舎宅建設開始。徴用工員は約千人に達する
       12日 徴用工員の1人が病死
       15日 徴用工員の面会日
       17日 静浜村役場にて、隣村の和田・吉永村の役場職員と海軍施設部員との買収地についての打ち合わせ
       20日 土地売買承諾の調印
       2月13日 工員募集
       24日 徴用工員が新たに約千人入所
       3月20日 横須賀海軍施設部長、静浜、大富、吉永各村長と用地関係者との会議
       4月中頃 移転家屋の解体と移転作業
       5月13日 地鎮祭
       16日 徴用工員の宿舎にて、慰問団のレビュー開催。村婦人会、村人が無料で見学
       10月~11月末 2,000mx200mの第一滑走路完成。同時に第二滑走路の作成計画
       12月 海軍航空隊藤枝基地として開設
1945年 1月1日 「銀河」着陸
       4日 月光等7機飛来
       2月1日 練成開始(3月31日まで)
       18日 硫黄島上陸支援のため、米第58機動部隊来襲
      3月 この月までに三飛行隊が合流して第16攻撃隊となり、後に「海軍進攻夜間戦闘機隊」と命名
1948年 03月 接収
1954年 11月 防衛庁に移管
1958年 08月 航空自衛隊静浜基地開設

関連サイト:
静浜基地    
Wiki/静浜基地   
国土地理院 1946年3月当時の写真(USA M85A-6 143) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   

この記事の資料:「静岡県に戦争があった」、「清水三保青春の雄叫び」


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コメント 11

Takashi

この基地、T-7しかなくて教育しかやっていない基地なんですね。
2名から見学の申し込みができるみたいっす^^
by Takashi (2011-02-04 08:01) 

me-co

わが餃子タウン製の航空機が配備されているのですね^^
やったー!
by me-co (2011-02-04 19:50) 

miffy

静浜は父が現役の時によく出かけてました。
by miffy (2011-02-04 20:34) 

an-kazu

エースパイロットを目指して、
ここからステップアップしてゆくのですね。
by an-kazu (2011-02-04 21:50) 

雅

焼津にあるんですか。
浜松にあるのは知ってましたが。
by (2011-02-04 23:58) 

鹿児島のこういち

航空自衛隊で一番小さい基地なんですか、知らなかったf^_^;
練習機、T-6からT-7までだんだんスマートになって、主翼が後ろへ後退してませんかね?(^O^)かっこよくなってますよぉ~o(^-^)o
とりさんは、基地見学はされなかったんですか?f^_^;
by 鹿児島のこういち (2011-02-05 07:20) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■Takashiさん
情報ありがとうございます。
息子さんといかがでしょうか^^

■me-coさん
こちらの製作所で作られたのですか。知りませんでした。
φ(..)メモメモ

■miffyさん
おお、そうですか!
縁の深い場所なんですね~。

■an-kazuさん
目指せトップガン^^

■雅さん
浜松は目立ちますよね。
こちらは地味な印象です。

■鹿児島のこういちさん
情報ありがとうございます。
スマートになってますよね。
基地見学しませんでした。
by とり (2011-02-06 09:18) 

NO NAME

自衛隊、うるさ過ぎです。かなり迷惑です!!!
by NO NAME (2011-02-15 15:15) 

とり

■NO NAMEさん
辛いですね。オイラも騒音は苦手なので心中お察し致します。
NO NAMEさんの仰るような運用がなされているのでしたら近隣の方も同様にお感じのことと思います。
自治体、関係個所に近隣の声をもっていかれてみては如何でしょうか。
オイラの地元の航空自衛隊は、近隣との話し合いで週末は原則飛行禁止、時間帯の制限も設けられております。
by とり (2011-02-16 04:28) 

Nove

はじめまして。
 正直のところ、私は焼津に土地勘が無くこの基地自体知りませんでした。
そこで芙蓉部隊や 美濃部少佐 後の空将の事を調べてみて大変驚きました。
 あの時代 あの状況下で独自の理念で育て上げ、後の沖縄戦での凄まじさのごくごく一部ではありますが知る事が出来ました。
 今回このサイトを訪れてよかったです。 ありがとうございました。
by Nove (2013-12-05 23:19) 

とり

■Noveさん いらっしゃいませ
オイラも分からないことだらけでいろいろ教えて頂いております。
仰る通り、美濃部少佐は凄い方だと思います。
ここが空自パイロットの初級教育に使用されているというのがいいですね。
by とり (2013-12-07 05:50) 

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