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愛国飛行場跡地 [├空港]

  2010年11月 訪問 

無題.png

香川県‎高松市‎にあった「愛国飛行場」。

現在は運転免許センター、自動車学校になっています。

図は飛行場だったであろう範囲。

ここは海に面しているのですが、港がないために漁業には恵まれない土地柄だったのだそうです。

そこを開発し、飛行場を建設したのでした。

 

D20_0157.jpg

運転免許センター。

 

愛国飛行場:map   


      香川県・愛国飛行場跡地     
昭和7年、軍部に飛行機を献納しようとする献金運動があり、「香川号」と名付けられた飛行機を献納しても,多くの残額が出ました。これが県下初の本格的飛行場「愛国飛行場」の建設につながったのだそうです。 また、軍用飛行場としての使用には無理があり,グライダーの訓練に使用されただけで,終戦を迎えたのだそうです

愛国飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍
空港種別:滑空機訓練用飛行場
所在地:香川県‎高松市‎郷東町‎
面 積:23.2ha(拡張後)
滑走有効路:800m(拡張後)
座 標:N34°21′06″E134°01′05″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1932年 この年の末、高松に飛行場を建設しようとする機運が生じる
1933年 6月、香東川川尻の地に建設決定。12月、飛行場と総合運動場の併設施設として設計し募金開始
1934年 3月、起工式。5月17日竣工。22日開場式。狭小のため1ヵ月余りで飛行場拡張の話が持ち上がる
       総合運動場断念
1937年 この年の秋張工事が県会で可決
1938年 9月、拡張工事に着手
1939年 9月、拡張工事完成。
1945年 終戦
1948年 グラウンド競馬場になるが後に廃止
1953年 競馬場跡地が県営自動車学校、自動車免許試験場となる

関連サイト:
愛国飛行場の完成  
国土地理院 1947年10月当時の写真(USA R517-4 50) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   


コメント(8)  トラックバック(0) 
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コメント 8

ジョルノ飛曹長

愛国と言うと、愛国婦人会から寄贈された零戦、愛国号を思い出しますね。(^-^)
愛国号、写真は見た事があるけど、最後はどうなってしまったのか、謎なんです。
by ジョルノ飛曹長 (2011-06-29 19:40) 

an-kazu

海に隣接していますが、
フロート付きの機材は運用されたのでしょうかね?
by an-kazu (2011-06-29 22:45) 

鹿児島のこういち

飛行機(香川号)を献納したけど、献金がたくさん余ったから、飛行場を造ろう!って気運が起こるところが当時らしい(^O^)
しかし、グライダーしか使えない飛行場って、計画たてた人や設計した人は、どのような考えだったんでしょうね(^O^)
by 鹿児島のこういち (2011-06-30 07:16) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■ジョルノ飛曹長さん
>愛国号
以前はそういう制度があったんですね。
まさに戦時体制ですね~。

■an-kazuさん
すみません。水上機が運用されていたかどうかは不明です。

■鹿児島のこういちさん
>たくさん余ったから
そんな経緯があったのですか。情報ありがとうございますm(_ _)m
先月九州の歴史のある滑空場で管理人の方にお話を聞く機会があったのですが、
戦時中のグライダー訓練はそのまま操縦士訓練につながることと、
爆撃機が武装兵を乗せた大型グライダーを曳航し、
敵地の前後から挟み撃ちという戦法があったりと、
戦中の日本は機材、パイロット、運用共にドイツと並んでグライダー大国だったそうです。
by とり (2011-07-01 06:36) 

NO NAME

オレンジの線より下も愛国飛行場

 武装を外した戦闘機があって、引っ張つていたそうです。

 戦時中、豹部隊の零戦が不時着

終戦になった時、月光が着陸していた、そして乗って遊んでいたと旧制高松中学の元教員が話していました。

 愛国飛行場の格納庫を旧制高松中学校が空襲で焼けたので、弦打教場として使用。
 六角形の競馬場に一部がなっていました。
 
by NO NAME (2013-04-10 12:40) 

とり

■NO NAMEさん
貴重な情報ありがとうございました。
by とり (2013-04-11 06:51) 

NO NAME

戦時期の京都における中等学校の滑空訓練
武島 良成  
  
 という、論文があります。 
 
 高松愛国飛行場では武装を外した戦闘機が1機あつて、それでグライダーを曳航していたと、聞いています。 
 
 昭和9年5月22日 開場式  帝国飛行協会総裁だった梨本宮様を、お迎えし四国各県の知事など来賓1500人に、県下各市町村消防団の団員
、全中学校生徒などが参列、空からは軍用機、民間機も加わって華やかなセレモニーがくりひろげられた。
  ”80万県民憂国至誠の結晶”と大時代調、最大級の祝辞を使った木下義介知事の祝辞が、その時代をしのばせる。
 
 県が計画すると同時に高松市周辺の町村で愛国飛行場の誘致への動きがにわかに活発になり、太田村、屋島町、木太村、香西町、弦打村の5つの村が名乗りをあげた。
 約1年の余りもの間、激しい誘致合戦が続いた。

  昭和50年史  四国新聞社より

by NO NAME (2013-04-14 11:47) 

とり

■NO NAMEさん
返事遅くなってしまって申し訳ありません
貴重な情報ありがとうございました。
by とり (2013-05-30 06:34) 

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