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金丸原陸軍飛行場跡地 [├空港]

  2011年10月 訪問 

無題5.png

栃木県‎大田原市‎南金丸‎にあった「金丸原陸軍飛行場」。

ここは元々人家がなく、数条の草刈りや作場の道が通るだけの未墾の土地でした。

この飛行場には上図の通り2本の滑走路がありました。

当記事内では便宜的にそれぞれ「A滑走路」、「B滑走路」とさせて頂きます。

滑走路位置については、1946年の写真(下記リンク参照)を参考にしたのですが、

グーグルで測ったところ、A滑走路は830m、B滑走路は650mでした。

当時の資料等見ると、滑走路は実際にはもっと長く、

メインのA滑走路は1,900m サブのB滑走路は1,300mと記されていました。

北側に伸ばすと滑走路同士が交差してしまいますが、資料ではそうなっていません。

それで実際にはどちらも南側にもっと伸びていたのだと思います。 

 

戦争末期になり、ここも空襲に晒されるようになると、飛行機はガソリンを抜いて近くの林に隠し、

敵の目をそらすために両滑走路の間に約20の掩体壕を作り、空中からチラチラ見える程度にべニア板の飛行機を並べました。

艦載機がよくこれを攻撃したのだそうです。

 

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・A地点。

ここから福祉大の白い建物に向かって滑走路が伸びていたはずです。

 

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・B地点。

この道に沿って右側に滑走路が伸びていたはずです。

 

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・C地点。

金丸小学校校門脇にある碑。震災のせいでしょうか。巨大な石版が後方に倒れていました。

某サイトに碑文が出ていましたのでコピペさせて頂きました m(_ _)m

金丸原 陸軍飛行場之跡 かつて、この地は広漠たる那須野ヶ原の中にあり、金丸原台地と呼ばれ、旧陸軍第十四師団の特設演習場の一部であった。この地と大空とのかかわりは、本邦最初の飛行技術者として知られる徳川大尉が、旧所沢陸軍飛行場より無着陸飛行以来浅からぬものがある。即ち昭和九年航空機の国産化が図られるとともに、旧所沢陸軍飛行学校不時着陸場となり、翌十年には満州事変後の飛行機操縦者の育成強化を目指し、旧所沢陸軍飛行学校金丸原分教場に指定された。更に、熊谷及び宇都宮の旧陸軍飛行学校分教場となり、総面積三〇〇ヘクタール滑走路二面を駆使して下士官学生第六十六期から第九十期及び特別操縦見習士官第一期より第三期学生等、数千名に上る精鋭なる飛行士を輩出させた。また、昭和十九年に到っては実戦上の重要な基地の一環として多くの特攻機を離陸させている。おもうに、飛行学校として十有余年、その間にこの地から巣立った若者の大半が青春の総てを大空に捧げて還らず、また、機体整備に夜を日に継いで尽力した軍人軍属、近隣から動員された学徒及び婦女子の辛酸は筆舌に尽くし難いものがあった。終戦、昭和二十年を機に時は流れ世は移り、あれほどに激烈過酷を窮めた出来事も人々の脳裏から薄らぎつつある。けれども幸いに今日まで生を得、なお社会の成員として世界に秀でた祖国の繁栄を目の当りに見るとき、この地で学び飛び立ったまま再び還ることのなかった戦友たち、青春の総てを限りない犠牲の中に費した者たちを忘れることは出来ない。ゆえに、この金丸原飛行場に払われた尊い犠牲を記憶にとどめて長く継承し、世界の平和と人類の福祉の永遠なることを念願して、ここに記念碑を建立するものである。昭和五十五年九月二十日 金丸飛行会 建立 特操金丸会 撰文 下鳥喜工

 

D20_0034.jpg

同じくC地点。

実は滑走路の南側の延長線上に「那須野ケ原CC」があり、複数のサイトでここに有蓋掩体壕が現存していることが出ています。

オイラもゴルフ場にお邪魔して、フロントで見学を申し込んでみたのですが、非常ににこやかな男性スタッフの方から、

「そういうものは当ゴルフ場にはございません」と言われてしまい、見ることができませんでした。とほほ。

 

金丸原陸軍飛行場:map   


      栃木県・金丸原陸軍飛行場跡地      

金丸原陸軍飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:栃木県‎大田原市‎南金丸‎
座 標:N36°51′54″E140°04′30″
面 積:300ha
滑走路:(A)830mx100m(15/33) , (B)650mx100m(14/32)
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1934年 所沢陸軍飛行場の不時着場になる
1935年 所沢陸軍飛行学校 金丸原分教場になる
1937年 05月 熊谷陸軍飛行学校 金丸原分教場になる
1939年 滑走路1,900mと1,300m(幅100m)を建設。滑走路建設のため黒羽道を飛行場北端に移動
1945年 7,8月 空襲による大被害

関連サイト: 
国土地理院 1946年6月当時の写真(USA M159-A-5 32) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)     
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この記事の資料:「那須の太平洋戦争」


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