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柏飛行場跡地 [├空港]

  2012年7月 訪問 

無題2.png

千葉県‎柏市‎柏の葉にあった「柏飛行場」。

旧陸軍の飛行場です。 

 

D20_0001.jpg

A地点。

この先から奥に向かって滑走路が伸びていたはず。

 

D20_0003.jpg

B地点。右奥の鉄塔は柏通信所。

営門跡。説明版がありました。

旧陸軍東部第105部隊の営門(全文)
 この門柱は、昭和13年(1938)11月に開設された柏飛行場の兵営施設の営門(旧陸軍東部第105部隊営門)で、建設当時の位置のまま残されています。右の写真は、施設正面を撮影したもので、営門や衛兵の姿、本部建物など戦争当時の状況を伺うことができる貴重なものです。柏飛行場は、現在の県立柏の葉公園を含む柏の葉、中十余二の地区にありました。昭和初期、中国との関係悪化から、「国土防空」特に「帝都防空」のため飛行場建設を急ぐ必要がありました。そこで昭和12年(1937)6月、陸軍の近衛師団経理部が新設飛行場予定地を旧東葛飾郡田中村十余二に計画し、地元の誘致運動もあり、同年9月に旧田中村、八木村(現流山市)にまたがる約145万㎡の用地を買収し、同13年1月に起工式が行われ、同11年に1,500mの滑走路1本を有する飛行場が完成しました。併せて同13年に東京立川から陸軍飛行第五戦隊が移転し、同17~18年(1942~1943)に兵員は700人を超えるまでになり、松戸、成増、調布などとともに同19年(1944)末から激しくなったB-29爆撃機による空襲に対し防空戦闘にあたりました。戦争末期の同20年1月には我が国初のロケット戦闘機「秋水」の基地となりましたが、テスト飛行で終わり、終戦を迎えます。戦後、米軍に接収され、同30年(1955)に「米空軍柏通信所」、トムリンソン通信基地が建設されましたが、返還交渉を経て、同54年(1979)に日本に全面返還となり現在に至ります。戦時中の様子を今に伝える市内に残された数少ない文化財です。平成24年3月31日 柏市教育委員会 

 

D20_0008.jpg

説明版にあった飛行場図。

「陸軍飛行場便覧」によれば、終戦時の当飛行場は滑走路が2本クロスして描かれていて、

1,500mx100mが2本 舗装。とされています。

丁度上の説明版の、←1800m→のあたり。

ただし、1947年の航空写真(下記リンク参照)で見ても、1946年3月の写真でも、整地してあるようにしか見えません。

2014/9/20追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、千葉縣立東葛飾中學校滑空部が当飛行場を使用していたという記録が残されています。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m

 

柏飛行場跡地:map  


      千葉県・柏飛行場跡地     
「滑走路は柏の葉公園東側の道路に接していた」という説があります。先頭の地図は当時の写真等から注意深く作図したつもりなのですが、オイラの計算では接していません。ただし説明版の見取り図にもある通り、滑走路の中央付近にはターニングパッド?が設けられており、この一部が公園の道路に接していた可能性はあると思います

柏飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:千葉県‎柏市‎柏の葉
座 標:N35°53′58″E139°56′28″
面 積:145ha
滑走路:1,500m
磁方位:15/33
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1937年 06月 帝都防空を任とする陸軍飛行場建設計画
       09月 用地買収
1938年 01月 起工式
       11月 飛行場完成。 陸軍飛行第五戦隊が移転
1945年 01月  ロケット戦闘機「秋水」の基地となる。戦後接収
1955年 「米空軍柏通信所」建設
1979年 全面返還

関連サイト:
Wiki/柏飛行場   
国土地理院 1947年10月当時の写真(USA R393 118) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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コメント 9

鹿児島のこういち

大正から昭和の初期に、明治からの日清、日露戦争に勝ち大きな権益を得たにも関わらず、暮らしが良くならないと、政府や軍に不満をぶつける事になり、既得権のある満州を手放したくない政府と陸軍が、連合していたイギリスにだしぬかれて、中国に対する対応に柔軟になれなかった事で泥沼に突き進む事になります。
戦争が起きる時、少なくともその国の国民の意向が少なからずも利用されていると思います。
今の中国に似てると思いませんか?
by 鹿児島のこういち (2012-08-29 07:14) 

ジョルノ飛曹長

このあたりはだだっ広いので飛行場が無くても降りられそうですが、建築すじの話では、これから建築ラッシュになって開発が進むそうですよ。^^
by ジョルノ飛曹長 (2012-08-29 13:03) 

まめ助の母

門だけ残ってるとかって不思議な感じがしますね
この辺りはまだなんにもない所って感じがしますが…
病院ばっかりできるのかしら?
by まめ助の母 (2012-08-29 18:13) 

Takashi

現在でも、なんとなく飛行場全体の形が残っているように見えます。
営門。よくぞ残してくれたって思いました。
by Takashi (2012-08-29 20:01) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
>利用
それはあると思います。
時に利用し、時に引っ張られ、重大な決定に大きな影響を与えるのだと思います。
国民の意向が1つの方向にまとまって大きな動きとなる時、
それは対外的に国の重要決定の大義名分になることもあり得ます。

■ジョルノ飛曹長さん
そうなんですか。
営門跡は今後も残るでしょうか。

■まめ助の母さん
門だけって、考えたら不思議ですね。
門だけ残るケースが多いのは、場所を取らず、その施設の象徴たりえるから。
ということなのでしょうか。
今後開発はどうなっていくのでしょうね。
まめ助の母さん仰る通り、クリニック・シティーになったりして。

■Takashiさん
おお、全体の形が見えますか!
素晴らしい目をお持ちですね。
オイラはまだ修行が足りないみたいです(XДX)
by とり (2012-08-31 06:09) 

an-kazu

A地点のネットフェンス・・・
清瀬の国有地の雰囲気と似ていますが、
研究所の敷地なんですね
by an-kazu (2012-09-01 09:43) 

とり

■an-kazuさん
内部では一体どんな研究が??
by とり (2012-09-02 10:44) 

マリオ・デ・ニ−ロ

営門の奥の五階建ては防衛省官舎です。
ここから百里に通ってるひともいるみたいです。
by マリオ・デ・ニ−ロ (2012-09-03 21:50) 

とり

■マリオ・デ・ニーロさん
またまた情報ありがとうございます。
本当によくご存じですね。
by とり (2012-09-09 09:26) 

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