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岸飛行場跡地 [├空港]

 2010年4月 訪問 

かつて東京の北区に民間の飛行場がありました。

耳鼻咽喉科の医師であった岸一太氏が造った「岸飛行場」です。

1874年岡山生まれの岸氏はドイツ留学の経験があり、台湾総督府や満州鉄道の付属病院長を経て

築地で耳鼻咽喉科の病院経営をしていました。

飛行機に手を出すようになったのは40歳を過ぎてからで、

鉱山所有者でもあった彼は材料も含めて国産の航空機用エンジン製作に挑戦しています。

陸軍省から当時定評のあったルノーの空冷V8エンジンの廃品を払い下げ、これを手本にしての開発でした。

当時は国産エンジンの製作は非常に困難で、民間でこれに挑戦する人はほとんどいない状態でした。

この時から約20年後の1933年、あのトヨタ自動車ですら創立当初はうまくエンジンを製作することが出来ず、

苦労に苦労を重ねたのだそうです。

 

岸氏のエンジン製作は困難を極め、 2トン半の銑鉄と3トンを超えるコークスを使用し、

300個のシリンダーを無駄にした末の完成でした。

1800回転のエンジンはお手本のルノー製より軽量の160kgで70馬力を発生させました。

1915年1月にはエンジンの稼働に成功、公開しています。

1916年には岸式つるぎ号(モーリス・ファルマン機が原型)を発表しました。

その翌年の1917年には荒川沿岸の畑を16万円で買い取り、工場を建設しました。

しかもすごいのが、ここは単なる飛行機工場なだけでなく、

5万坪とも6万坪とも言われる敷地に風洞、電機溶鉱炉、乾燥室等を備えた「赤羽飛行機製作所」を併設、

工場では、機体だけでなく発動機の製作まで手掛け、その上飛行士の養成所まであったのだそうです。

まさに国内航空の一大拠点といえる陣容でした。

同年12月には飛行場の開所式が挙行されました。

中島飛行機が群馬県の尾島に飛行場を作ってテスト飛行を開始したのが1918年ですから、それよりも早い時期です。

岸式は、その後第六号機まで開発され(第六号機は結局未完成だったらしい)、1919年には陸軍への納入もあったのですが、

経営不振で1919年に閉鎖されてしまいました。

跡地は放置され飛行場原と呼ばれていましたが、やがて工場地帯となり現在では当時を偲ぶものは何一つ残っていないのだそうです。

 

無題6.png

資料によりいろいろなのですが、飛行場があったのはおおよそこんな範囲だったみたいです。

京浜東北線と隅田川にはさまれています。

 

D20_0029.jpg

 

D20_0030.jpg

「飛行場があった場所」としていろんな資料に登場する「北清掃工場」。

 

岸飛行場:map  


      東京都・岸飛行場跡地      

岸飛行場 データ
設置管理者:赤羽飛行機製作所・岸一太氏
空港種別:陸上飛行場
所在地:東京都北区神谷
座 標:N35°46′30″E139°43′43″
面 積:59.5ha
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1915年 01月 エンジン稼働に成功、公開
1916年 岸式つるぎ号(モーリス・ファルマン機が原型)を発表
1917年 10月 赤羽飛行機製作所竣工
      12月 飛行場開所式
1919年 敷地内に溶鉱炉完成。従業員は200名を超える工場となる
1920年 資金繰り悪化から賃金不払い発生
1921年 赤羽飛行機製作所閉鎖。

関連サイト:
東十条銀座商店街/岸飛行場    

この記事の資料:歴史の中の中島飛行機


コメント(19)  トラックバック(0) 

コメント 19

鹿児島のこういち

個人で所有の空港ですか?岸さんって人は、先祖代々の地主さんだったのでしょうか?土地持ってますね(^O^)
空を飛びたいって夢のある御仁だったのでしょうねo(^-^)o
by 鹿児島のこういち (2010-06-14 05:58) 

yatoho

とりさんさん おはようございます。

記念碑がありそうですけど、ないんですね。

by yatoho (2010-06-14 09:30) 

Takashi

前の勤務先が、清掃工場のそばでした。
今は住宅ばかりで、とても飛行場があったとは思えないですね。
by Takashi (2010-06-14 12:34) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■鹿児島のこういちさん
同感です。
よっぽどのお金がないと実現できませんよね。
資料には医者とありましたが・・・。

■yatohoさん
そうなんですよ~。
あってもいいとおもうんですけどね~。
ここはyatohoさんのお力で是非1つm(_ _)m

■Takashiさん
そうだったんですか(@Д@)
とても飛行場という雰囲気じゃないですね~。
by とり (2010-06-14 20:11) 

雅

個人でそれだけの飛行場を作ってしまうなんてすごいですよね。
夢とお金の両方をもっていたんでしょうけど、その夢を実現させてしまうなんて。
by (2010-06-14 23:48) 

me-co

しかし、ホントに医者だったのかな?というくらい本格的ですね@@;
でも、たった2年しかもたなかったとは、あまりにもあっけない!・・・夢を続けることは大変なことですT。T
by me-co (2010-06-15 00:16) 

tooshiba

一民間人(ご先祖様は旗本とか大名の重臣かもしれませんが)でも大きな仕事が出来た!昔は良かった・・・赤羽が原っぱだったんだもんなあ。
今は100億円持っていたって飛行機どころか空港すら作れませんものね(特に大都市近郊)。。。
夢がないですね。。。

ところで、遠征からお帰りになったのですか?( ̄ー+ ̄)キラーン
by tooshiba (2010-06-15 00:31) 

guchi

そうそう、とりさんお帰りの様子なので
北海道の土産話、乞うご期待ですね~
by guchi (2010-06-15 08:51) 

miffy

個人空港や飛行機を作ってしまうなんてスゴイですね~
自家用機を持ってる人はお医者さんが多いそうですが、昔も今もお医者さんが一番お金をもってるって事でしょうか・・・
by miffy (2010-06-15 16:12) 

seiren

医師が飛行場を作るとは凄いですね(@@)
規模も半端じゃないですね!
by seiren (2010-06-15 21:17) 

an-kazu

個人で!
こんなところに!!

今回もオドロキでした(^^)
by an-kazu (2010-06-15 21:17) 

春分

卵屋が飛行機会社を作るくらいだから、医者がつくったって・・・いいのか悪いのか。
それにしても、まったく存じませんでした。ときどき歴史には陽を当てないとなぁ。
by 春分 (2010-06-15 21:20) 

とり

■雅さん
>夢とお金の両方
すごい話ですよね~。

■me-coさん
本当に医者なの?? って感じ、確かにしますね^^;
当時の航空機メーカーにとって、顧客はほとんど軍に限られるわけで、
軍とどう付き合うか、軍からどう見なされるか、というのが非常に重要だったみたいです。
当飛行場の史料を見ていると、なんとなくその辺に経営不振の原因があるように感じます。

■tooshibaさん
>100億
隔世の感ですね~。(o ̄∇ ̄o)
戻ってまいりました<(`・ω・´)

■guchiさん
九月下旬から「北海道強化月間」の予定です^^

■miffyさん
>お医者さん
やっぱりそうなのですか(@Д@)
そういえば、以前自家用機に載せて頂いた時、何人かのパイロットさんとご一緒したのですが、
お医者さんいました。

■seirenさん
すごいですよね~。(@Д@)

■an-kazuさん
>個人で! こんなところに!!
同感です。オイラも初めて知った時には何かの間違いかと思いました。

■春分さん
>卵屋が
そう考えるとあまり違和感ないかもですね^^
by とり (2010-06-16 06:45) 

ジョルノ飛曹長

なんと!ここは飛行場があったんですね。^^;
仕事で何度か前を通りましたが・・・まったく気づかず・・・
by ジョルノ飛曹長 (2010-06-16 13:01) 

とり

■ジョルノ飛曹長さん
おお、仕事で通りましたか。
「こんなとこにあったのか!!」と驚くような場所ですよね。
by とり (2010-06-17 06:38) 

コスト

軍でも企業でもなくて、個人設置ってのはすごいですね。
23区の外れのほうとはいえ、5万坪ってすごい広さですよね(驚)
しかも、技術者でなくて医師ってのが謎ですねー
by コスト (2010-06-28 22:52) 

とり

■コストさん
本当にこの岸さんて方、ナゾです。
どんな医者だったんでしょう???
by とり (2010-06-29 18:41) 

岸 洋一

私は一太の孫です。一太の出生の地に住んでいます。私も一太の 事を調べています。
by 岸 洋一 (2011-03-16 13:53) 

とり

■岸 洋一さん
コメントありがとうございます。
偉大な祖父ですね。
どうぞ調査が進みますようにm(_ _)m
by とり (2011-03-17 05:54) 

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