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木脇(六野原)飛行場跡地 [├空港]

  2011年6月 訪問 

D20_0254.jpg

宮崎空港から西北西約19kmに位置する宮崎県‎東諸県郡‎国富町‎三名‎。

現在はご覧の通り広々とした畑が広がっていますが、かつてここに「木脇(六野原)飛行場」がありました。

当飛行場については結構多くのサイトで扱われており、「1,200m滑走路が2本あった」とする

サイトもあるのですが、1947年の写真(下記リンク参照)ではまったく確認できませんでした。

境界線も滑走路の位置もハッキリしないため、作図はナシです。

沿革にも書きましたが、当飛行場は1942年から1年半かけて飛行場として整備したのですが、

1926年には陸軍補助着陸場になっており、仮設滑走路約700mが設けられていました。

古くから飛行場適地として目を付けられていたのですね。 

 

2017/3/19追記:防衛研究所収蔵資料「第四十一航空地区飛行場記録 昭和二十年九月二十日(陸空-本土周辺-114)」

の中で、当飛行場についての非常に詳細な記述がありましたので、引用させて頂きます。

判決 自重三屯程度の飛行機の使用に可
飛行地区
 滑走地区 一六〇〇x六〇〇 張芝舗装
 舗装路 なし
 土質 粘質壊土 地表面張芝にして地対力概ね可
 周辺障碍物の有無 なし
付属地区
 誘導路 なし
 宿営 三角兵舎十二棟(二五〇名収容可)
 夜間着陸設備 なし
 動力線 なし
 電燈線 三角兵舎に配線ありしも暴風に依り大部破損しあり
 給水 井戸約五ヶコ?有するも水量少
風向 西北風多く海陸風の影響あり

D20_0247.jpg

跡地の一角に公園があり、碑がいくつかまとまって建立されていました。

「大刀洗陸軍飛行学校 木脇教育隊記念碑」

碑文(全文) 広大な六野原台地は、太平洋戦争中の昭和十八年十一月、大刀洗陸軍飛行学校木脇教育隊が開設され、昭和二十年五月までの一年六か月、当時の熾烈なる時局化、全国各地から愛国の至情に燃えてまだ少年の面影を残す若人達が、碧空に夢を託し連日飛行訓練に精励した地である。時はうつろい、四十有余年の歳月は緑豊かな農地に変容し、思いでの基地一帯は当時をしのぶすべもない。時あたかも平成元年、各方面の関係者により記念碑建立の気運高まり、本年六月奉賛会が結成された。ここにその青春の群像を讃えるとともに恒久平和への願いをこめて碑を建立する。平成元年十一月十八日 記念碑建立奉賛会 国富町長(以下氏名) 国富町議会議長(以下氏名) 在隊者代表(以下氏名) 在勤者代表(以下氏名)

他にも記念植樹の際の碑など、いくつかあったのですが、省略させて頂きますm(_ _)m 

 

D20_0257.jpg

偶然みつけたトーチカ。

幾つか残っているのだそうです。

 

木脇(六野原)飛行場跡地:map  
(中央の三角形の公園に碑があります。ストリートビューにも写ってました)


      宮崎県・木脇(六野原)飛行場跡地      

木脇(六野原)飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:宮崎県‎東諸県郡‎国富町‎三名‎
座 標:N32°01′26″E131°20′49″
滑走路:1,200m×2本(800m滑走路1本という資料もあり)
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1926年 01月 仮設滑走路「飛行第四連隊野外飛行演習六野原補助着陸場」完成。約700m 
       地元の在郷軍人会が建設に従事した。茶屋と吹上の中間点辺りにあり、滑走路は南西から北東にのびていた
       同年冬、飛行機が三機飛来し飛行演習。見物者多数
1942年 04月 陸軍省、飛行場計画地に決定
       11月 15日 起工式
1943年 11月 大刀洗陸軍飛行学校 木脇教育隊訓練場完成 
1945年 03月 21日 初空襲
       05月 戦局の悪化、再三の空襲により操縦訓練場としての機能を喪失したため、
       鳥取県湖山飛行場(後の鳥取市営飛行場)に全隊員移動、木脇教育隊操縦訓練場閉鎖

関連サイト:
国富町/大刀洗陸軍飛行学校・教育隊     
国土地理院 1947年1月当時の写真(USA M25A-20 103) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
宮崎の戦争遺構
防衛研究所収蔵資料「第四十一航空地区飛行場記録 昭和二十年九月二十日(陸空-本土周辺-114)」


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コメント 8

ジョルノ飛曹長

トーチカかっこいいーー
しっかりラピュタしていますよねー。^^
by ジョルノ飛曹長 (2011-11-04 12:42) 

鹿児島のこういち

宮崎空港のそばの跡地。やはり空港が造りやすい立地条件が揃ってるのでしょう。宮崎という土地は、何かを始める時や実験をするときには、うまいことを言われては、実験場と使われるのに、安全がわかったとたん都会に持っていかれる事が多く、産業的発展を阻まれてきてると思います。
東国原知事の「宮崎をどげんかせんといかん!」というキャッチフレーズは、宮崎県民に本当に響いたと思います。
by 鹿児島のこういち (2011-11-04 12:46) 

masa

素晴らしい田園風景ですね。
広くて、ここなら飛行場があってもいいですよね。
by masa (2011-11-04 21:43) 

takechan

今も畑の真ん中に普通に残ってる、というのが
何となく不思議ですね。あえて保存してる訳でも
ないのでしょうね。
by takechan (2011-11-04 22:09) 

Takashi

ううー。トーチカの写真に惹かれました。
そして何故か子供の時に見ていたコンバットを思い出してしまいました。
by Takashi (2011-11-05 00:13) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■ジョルノ飛曹長さん
た、確かにこれはラピュタですね^^

■鹿児島のこういちさん
宮崎というのはそういう県なのですか。
言われてみれば、リニアもエアロトレインもそうでしたね。。。

■masaさん
いかにも飛行場という感じで広々ですよね。
本当はファインダーに収まりきれない位、もっと広々でした。

■takechanさん
確かに不思議な光景ですね。
特に文化財指定等されていないと思いますが、
よく今まで残っていたものだと思います。

■Takashiさん
このトーチカ、Takashiさんならどうやって切り取るのでしょう^^
by とり (2011-11-05 06:12) 

sak

トーチカ、なんかいいですね
by sak (2011-11-06 18:19) 

とり

■sakさん
アハハ、トーチカが結構人気だ^^
by とり (2011-11-07 05:47) 

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