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越谷陸軍(論田、新和、荻島)飛行場跡地 [├空港]

 2010年4月,2015年4月 訪問 

無題.png

A:滑走路跡撮影地点 B:隠し暗渠撮影地点 C:コンクリート台 ←:隠し暗渠 →:誘導路跡

2015/7/4追記:越谷飛行場(別名新和飛行場)には2010年4月に一度お邪魔していたのですが、その後地元にて非常に詳細な調査がなされ、その報告書がネットで公開されました。この報告書を元に再びお邪魔した際の情報を追加しました。遺跡の名称はこの報告書に準じたものです。  

埼玉県さいたま市岩槻区と越谷市にまたがるしらこばと公園に接する部分に「越谷陸軍飛行場」がありました。

地名から「論田(ろんでん)飛行場」と呼ばれた他、旧新和村と旧荻島村にまたがるため、「新和飛行場」、「荻島飛行場」とも呼ばれました。

飛行場建設は暗号名「ソヒノコ」工事と称し、昭和19年7月、13軒の農家が陸軍から呼び出され、退去を命じられました。

即建設開始。

当初は飛行場設定帯の700名によって工事が行われました。

その後、近隣住民の勤労奉仕、動員された朝鮮人によって炎天下、雨天の中、人海戦術による突貫工事が続きました。

同年9月20日完了予定でしたが、悪天候が続いたことその他の理由から工事は著しく遅延。

新たに追加工事の施工命令が発せられました。

また飛行場建設に伴い、燃料や爆弾の貯蔵庫が足立郡大門村(現・さいたま市緑区、川口市の辺り)に設置されましたが、これらは使用されないまま終戦を迎えました。

終戦直前、着陸しようとした飛行機が止まりきれずに飛行場の外堀に衝突。結局飛行機が飛んだのはその1度きりでした。

戦後、飛行場に400人ほどの連合軍将兵が進駐してきましたが、駐留期間中さまざまなトラブルを起こしました。

越谷地域に数多く生息してた白子鳩は進駐軍の銃による乱獲で絶滅に瀕したと言われるそうです。

進駐軍はほどなく移動し、不安におののいていた周辺町村はようやく静けさを取り戻したのでした。

 

滑走路は幅60mのコンクリート製で、東京の復興工事に使うためにこのコンクリを業者が引き取りに来ました。

飛行場跡地に建てられたお宅の庭には、実際に滑走路の表面を覆っていた大粒の砂利が混じった薄いコンクリートが現在でも残っているのだそうです。

 

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しらこばと公園

 

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A地点:滑走路だった直線道路。

周辺は産廃業社が多く、大型車が激しく行き交ってました。

 

 



以下、2015年4月にお邪魔した際の追加情報です。

 

報告書を元に遺構を見てきました。

 

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B:隠し暗渠(2枚とも)

滑走路を囲むようにして建設された排水施設 

 

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C:巨大なコンクリート台(3枚とも)

 

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報告書によれば、この巨大なコンクリート台のすぐ東側に格納庫跡地があり、すぐ北側には兵舎跡地があります。

またここ以外にも、滑走路南端の東側、越谷ホームの所に兵舎跡地があり、

しらこばと水上公園の少し西側、新和小学校の北側に台地を削った格納庫跡地があり、

これは隠し格納庫と考えられているそうです。

 


飛行場関連の遺構はここから離れた場所にもありました。

無題1.png

D地点:さいたま市岩槻区南平野1-33-5 稲荷神社

飛行場跡地から北西約6.5kmのこの場所には、滑走路で作った碑が残っています。 

 

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道路(元荒川側)から見るとこんな感じ。 

上に「興農事業完成記念」と記されていて、その下にギッシリと文字が刻まれているのですが、風化が進み判別困難。

 

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裏に回ってみるとこんな感じ。

(上の囲み部分全文)岡崎大沢両氏ハ昭和二十二年村民一同ニ推レ代表ニ就任スルヤ部落厚生福祉ノタメ本事業ニ着眼シ工事ノ設計工築ヲ担当シ自己ヲ忘レ一意専心事業完成ニ努力セラレ其目的ヲ達成セリ茲ニ記念碑建設ニ当リ碑石ハ新和飛行場ヨリ運搬使用セル一片ヲ残シ両氏ノ設計工作ニヨリ碑ノ完成ヲ見タリ洵ニ両氏ノ業績大ナリ其偉徳ヲ感激シ謝恩ノ一端ヲ披瀝セシガタメ碑ニ刻シ後年ニ傳ヘ讃ヘントス 村民一同

囲みの下には、事業に携わった方々の氏名が記されていました。

 

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「記念碑建設ニ当リ碑石ハ新和飛行場ヨリ運搬使用セル一片」と刻まれた部分(の一部)。

 

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滑走路部分の拡大。

たまたま近くにおられた高齢のご婦人から碑についてお話を聞くことが出来ました。

「一部崩落してしまったんですよ。(滑走路の一部を)牛車でここまで引っ張ってきてね、セメント塗って文字書いたのをここの年寄りは皆知ってますよ」

前述の通り、飛行場から直線距離で6.5kmも離れたこの場所まで、よくぞ運んできたものです。

牛車ですから運ぶ作業だけで1日がかりなんじゃないでしょうか。

おかげでこうして現在でも飛行場そのものの痕跡を目にすることが出来るのです。

「わざわざここまで運んできたんですね~」と申し上げたところ、

「何がしたかったんだかね」

という非常にクールなお答えが返ってきました Σ(゚Д゚;) 

 

越谷陸軍飛行場:map  


    埼玉県・越谷陸軍飛行場跡地     
本土決戦のため東京周辺に作られた飛行場の一つだそうです

越谷陸軍飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:埼玉県さいたま市岩槻区高曽根、越谷市小曽川
座 標:N35°54′44″E139°45′00″
滑走路:1,500m×60m
磁方位:17/35
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1944年07月 工事開始
1945年08月 完成
1945年10月 進駐開始
1946年01月 進駐軍撤収

関連サイト:
戦後六〇年の幻の荻島飛行場(pdf)    
国土地理院 1947年10月当時の写真(USA R393 167) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   

この記事の資料:岩槻市史


コメント(23)  トラックバック(0) 
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コメント 23

雅

工事開始が1944年7月ですか。
もっと他にやることはあっただろうに、と思っちゃいました。
by (2010-06-23 21:53) 

鹿児島のこういち

飛行が一回きり、しかもオーバーラン?f^_^;
戦中末期の混乱ぶりがわかる事かもしれませんね!
by 鹿児島のこういち (2010-06-23 22:23) 

yatoho

とりさん こんばんは

直線道路、アレだけ長そうだと両方を閉めてよーいドン!したいですね^^いえバイクでです^^

by yatoho (2010-06-23 22:58) 

an-kazu

実はとりさんと調査に行きたい"物件"があるのですが・・・
by an-kazu (2010-06-23 23:07) 

tooshiba

進駐軍の悪さでシラコバトが絶滅の危機・・・なんて聞くと、悪い鬼畜米に怒りがふつふつと。
中国人なら食べていたでしょうし、うーん。。。
by tooshiba (2010-06-24 00:53) 

masa

滑走路だった道路、まっすぐでいかにもですね。
by masa (2010-06-24 03:02) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■雅さん
同感です。
それでも全国で見ると、建設開始時期はこれでも決して遅くない方なんですよ^^;

■鹿児島のこういちさん
そうですね~。結果的論ですが、わざわざ転居した方もいらっしゃるし、とても勿体ないことですね。

■yatohoさん おはようございます。
一体何キロ位でるんでしょうか^^

■an-kazuさん
マジですか。え~。何の物件だろう。気になります。

■tooshibaさん
記録を見ると、今回のケースのように進駐軍の極悪非道ぶりが目立つものと、非常に紳士的で友好的だった。
というものと別れますね。その部隊の隊長さん次第ということなんでしょうか。
進駐までに至るその部隊の経緯も関係するんでしょうか。

■masaさん
そうですね~。確かに「いかにも」ですね。
おかげで最近は地図で真っ直ぐを見ただけで、「もっ、もしかしてここも飛行場??」とか考えてしまいます。
ビョーキですね^^;
by とり (2010-06-24 07:24) 

まめ助の母

こんなところも滑走路だったんですか〜
もうね、最近まっすぐなところ走ると
滑走路だったのかな?って
そんなことはなさそうな工業団地とか
走りながら考えたりしてます

シラコバト…コバトンですよね
絶滅するほど撃つってどんだけでしょうね…
可哀想に…
by まめ助の母 (2010-06-24 21:29) 

me-co

白子鳩、ストレス発散で撃たれたのでしょうか?
ウチの親類の話、子供の頃、進駐軍に「ヘイ!ヤンキー」って野次ったら殺されそうになったらしいです・・・子供にまでコレですから相当ストレスが溜まっていたんでしょう(ーー;)
by me-co (2010-06-25 00:51) 

sak

1度だけしか使われなかったのですね...
でも、この直線道路見ると
飛んでく姿想像しちゃいます
by sak (2010-06-25 06:41) 

とり

■まめ助の母さん
>まっすぐ
ちょっとヤバい症状が出てますね~(o ̄∇ ̄o)ニヤ
>どんだけ
面白がって撃ったんですかね(#゚Д゚) プンスコ!

■me-coさん
>白子鳩
オイラも同じこと考えました。
>殺
Σ(゚Д゚;) 恐ろしいですね。
球団名にまでしてるってのに、日本人から言われると殺・・・
その米兵、よっぽどヤンキーだったんですね。

■sakさん
わざわざ移転までした人たちがいたというのにこんなですからね~( ̄人 ̄)
なんとも・・・。
by とり (2010-06-26 04:45) 

コスト

>飛行機が飛んだのはその1度きり
終戦の8月に完成だとやはりそうなりますか、それも激突って・・
せっかく立ち退いた農家の人もこれでは・・。
白鳩乱獲ってどれだけ撃ちまくったんでしょうか?
そういう記録も貴重ですね。
by コスト (2010-06-28 23:05) 

とり

■コストさん
>これでは・・。
まったくですね。
移転した方はやり切れない思いを強くしたんじゃないでしょうか。
by とり (2010-06-29 19:12) 

たろすけ

はじめまして
検索で来ました。
私はこの日工場跡地の滑走路のもう少し南側に住んでいます。
飛行場の施設はオレンジでマーキングされているところよりさらに南側まで
あったと思われます。実際今でも当時の管制塔か何かの鉄塔の基礎部分や
田んぼの水路を当時作ったと思われる玉砂利入りのコンクリート蓋が現在でも
残っています。その蓋は頑丈で現在でもしっかり強度を保っています。
by たろすけ (2010-10-07 10:22) 

とり

■たろすけさん いらっしゃいませ^^
地元の貴重な情報感謝致しますm(_ _)m
あのオレンジ線は滑走路の中心線でして、
記事の最後のリンク先(国土地理院 1947年当時の写真)をご覧頂きますと、
飛行場敷地の範囲がはっきり確認できます。
宜しければご確認くださいませ。
by とり (2010-10-07 21:31) 

さいりゅー

今日家でロンデン飛行場の話が出たので調べて見ました
大門の住人です
詳しい情報ありがとうございました
by さいりゅー (2013-02-17 21:58) 

とり

■さいりゅーさん いらっしゃいませ
少しでもお役に立てたのでしたら幸いです。
コメントありがとうございました。
大間木に支社があって毎週通っています。ご近所ですね^^
お返事が遅れてしまい大変申し訳ありませんでした。
by とり (2013-03-10 08:16) 

ひろぱぱ

はじめまして。なんとなく検索したらたどり着きました。
この飛行場は西高生はみんな知ってるお話ですね。
オーバーランだけでなく墜落事故も1件あったそうでうす。

by ひろぱぱ (2014-12-15 09:02) 

とり

■ひろぱぱさん いらっしゃいませ
返事が遅くなってすみません。
コメントありがとうございました。
by とり (2014-12-25 06:20) 

らるふ

リンク切れの「戦後六〇年の幻の荻島飛行場」はコチラではないでしょうか?
http://koshigaya-kkk.sakura.ne.jp/357.pdf

NPO法人越谷市郷土研究会
http://koshigaya-kkk.sakura.ne.jp/index.html.html
研究報告
http://koshigaya-kkk.sakura.ne.jp/a_04.htm
by らるふ (2015-11-20 01:14) 

とり

■らるふさん いらっしゃいませ
これです!
リンク貼り直ししました。
情報ありがとうございました。
by とり (2015-11-20 05:19) 

らるふ

そうですか良かったです。
因みに、「戦後六〇年の幻の荻島飛行場」でググッたら一番上に出てきただけなんですがね(笑)
by らるふ (2015-11-20 18:51) 

とり

■らるふさん 
そうだったんですか!
教えて貰わなかったら、いつまでも気が付かずにそのままだったと思います(汗)
by とり (2015-11-21 21:42) 

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