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小原(熊谷南)飛行場跡地 [├空港]

  2010年4月 訪問 

無題2.png

熊谷飛行場の南東約7.5kmの所に旧陸軍の「小原(熊谷南)飛行場」がありました。

上の地図は1947年の航空写真を参考にしたものです。

滑走路の両端は道路の形状で途切れているので、実際にはもっと長かったはず。

当時、飛行場は「小原村」にあったため、「小原飛行場」と呼ばれました。

その後1955年に小原村と御正村が合併して江南村となり、更に現在では熊谷市の一部となっています。

 

現在滑走路の中央部分は「埼玉県農林総合研究センター畜産研究所」になっており、

この研究所内にかろうじて滑走路の地割が一部残っています。

周辺は山林、畑、そして宅地になっており、当時の痕跡を見つけることはできませんでした。

熊谷飛行場のことはいくらでもネットに出てくるのですが、

当飛行場のことはほとんど情報がありません。

 

D20_0060.jpg

滑走路東端と思われる辺り。

 

小原(熊谷南)飛行場:map  


    埼玉県・小原(熊谷南)飛行場跡地     
この飛行場は近くの有名な寺の土地(雑木林や畑)も多く使われました。寺が将校宿舎ともなっていたそうです。そして兵隊の宿舎には小原国民学校(現在 江南南小学校)が使用れたのだそうです(通りすがりさん情報ありがとうございました)

小原(熊谷南)飛行場 データ
設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:埼玉県熊谷市須賀広
座 標:N36°06′31″E139°21′05″
滑走路:1,800mx90m?(再生おじさんさんより)
磁方位:13/31
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1944年 11月頃建設始まる
1945年 02月28日 小原村事務報告に、「小原村地内飛行機滑走路、誘導路工事が進行中」と記載あり
       08月14,15日 熊谷空襲。江南町域でも成沢、下押切で28戸消失。御正国民学校に4発、校庭に70初の焼夷弾
1946年 01月08日 小原飛行場跡地の物資を盗み出す者が多いので熊谷警察署員が看視に立つ
1947年 02月01日 小原村の小原飛行場跡地に日本清明牧農社(引揚者及び復員軍人の協力団体)
               が開拓計画を立て入植者50世帯とする計画が報道される

関連サイト:
国土地理院 1947年11月当時の写真(USA R465-No1 17) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   

この記事の資料:「江南歴史年表」(江南町史通史編別冊付録)


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コメント 23

まめ助の母

こんなところも滑走路!
さすがに近辺を走ったことはあるかもしれませんが
想像だにできませんでした…
資料ないんですかね…
わからないとなると調べたくなりますね〜
by まめ助の母 (2010-07-10 23:34) 

tooshiba

こうなると、地元の新聞社とか、付近の長老への突撃インタビューとか。
とりさんならできる!できるよ!(^o^)
by tooshiba (2010-07-11 02:29) 

masa

写真で見ても滑走路とはわかりづらいですね。
by masa (2010-07-11 13:53) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■まめ助の母さん
ここは非常に資料が少なくて、そのスジでも超マイナーな部類だと思います^^

■tooshibaさん
ヘタレなオイラに長老とか新聞社はちょっとハードル高いッスよ~。^^;

■masaさん
施設内以外地割が残ってなくて、完全に宅地、畑になってますからね。
もう想像するだけですね。
by とり (2010-07-12 06:32) 

鹿児島のこういち

写真拝見しました。はっきり滑走路写ってますねぇ(^O^)
直撃インタビューではなくても、地元の図書館とか歴史史料館などに、資料とかないものでしょうかね(^O^)(無理に探せとは言ってませんよ!私は言ってませんからねぇ~(^O^))
by 鹿児島のこういち (2010-07-12 18:15) 

とり

■鹿児島のこういちさん
一応地元に図書館があってそこで探したのですが、記事に載せた程度の少しの情報しかありませんでした^^;
by とり (2010-07-13 05:58) 

再生おじさん

こんばんは

アーカイブの転圧痕から、滑走路のサイズは幅90×長さ1800mかと思われます。

ちなみに、先日現地を訪問しましたところ、研究所が造成工事中?で、研究所内の滑走路幅の地割を柵の外から撮影できました。
また、東の方の林に入って状況を確認してみましたところ、研究所東端から緩やかな下り傾斜っぽくなっていました。

by 再生おじさん (2014-01-05 00:01) 

通りすがり

この飛行場の土地の多くは近くの有名な寺の土地でした。
そして寺が将校宿舎ともなっていたそうです。
2代前の住職が寺を乗っ取った(?)
らしいので当時の事を知る人は今、
この寺にはいないそうです。

by 通りすがり (2014-02-05 17:33) 

とり

■再生おじさんさん
お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
情報ありがとうございます。
記事に反映させて頂きましたm(_ _)m

■通りすがりさん
お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
情報ありがとうございます。
記事に反映させて頂きましたm(_ _)m
by とり (2014-02-20 12:37) 

通りすがり

その後の調査で若干の訂正加筆がありました。
誤「この飛行場の土地の多くは近くの有名な寺の土地でした」
正「この飛行場は近くの有名な寺の土地(雑木林や畑)も
   多く使われました。」
そして兵隊の宿舎には小原国民学校(現在 江南南小学校)が使用
されました。
将校たちは終戦前日に宿舎の寺から一斉に撤収しその晩の空襲では寺の山門前の家が燃えたそうです。
この飛行場のあった2つの村、旧小原村野原にいた方は将校を見たことがあっても飛行機は見たことが無かったと言い、旧御正村の方は赤トンボを見たと言っていました。
そして野原古墳群内には掩体壕の跡もあるそうですが私はまだ確認をしていません。
再生おじさんご指摘のこの飛行場の米軍コード「MAGECHI」ですが、この飛行場のあった小原村や御正村の名称ではなく隣接する万吉(マゲチ)村(1889年より吉岡村万吉・1955年より熊谷市万吉)の名称がなぜ付いているのか不思議でした。
調べてみると万吉には飛び地があることがわかりました。
地図を見ると農林総合研究センター畜産研究所(熊谷市須賀広)の中にも万吉の飛び地がありました。
以上宜しくお願いします。

by 通りすがり (2014-03-19 20:31) 

とり

■通りすがりさん
貴重な情報感謝致します。
後日記事修正させていただきます。
by とり (2014-03-20 07:06) 

あるく

はじめまして
埼玉県の旧飛行場跡地に興味を持ち
今年から時々訪れているものです。
1つお伺いをしたいのですが
文献等を探してもも「熊谷南飛行場」というのが
なかなか見つかりませんでした。
何を見ると「小原=熊谷南」
という事がわかるのでしょうか。
お教えください。
稜威ケ原飛行場の草原が北飛行場と南飛行場
に分かれているという私家版の印刷物は見つけたのですが
これでは小原が熊谷南ということにはなりません。
以上、突然ではありますが宜しくお願いいたします。

by あるく (2014-04-06 17:11) 

とり

■あるくさん いらっしゃいませ
「熊谷南飛行場」という名称についてですが、地元図書館にお邪魔した際、
「江南歴史年表」(江南町史通史編別冊付録)から該当部分をコピーではなく書き写したのですが、
書き写したものを確認してみたところ、
「1944 11月頃 小原陸軍飛行場建設始まる(熊谷南飛行場)現農林総合研究センター」
と記されていました。
(熊谷南飛行場)というのは、オイラが勝手に書き加えてしまった可能性があり、あやふやで申し訳ないのですが、
機会がありましたら確認してみようと思います。
こんなことならコピー取っとけばよかった^^;

また、「帥作命丙第119号別紙」(1945年7月22日付)という資料があり、
この資料記載の「陸軍飛行場一覧」には、本州内の陸軍飛行場が網羅してあるのですが、
東部軍管区の中に、埼玉県内諸々の飛行場と共に「熊谷南(秘匿)」が出てきます。
そして小原は出てきません。
陸軍の一次資料内の記載ですから、「熊谷南」が正式名称、「小原」は地元の通名ということなのだと思います。
こちらの資料は防衛研究所史料室で確認できると思います。

ご確認済みかもしれませんが、ネットだとこちらに出てきます↓
(以前は「熊谷南」でもう少しヒットしたはずなのですが…)
http://www.warbirds.jp/airport/saitama/
by とり (2014-04-07 06:23) 

あるく

大変お手数をおかけいたしました。

昨日「さくら弾機」に関する本を読んだところ
偶然、 松山(熊谷南)飛行場という記述を
見つけました。
ですが内容を読むとどうも立川、多摩(福生)飛行場
のことを言っているようで誤記と私は判断をしました。(残念です)

今回はありがとうございました。また宜しくお願いします。
by あるく (2014-04-08 10:14) 

通りすがり

度々失礼します。
江南町史の中で小原飛行場という呼び名とは別に「静簡院原飛行場」という呼び名を見つけました。
旧小原村側の名称ではなく旧御正村成沢に今もある静簡院という寺
の名称が付いた飛行場名を初めて目にしましたのでお知らせ
いたします。
ちなみに以前私が書かせていただいた寺(旧小原村野原)とは別の寺です。

by 通りすがり (2014-04-08 19:04) 

とり

■あるくさん 
当時から随分時間が経ってしまいましたからね。
一次資料にも間違いが指摘される例もあるそうですから、
そういうスタンスで見た方がよいのだと思います。
こちらこそどうぞよろしくお願い致します。

■通りすがりさん
またまた貴重な情報ありがとうございます。
静簡院は当飛行場に極めて近い場所にありますね。
通常なら別名なのだろうと思うのですが、そうすると、
「旧小原村野原の有名な寺の土地(雑木林や畑)も多く使われた」にもかかわらず、
敢えて別の寺の名称が付いたことになります。
不思議ですね。
どうもありがとうございました。
by とり (2014-04-09 05:52) 

通りすがり

静簡院原飛行場の名称ですが
熊谷飛行学校も旧三尻村に多く属していたのにもかかわらず三尻の
名前が付けられず熊谷とされた事に対して三尻村は陸軍省などへの
陳情運動と熊谷での不買運動を行ったと熊谷陸軍飛行学校小史に書
かれていました。
私のあくまでも推測ですがこれと同様に御正村側も独自の名称を
付けたのではないでしょうか。
旧小原村出身者(83歳)に聞いてみましたが静簡院原飛行場と
いう名称は聞いたことが無いと言っていました。
この2つの村が合併して江南町になった時も両役場は使わずに役場
を真ん中近くに新しく造ったそうです。

もう1つ面白い? こともわかりました。
江南町史に「小原陸軍飛行場の造成作業(目で見る熊谷・深谷・
大里の100年より 昭和19年)」という写真が載っていました
のであえて引用した本を見てみるとその写真は「熊谷農学校の勤労
奉仕隊」熊谷市昭和15年頃 というキャプションがついている
食糧増産の写真でした。
どちらが正しいキャプションなのかはわかりませんが、、、。

何度もお邪魔しましてすみません。

by 通りすがり (2014-04-11 12:42) 

とり

■通りすがりさん
>旧三尻村
熊谷飛行場にそんないきさつがあったのですか。
大戦当時、軍の正式名称以外に、地元の方が地名で呼ぶケースは多々あり、
一つの飛行場に二つも三つも付いている例もあります。
ご存知でしたら申し訳ないのですが、三重県の「三重海軍航空隊」は、元々地名から「香良洲(からす)飛行場」として
建設が始まったのですが、「軍用飛行場にカラスでは勇ましくない」ということで、「三重海軍航空隊」になったのだそうです。
静簡院原飛行場の件、通りすがりさんのご推察通りかもしれませんね。
興味深いお話ありがとうございました。
また何かありましたら是非教えてください。m(_ _)m
by とり (2014-04-12 05:54) 

あるく

こんばんは、資料室がウイークデー以外は閉館ということで
知り合いにその複写を頼んだら
「帥作命丙第119号別紙」は地図か表のタイトルなので
その表が含まれている本や綴りの名前がわからないので
検索もできなかったと言われてしまいました。

しかも複写は業者に依頼するため2~3週間もかかるのだそうです。
(値段は聞かなかったですが紙以外への複写でしたらかなり
高くなりそうな気がします)ご報告まで。

by あるく (2014-05-18 19:14) 

とり

■あるくさん 
>「帥作命丙第119号別紙」
これは、「飛行場の場所を教えてくださいm(_ _)m」記事で教えてもらったことなので、
何に含まれているのか分からないんですよ。
お役にたてず申し訳ありません。
一応尋ねてみますね。
by とり (2014-05-19 06:34) 

あるく

いえいえ
こちらこそ
すみません
by あるく (2014-05-19 10:31) 

とり

■あるくさん 
お問い合わせの件、回答を頂きました。
http://airfield-search2.blog.so-net.ne.jp/2012-03-11
↑こちらの記事のコメント欄 by のぶさん (2014-05-19 09:13)
をご確認くださいませ。
by とり (2014-05-19 20:19) 

あるく

お手数をおかけいたしました。
感謝です。m(_ _)m
by あるく (2014-05-20 07:02) 

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