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明治航空基地跡地 [├空港]

  2010年7月 訪問 

明治d.png

愛知県‎安城市にあった「明治航空基地」。

中島半田飛行場の東約7kmに位置しています。

滑走路がたくさんありますね。(@Д@)

当飛行場は詳しく調べているサイト様がたくさんあって、上図はそれらのサイト、現地に展示されている地図、1945,1946年の航空写真等を参考に作りました。

おおよそこんな。

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:明治 建設年:1943 飛行場長x幅 米:800x30 700x30 600x30 300x30x2コンクリート 主要機隊数:小型3.0 主任務:作戦 隧道竝ニ地下施設:居住、燃料庫分散、指揮所、電信所、爆弾庫 掩体:小型有蓋10 小型無蓋178

D20_0155.jpg

きちんと場所を記録してなかったのであやふやですが、A地点付近に「農村公園」があって、園内に碑がありました。

「明治航空基地之碑」(全文) 太平洋戦争たけなわの一九四三年四月、横須賀海軍施設部の監理の下、当時の愛知県碧海郡明治村大字東端、根崎、和泉の三集落に挟まれた約二百ヘクタールの農地に、海軍の軍用飛行場の建設が始められた。そして、翌年五月下旬から終戦(十九四五年八月十五日) に至るまで、建設工事と並行して海軍航空隊が航空基地として使用した。その間、配備航空隊は、訓練部隊として、練習航空隊の教育を終えた搭乗員に対し、当時の各種新鋭機(「零戦」「紫電」「月光」「彗星」「天山」「彩雲」等)の使用に慣熟させる為の練成訓練を行うと共に、一九四四年十二月から翌年四月にかけては、作戦部隊として、主に名古屋地区に来襲した米陸軍長距離戦略爆撃機B-29の迎撃や、米軍沖縄攻略部隊の撃滅作戦(沖縄特攻作戦)に参加した。また、一九四五年一月十三日早朝、この地を襲った三河地震東端の被害、住宅全壊七七、同半壊一二一、死者二四、重傷五、軽傷三六、等)の際は、近隣町村被災者の救出、救護並びに災害の復旧に当たった。太平洋戦争終結五十周年を記念し、改めて世界恒久の平和を祈念するとともに、その歴史的事実を後世に伝えるため、この碑を建てる。一九九六年三月 東端町内会 明治航空基地配備航空隊名 一九四四年五月~七月 第三四五海軍航空隊明治派遣隊 同年七月~九月 第三四一海軍航空隊明治派遣隊 同年九月~終戦 第二一〇海軍航空隊 一九四五年六月~終戦 東海海軍航空隊
 

D20_0158.jpg

碑文横の地図。

 

D20_0154.jpg

公園のすぐ近くにある「燃料庫」。

 

D20_0164.jpg

周辺の様子。現在飛行場跡地は宅地、工業地帯となっている他、平成19年まで大規模なほ場整備を行っており、

大区画農地が広がっています。

 

明治航空基地:map  


      愛知県・明治航空基地跡地      

明治航空基地 データ

設置管理者:旧海軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:愛知県‎安城市‎東端町‎
座 標:N34°54′41″E137°02′01″
面 積:198ha
滑走路:1,400m×25m2本、1,200m×25m4本
 (1,250mx50m)x2、(1,500mx50m)x2 「日本海軍航空史」(終戦時)より
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1943年04月 着工
1944年05月 使用開始
          戦後に開墾整備が行われる

関連サイト:
国土地理院 1945年4月当時の写真(97G7 C1 57) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   


コメント(15)  トラックバック(0) 
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コメント 15

鹿児島のこういち

写真で見ても大きさがわかります。当時の燃料庫も残ってるんですね。
これだけの海軍の重要な施設だったのなら、米軍の相当な攻撃目標にされたでしょうに、写真にははっきりと滑走路がわかりますね。
by 鹿児島のこういち (2010-12-08 06:28) 

sak

6本の滑走路ってすごいですね
残っていたら日本一の飛行場になっていそうな...
使いやすさはわからないけど...
by sak (2010-12-08 18:29) 

tooshiba

複雑なレイアウトですが、一度に大量に離着陸できるとか、メリットがあったんでしょうね。
by tooshiba (2010-12-08 21:40) 

Takashi

滑走路の本数、多いですね。
これだけ規模が大きくても、残っているのは燃料庫ぐらいなんですね。
by Takashi (2010-12-08 22:37) 

an-kazu

燃料庫は、物置のように使われたりしているのでしょうか?
by an-kazu (2010-12-08 23:51) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■tooshibaさん
そうですね~。
あと、末期には被爆に備えて複数本の滑走路を建設するケースが増えたので、
それもあるかもしれません。

■Takashiさん
>燃料庫ぐらい
こういうケースを見ると、現在にどの程度残るかに規模は関係ないように
見えますね。戦後の食糧難にお役に立ったということで^^

■an-kazuさん
すみません、よく分かりませんでした。
掩体壕と違ってそんなに入らなそうですよね^^;
by とり (2010-12-09 06:06) 

鹿児島のこういち

昨日も、また米が載りませんでした(T_T)(^O^)
またチャレンジして貼ってみます(^O^)昨日のをコピペで(^O^)

写真で見ても大きさがわかります。当時の燃料庫も残ってるんですね。
これだけの海軍の重要な施設だったのなら、米軍の相当な攻撃目標にされたでしょうに、写真にははっきりと滑走路がわかりますね。
by 鹿児島のこういち (2010-12-09 09:11) 

miffy

こんなにたくさんの滑走路が必要だったんですね。
どれかひとつがダメになっても使えるようにしてたわけですか・・・
by miffy (2010-12-09 19:41) 

雅

燃料庫は、地下タンクになってたんでしょうかね?
by (2010-12-09 21:49) 

me-co

なんじゃこの滑走路は(@Д@)
どうやって管制するのかな?
ぶつからなかったのかなぁ???
by me-co (2010-12-09 23:48) 

とり

■鹿児島のこういちさん
毎度お手数おかけ致しますm(_ _)m
確かに相当標的になったんでしょうね~。
よく残っていたものだと思います。

■miffyさん
本当にビックリするほどの滑走路の数ですよね。
愛知県ですから軍の力の入れ方もきっとすごかったんでしょうね。

■雅さん
すみません、オイラもわからないんですよ。
地下っぽい気もしますが。。。
今度調べてみますね。

■me-coさん
多分滑走路のコンディション、風向きで使用滑走路は限定されたはずです。
ビリヤードみたいなことにはならないと思いますよ^^
by とり (2010-12-10 06:19) 

sak

6本の滑走路ってすごい
残っていたら日本最大の空港になっていたかも...
ってコメント入れたらエラーが出て
もう一度(^^
by sak (2010-12-10 09:30) 

とり

■sakさん
アララ…。
どうもお手数お掛けしました^^;
日本にもこんな規模の空港があればいいんですけどね~。
by とり (2010-12-11 07:59) 

春分

微妙に五芒星じゃないのだなぁ。
by 春分 (2010-12-12 18:42) 

とり

■春分さん
あ~、確かにちょっと惜しい感じですね^^
by とり (2010-12-13 06:22) 

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