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名古屋飛行場跡地 [├空港]

 2010年7月訪問 最終更新日:2017/4/23  
 

 

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1945年4月当時の写真(97E5 C7 106) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

名古屋市‎港区にあった「名古屋飛行場」。

先頭のマップは、防衛研究所収蔵資料「水路部 航空路資料第4 昭和19年6月刊行 中部地方飛行場及不時着陸場」、

1945年4月の航空写真から作図しました。

同資料内に当飛行場についての非常に詳細な記述がありましたので、一部引用させて頂きます。

第5 名古屋飛行場(昭和18年9月調)
管理者 航空局。
位置 愛知県名古屋市港区第11号埋立地
 (名古屋港西突堤の北側、35°3′6N,136°51′2E)。
種別 公共用陸上飛行場。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上約5.5米。
広さ及形状
 本場は長さ南北(最大)1,150米、東西(最大)850米の略短形地なり着陸地域は概ね図示の3條の舗装滑走路及之を含む施工転圧市区を最適とす(付図参照)。
地表の土質
 海底の土砂を以て埋立たる上に厚さ約5寸の山土を敷く。
地面の状況
 概ね平坦なるも中央部稍高く場周に向け放射状の下り勾配(1/500)を有す。地盤は埋立後日尚浅き為転圧地区以外は稍軟弱にして豪雨後は沈下する箇所あり。滑走路以外は殆ど一面に芝密生す。
 滑走路は「マカダム」式簡易舗装にして長さ南北660米、北西-南東680米及北東-南西580米、幅各30米の3條あり、降雨及季節に因る影響なく平坦且堅硬なり。各滑走路の両側巾約90米の地区は炭殻及山の混合物にて施工の上転圧せるを以て極めて平坦且堅硬なり。自然排水概ね良好にして場端付近以外は水溜を生ずることなし。
場内の障碍物
 北東隅に総合兵舎、格納庫、無線通信所の「アンテナ」及場周に高さ3米の分電室等あり。
適当なる離着陸方向
 各滑走路方向を可とするも恒風の関係上冬季は北西、夏季は南西を最適と認む。
離着陸上注意すべき点
 北方約1,500米に高さ60米の工場煙突3基あり、南北方向の離着陸の際障碍となるを以て注意を要す。風向の如何に拘わらず滑走路を主用するを原則とす。
施設 
 大日本航空株式会社所属格納庫(間口40米、奥行40米)1・修理工場・三菱重工業名古屋航空機製作所格納庫2あり・総合庁舎内に航空局出張所、大日本航空株式会社事務所、中央気象台気象観測所、無線通信所等あり。
昼間標識 吹流1・発煙信号器・地名標識「ナゴヤ」(右書)あり。
夜間標識 場周燈・滑走路進入燈・着陸照明燈4・非常投光器・溢光燈・障害物標示燈・T型風向指示燈・風速標示燈・航空灯台等あり。

周囲の状況
河海
本場は名古屋内港の南西方に在る第11号埋立地にして三方は海面にして至近に障碍となる山岳等なし・陸上連絡は建物敷地の北東隅より突堤に依り名古屋市港区に連絡す・東方海面は名古屋内港への船舶出入水路にして常時汽船の通航頻繁なり・北西方約1粁に庄内川、約2粁に日光川の各河口あり。
堤防 
場の南東端より南方へ長さ2,100米の名古屋港西突堤あり、平均水面上の高さ2米にして南端に礎上高16.4米の西突堤灯台あり・北西方約1粁に長さ南北2,000米の庄内川河口導流堤あり。
煙突
北方約1,500米に工場煙突(高さ60米)3基、塵埃焼却場煙突(高さ38米)1基、之より南方約500米に家畜検疫所煙突(高さ20米)1基あり。
建築物
場の北東隅に飛行場総合庁舎、格納庫等の建築物ある外付近に障碍と為るものなし。
電線
北方稲永新田地先より北東方の堤防上を經て場内に架設せる高さ5米の高圧電線及場内北東隅に無線通信所の「アンテナ」あり。
著目標
名古屋市、名古屋港、庄内川河口、西突堤灯台、煙突(北方約1,500米)3基・北方約1,500米に在る塵埃焼却場煙突は終日白煙を噴き風向測定に利用せられ且遠望極めて顕著にして約30粁の遠方より望見し得と言う。
 

前記事「名古屋国際飛行場」の話と重なりますが、

「名古屋にも東京、大阪に負けない民間飛行場を!」という地元の熱意によって始まった建設計画なのですが、

暫定飛行場を運用しつつ本飛行場の建設を行い、ついに昭和16年めでたく開港したのでした。

協議開始から9年、着工から7年後のことでした。

しかしせっかく開港したにもかかわらず、日増しに戦争の影が迫っている状況下であり、

仮飛行場の定期便を引き継いで更に華々しく、どころか、

国際飛行場の方は本飛行場完成の前年に機能停止してしまいました。

そして当飛行場も始めのうちは公共用飛行場だったのですが、

戦争が進むうちに機密保持の観点から海軍が管理することになり、大日本航空は撤退。

結局定期便の再開はなく、三菱、愛知、海軍機の試験、空輸飛行場としての使用にとどまりました。

戦後はしばらくの間接収を受けた後工業地帯となり、現在に至ります。

前記事でも書きましたが、結局名古屋の民間定期便の再開は、陸軍から転用の小牧飛行場から。

昭和27年のことでした。

D20_0124.jpg


      愛知県・名古屋飛行場跡地      

名古屋飛行場 データ

設置管理者:名古屋市?→旧海軍
空港種別:公共用飛行場→軍用飛行場
所在地:愛知県‎名古屋市‎港区‎空見町‎
座 標:N35°03′54″E136°51′03″
滑走路:1,200m?
磁方位:15/33
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿 革
1932年    名古屋市、名古屋商工会議所は民間飛行場建設に向けて協議を始める
1934年10月 第11号埋立地にて名古屋飛行場着工
1939年07月 第11号埋立地、埋立完了
1941年10月 開港。
         戦後は接収を経て工業団地化

この記事の資料:
防衛研究所収蔵「水路部 航空路資料第4 昭和19年6月刊行 中部地方飛行場及不時着陸場」


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コメント 7

鹿児島のこういち

隣り合わせに飛行場を造ろうとしてたんだ。両方とも軍の管理下に置かれてしまうなんて、軍はいいとこ取りしたみたいですね。
by 鹿児島のこういち (2010-11-26 05:59) 

sak

ほんとにすぐ近くなのですね
このふたつがずっと残っていたら
どんどん海に伸ばして
すごく大きな飛行場になっていたかもですね
by sak (2010-11-26 07:37) 

miffy

真っ直ぐな道は滑走路の名残でしょうか・・・
by miffy (2010-11-26 20:49) 

tooshiba

ここに空港があったら、名古屋最強伝説が始まっていたかも・・・日本のハブ空港になっていたかも・・・。
by tooshiba (2010-11-26 21:32) 

雅

お久しぶりです。
何とか復活しましたんでまたよろしくお願いしますね。
by (2010-11-27 01:05) 

masa

名古屋のこんなとこにも飛行場があったのですね。
by masa (2010-11-27 08:49) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■鹿児島のこういちさん
最初からこうするつもりだったらスゴイですよね^^;
時代の流れなんでしょうけども。

■sakさん
確かに地図で見るとものすごく便利そうな場所にありますよね。

■miffyさん
滑走路と道路は角度が違ってますからね~。
でも広々してて計画的な道路が引きやすかったでしょうね。

■tooshibaさん
>名古屋最強伝説
その伝説、見てみたかったな~^^

■雅さん
復活おめでとうございます^^
こちらこそ宜しくお願いします~。

■masaさん
本当に名古屋はあちこちにあってビックリします。
by とり (2010-11-29 19:09) 

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