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帯広緑ヶ丘飛行場跡地 [├空港]

  2010年6月 訪問 

帯広緑ヶ丘飛行場.png

北海道帯広市の「十勝飛行場」のすぐ隣に緑ヶ丘公園があります。

1932年、当時の帯広町がここに「帯広緑ヶ丘飛行場」の建設を開始しました(1933年市制施行)。

実はですね、資料によってはこの「帯広緑ヶ丘飛行場」を、

現在の「帯広空港」や「帯広第一飛行場(現十勝飛行場)」の前身として扱っ ています。

どちらもアリな扱い方と思いますが、当ブログでは、

「(指を指して)昔ここに滑走路があったぜよ!(キリッ)」というのが趣旨ですので、こちらでは別けて扱わせていただきます。

どうぞご了承くださいませ m(_ _)m

 

話を戻します。

この飛行場のことは情報が非常に少なくて、滑走路の位置がまったくわかりません。

そしていつどのような経緯で飛行場が廃止されたのかも不明です。

1947年当時の航空写真を見ても、それらしい形跡は(オイラには)認められませんでした。

かろうじて「百年記念館から公園東町方向」という資料が残っているので、地図にをつけてみました。

滑走路はおおよそ東西方向に伸びていたみたいですね。

 

D20_0061.jpg

・A地点にある「御親閲場址碑」。

写真の左側の面は空白になっていますが、残りの二面にはそれぞれ、

「昭和十一年九月二十九日御親閲碑受
題字 宮内大臣従二位勲一等松平恒雄閣下」

「昭和十三年九月二十九日建立
帯廣市長正六位勲五等渡部守治」

と彫られていました。

「昭和11年(1936年)9月29日から3日間、帯広市初の行幸があり、このことを記念して2年後にこの碑を建立した」。

ということのようです。

当「帯広緑ヶ丘飛行場」が完成したのが1933年。

1935年7月に北海タイムス所属飛行機が帯広~札幌間(夏季のみ月2回往復)の運航を開始しました。

1936年に行幸があり、1937年10月には軍用に転用となっています。

行幸は民間飛行場としての運用が始まった翌年に実施されたということですね。

いろいろ資料を調べてみても、飛行場が行幸先になったことについての記録は見つけられなかったのですが、

行幸のあった1936年時点で道内で運用していた飛行場はここ以外に

女満別、根室、室蘭、千歳、札幌の5ヵ所のみでした(オイラ調べ)。

女満別は中央気象台の飛行場、根室は軍用飛行場、札幌(旧札幌)は新聞社と逓信省の飛行場で、

地元の人々が自分たちで使用するために造った飛行場は千歳と室蘭とここだけ。

また、すぐ北側には1929年に廃止された民間の音更飛行場がありましたし、

1939年には市設帯広飛行場が着工します。

いかにこの地域の民間飛行場建設が突出しているかよく分かりますね。

2014/9/9追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、帶廣中學校グライダー部・帶廣市東五條南二の一廳立帶廣中學校が当飛行場を使用したという記録があります。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m

 

D20_0064.jpg

碑の前の通り(r216)。向かい側に交番があります。

 

帯広緑ヶ丘飛行場:map  


      帯広市・緑ヶ丘飛行場跡地      

帯広緑ヶ丘飛行場 データ

設置管理者:帯広町(市)→旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:北海道帯広市緑ヶ丘
座 標:N42°54′24″E143°11′13″
*座標はグーグルアースにて算出

沿 革
1932年06月 野球場、陸上競技場などがすでにあった土地およそ7万坪の場所に町費5,000円を投じ建設
1933年     完成
1935年07月 北海タイムス所属飛行機が帯広~札幌間(夏季のみ月2回往復)を運航
1937年10月 浜松飛行隊の帯広常駐決定により、軍用に転用となる(軍隊誘致のため寄付)

関連サイト:
帯広の公共施設いま・むかし    
帯広市史   
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コメント 16

ハイマン

>土地およそ7万坪の場所に町費5,000円を投じ建設
5千円ってのが時代を感じます!
by ハイマン (2010-09-12 08:40) 

takechan

当時を知るのはかなり難しそうですね。
地元の人からすると、よくぞ来てくれました、ってところでしょうか。
by takechan (2010-09-12 10:12) 

sak

知ってる人のお家のすぐ近く...
この辺りにも飛行場あったのですね
by sak (2010-09-12 10:25) 

まめ助の母

帯広って確か従姉妹が住んでる…
って今思い出しました…
by まめ助の母 (2010-09-12 12:32) 

an-kazu

暗くなってからも、その探求熱心さが伝わってきます(^^)v
by an-kazu (2010-09-12 15:24) 

tooshiba

>(指を指して)昔ここに滑走路があったぜよ!(キリッ)
とりさんかっこいい。
キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!
by tooshiba (2010-09-12 15:43) 

masa

町費を投入してまで建設されたのですね。

by masa (2010-09-12 19:32) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■ハイマンさん
5,000円で飛行場できちゃうんですからね~。

■takechanさん
そうですね~。
地元で解明が進むことを期待します。

■sakさん
おお、そうでしたか!
この辺りは飛行場/跡地多いですね~。

■まめ助の母さん
まめ助の母さんもですか!
いい所にお住まいですね^^

■an-kazuさん
かなり暗く写ってますけど、実はこれ朝なんですよ。

■tooshibaさん
て、照れるぜよ!キリッ

■masaさん
この「地元の飛行場を!」という意思は凄いと思いました。
by とり (2010-09-13 06:24) 

鹿児島のこういち

5,000円って凄い価格ですね!円より何銭の時代ですからぁ(^O^)千人針は十銭硬貨を縫いますから(^O^)家建ちますよ!あの広大な北海道なら、有り得る破格な安さなのかも(^O^)
by 鹿児島のこういち (2010-09-13 12:33) 

とり

■鹿児島のこういちさん
>十銭硬貨を縫
そうなんですか(@Д@)
本当に針を刺してるのかと思ってました。
by とり (2010-09-15 06:53) 

鹿児島のこういち

針で縫いますよ(^O^)/千人の人に、一針、一針、縫ってもらって久遠無事などの文字などを書いてもらいます。
十銭硬貨は、九銭より高い、九銭を越える。苦戦を越えるって意味で、その千人針に縫い付けられるのです。また、五銭硬貨も四銭、死戦を越えるとの意味で縫い付けられたりします。
時たま、釣銭で、五銭や十銭が五円や十円と間違われて、手元にきたりします。が、僕の十銭は、うちのが間違えてスーパーで使いました。レジの姉さんも、しっかり受け取ったらしいです。
法律上、表面の価格価値しかないはずだから、9円90銭も、不足という事になるのでは(^O^)
by 鹿児島のこういち (2010-09-17 20:48) 

鹿児島のこういち

前の米に追記です。
針で縫った糸で、久遠無事などの文字を書きます。
これだけ出征するときには無事でいてくれと願うのに、終戦で負けて引き上げてくると、辛い思いをした兵隊さんが多かったと聞きます。
勝てば官軍、負ければ賊軍。
今だにこの日本には、そのような風潮が残っているように感じます。
by 鹿児島のこういち (2010-09-17 21:01) 

とり

■鹿児島のこういちさん
詳しい解説をありがとうございましたm(_ _)m
硬貨にもそういう願いを込めた意味が託されているのですね~。
>風潮
同感です。周辺国に気を遣うあまり、肩身の狭い思いをされている方が気の毒です。
by とり (2010-09-19 07:40) 

コスト

うちのブログに出てくる友達のS川の家の近所ですww
>あったぜよ!(キリッ)というのが趣旨
~ぜよに笑いましたw
今年は帰省しなかったんですが、龍馬伝のおかげで土佐弁づくしでした^^

>月2回往復 これは採算取れたんでしょうかね?
最後は軍に寄付って、時代ですね
by コスト (2010-09-27 22:41) 

とり

■コストさん
おお! ご近所でしたか!
親近感沸きますね^^
>ぜよ!(キリッ)
これは一度使ってみたかったんです。
>月2回
今では考えられない感覚ですよね~。
採算は…どうなんでしょうか??
by とり (2010-09-28 21:25) 

北極熊

この公園、グリーンパークの名物は、長さが 400m のベンチがあること。戦前の軍用機ならそのくらいで離着陸できたのかな、、、? 空母の甲板よりは長いだろうから。 
by 北極熊 (2016-06-01 15:13) 

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