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佐伯飛行場跡地 [├空港]

  2011年6月 訪問 

無題5.png

大分県佐伯市にあった「佐伯飛行場」。

現在は興人佐伯工場等になっています。

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 呉鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:佐伯(水上陸上両基地) 建設ノ年:1939 飛行場 長x幅 米:800x60 台100x50 170x50コンクリート 主要機隊数:陸小1.5 水小2.5 主任務:作戦 隧道竝ニ地下施設:居住(1500㎡)指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、工業場、倉庫、魚雷調整場 魚雷格納庫 掩体:小型有蓋5 小型隠蔽170 小型無蓋42 其ノ他記事:雷同時調整6本 同格納庫24本

D20_0329.jpg

・A地点。「佐伯ヘリポート」。

 

D20_0374.jpg

・B地点。

「佐伯市平和記念館」。公園が整備されていて、

 

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引き揚げられた戦時中のヒコーキの残骸が数点展示されていました。

 

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「聯合艦隊機動部隊 真珠湾攻撃発進之地」碑

碑文(全文) 日米関係が緊迫し、時の大勢に抗し難く、意を決した聯合艦隊司令長官山本五十六大将は、有事の作戦を想定して各地て激しい訓練を重ね、佐伯湾に集結した聯合艦隊の旗艦「長門」から聯合艦隊機密作戦命令を発令した。昭和十六年十一月五日命令第一号「対米英蘭戦争ニ於ケル聯合艦隊ノ作戦ハ別冊ニ依リ之ヲ実施ス」。同十一月七日命令第二号「第一開戦準備ヲナセ。Y日ヲ十二月八日ト予定ス」 発令に並ひ、十一月四日から六日にかけて、山本長官査閲のもとに、佐伯湾在泊中の聯合艦隊主力と佐伯航空隊を真珠湾の敵戦力と仮定し、飛行機隊による最終の攻撃訓練が行われた。十一月十七日の午後には、湾内の機動部隊旗艦 空母「赤城」艦上において壮行会が開かれ、山本長官の切々たる訓辞を受け、翌十八日、山本長官らに見送られて、南雲忠一中将の率いる機動部隊が、真珠湾攻撃の秘策を胸に、三三五五、択捉島単冠湾に向けて発進したのが、ここ佐伯湾である。一縷の望みを託した日米最後の交渉も空しく、昭和十六年十二月八日未明、機動部隊は真珠湾を急襲し、遂に悲劇的な太平洋戦争に突入した。戦後はや五十数年の月日は流れ、明治の末から昭和にかけて度々聯合艦隊が演習のため入港し、また太平洋戦争の起点となった佐伯湾は、過去の戦争も知らぬげに波静かである。かつて国の存亡を賭けた闘いに、死を覚悟して出撃した雄々しくも哀しい海のつわもの達が 波枕に夢を結んだ風光明媚な佐伯の海よ永遠に平和なれと願い、戦没者の御霊安らかならんことを祈るものである。平成九年十一月十八日 建之 歴進会

ここから真珠湾攻撃の機動部隊が発進したのですね。

まったく知りませんでした。

この碑のすぐ近くに日米友好記念植樹の碑等も設置されています。

 

佐伯飛行場:map   


      大分県・佐伯飛行場跡地     
掩体壕が現存するらしいのですが、工場敷地内で立ち入りできませんでした(2015/4/18追記:掩体豪見て来ました)

佐伯飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:大分県‎佐伯市‎東浜‎
座 標:N32°58′05″E131°55′11″
滑走路:1,700mx50m、滑走台100mx50m 「日本海軍航空史」(終戦時)より
方 位:(02/20),(14/32)
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1934年12月 開隊。艦隊の出入港に合わせて豊後水道の航路警戒を行う
1945年03月 空襲が始まる
          戦後、滑走路が造成された女島地区は民間に開放された

関連サイト:
Wiki/佐伯海軍航空隊   
国土地理院 1947年3月当時の写真(USA M100 73) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   
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コメント 10

鹿児島のこういち

とりさん、連合艦隊がここから発進したこと知らないはずないじゃないですかぁ(^O^)鹿屋で真珠湾攻撃の作戦計画作業をしたことが海上自衛隊鹿屋基地の展示館に書いてあるし、佐伯のことも書いてありましたでしょ(^O^)てか、佐伯から択捉島集結は米軍に悟られないための行動って、あまりにも有名でしょ(≧ε≦*)
by 鹿児島のこういち (2011-11-18 18:25) 

春分

錆びたエンジンに共に沈んだ人を思います。妄想ですけども。
どんな人か、家族はあったものかとか。
by 春分 (2011-11-18 21:22) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■鹿児島のこういちさん
オイラが鹿屋の資料館にお邪魔した当時、オイラは学生時代の歴史アレルギーを引きずってまして、
歴史系はスルーしてたんですよ。
鹿屋で覚えているのは、輪切りになった対潜哨戒機と、二式大艇程度という。。。
とても勿体ないことをしました。^^;
そんなわけで、今でも歴史的な知識がポッカリと欠落しております。

■春分さん
ここに展示してあるものは、敵機の残骸が多かったです。
青い目の若者が遠く故郷を離れて。。。などとオイラも考えてしまいました。
by とり (2011-11-19 05:51) 

Takashi

若い頃と違って、こういう残骸を見ると人の命を考えるようになってしまいました。
連合艦隊の件も、最近小説を読んで知りました。学校じゃ教わりませんでしたよ。
by Takashi (2011-11-19 15:43) 

an-kazu

歴史を学ぶというのは、学校での教え方の影響を
受けてしまいますねぇ・・・
 隣国にとやかく言われるのは腹立たしいですが、元となる教科書や
 教師の思想などは、少なからず多感な学生に伝わるものなのでしょう。
by an-kazu (2011-11-20 12:34) 

とり

■Takashiさん
>人の命
オイラも右に同じです。どうしてもそこまで考えるようになりますね。

■an-kazuさん
>教師の思想
オイラの高校の時の先生がまさにそれに当てはまり、
右も左も分からないオイラは、高校を卒業する頃にはすっかり
日本大嫌いになってました。
by とり (2011-11-21 06:37) 

sak

飛行機の残骸
悲しくなります(/_;)
by sak (2011-12-05 14:33) 

とり

■sakさん
日本のヒコーキにしろ、アメリカにヒコーキにしろ、
送り出したご家族がいるんですよね~。
by とり (2011-12-06 20:36) 

、YOSSY

大分県民です。
工場入り口の守衛に言えば見学できますよ。
掩体壕と建物が残っています。私も一度敷地内に入って見学しました。
またお越しの際にはどうぞ。
by 、YOSSY (2012-11-27 20:52) 

とり

■YOSSYさん いらっしゃいませ^^
守衛さんに頼めば見せてくれるのですね。
貴重な情報ありがとうございました。
次機会がありましたら寄ってみます。
by とり (2012-12-03 07:03) 

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