So-net無料ブログ作成

洲崎(深川浦)飛行場跡地・江東区 [├空港]

  2012年4月 訪問 

無題.png
1936年6月当時の写真(B4 C5 76) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック。) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

 

無題0.png
1937年測量 地図種別:旧1万地形図  リスト番号:o177、A002-1MA-0016  図名:洲﨑、新橋
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

東京都‎江東区‎にあった「洲崎(深川浦)飛行場」。

同じ東京都の父島にも同名の飛行場跡地があり、「洲崎飛行場」で検索すると、父島の方が多くヒットします。

区別するためにこちらは、(江東区) をつけさせていただきました。

現役当時の写真を見ると滑走帯があったようですが、敷地の境界がハッキリしないため図は作れませんでした。

「洲崎飛行場」は上の地図に描いた通り引っ越しを繰り返しています。

当記事は塩浜にあった、「初代・洲崎飛行場」についての記事です。

D20_0083.jpg

上の写真は、飛行場のほぼ中央だったであろう場所です。

沿革にまとめましたが、1920年に当飛行場を使用して東京~大阪無着陸往復競技会が開かれています。

オイラの知る限り、これがこの飛行場についての最古の資料です。

いつからいつまであったのか不明なのですが、かなり早い時期にあった飛行場なのは確かなようです。

2014/8/3追記:アギラさんから情報頂きました。当飛行場には、小栗飛行學校(小栗常太郎)、東京飛行學校(遠藤辰五郎)、亞細亞飛行学校(飯沼金太郎)、田中飛行学校(田中不二雄)などが開設され格納庫が建ち並んだのだそうです。
また、昭和15年現在、東京高工帆走飛行倶樂部・東京高等工學校、杉並工業學校航空部・東京市立杉並工業學校も当飛行場を使用していました。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m


      東京都・洲崎飛行場跡地(江東区)      

洲崎飛行場(江東区) データ

空港種別:陸上飛行場
所在地:東京都‎江東区‎塩浜‎2丁目‎
座 標:N35°39′46″E139°48′21″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1920年 04月 当飛行場を出発、城東練兵場上空で反転、東京に戻る東京~大阪無着陸往復競技会
1923年 01月 11日。大阪の城東練兵場との週1回定期運航開始
       09月 1日。関東大震災で飛行場は津波で水浸しとなり、格納庫、飛行機が焼かれる
       11月 25日。東西定期便は立川陸軍飛行場に移して再開
1935年 飛行学校があった

関連サイト:
国土地理院 1936年6月当時の写真(B4 C5 76) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
ブログ内関連記事       


コメント(10)  トラックバック(0) 

コメント 10

鹿児島のこういち

1920年 大正9年より前にはあったのですね。当時の飛行場はやはり、原っぱとか、締め固めただけとかなんですか?(^^ゞ
写真見て、片側四車線の標識の少ない道路だなと思ったのですが、歩道の標識は、歩行者と自転車の絵で、下に歩行者専用と書かれてないですか?携帯だとはっきりしないのですが(^^ゞ自転車は軽車両ですよね(^^ゞ
by 鹿児島のこういち (2012-08-03 11:12) 

まめ助の母

いろんな建物が建ってしまって
面影がないですね…
道はまっすぐですが、滑走路だったんでしょうか?
by まめ助の母 (2012-08-03 21:35) 

an-kazu

別な観点でも興味深いエリアなのはご存知ですよねきっと・・・
洲崎川や同パラダイスでググッて見て下さい(^^);
(もっと木場駅に近いトコロです)

私の通勤ルート(緑道公園)が出てきます(*^^)v
by an-kazu (2012-08-03 21:58) 

tooshiba

開設当時は、人家もなく広々としていた・・・あるいは埋立てが進んでいなくて海沿いだった・・・のでしょうか。
現存していたら東京駅にもほど近くて最高のロケーションでしたが・・・。
by tooshiba (2012-08-04 01:54) 

雅

当時はそんな競技会あったんですね。

by (2012-08-05 17:49) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
>原っぱとか、締め固めただけ
この飛行場についてハッキリしたことは不明なのですが、
当時の飛行場はそういうものが多いですよね。
ココも恐らくそうなのではないかと想像するのですが。。。
>歩道の標識
いつも携帯で閲覧いただきありがとうございます。
これは「歩行者優先」と書かれてます。
しかしよく気がつきましたね^^
「自転車も車両」というのはオイラも日々声を大にして言いたいことです。
先日自転車逆走おばさんがオイラの車に突っ込んできて逆切れられましたよ。

■まめ助の母さん
当時の滑走路が広場のようなものだったのか、
道路状のものなのか、どの位置に、どの方向を向いていたのか等、
資料が見つけられなくて、
まったく分からないんですよ。すみません。
なので滑走路っぽい場所を撮ってみました。

■an-kazuさん
>洲崎川パラダイス
ま、まったく知りませんでした。オイラお子様ですから^^
そんな時代もあったのですね~。
>通勤ルート
それじゃ、緑道公園で「an-kazuさん」という巨大プラカードを持って待ち構えていれば。。。
フフフ。

■tooshibaさん
仰るとおり今とは考えられない程広々とした場所だったのでしょうね。
ここに飛行場が残っていたら楽しいでしょうね~。

■雅さん
東京~大阪往復が競技になっちゃうんですからね。
ヒコーキの進歩は目覚しいものですね。
by とり (2012-08-10 07:59) 

井上

私の祖父は20年前に亡くなりましたが、この飛行場で練習し、その後教官になりました。東京大阪間の初飛行に搭乗しました。レーダーもありませんから、低空飛行して鉄道駅の駅名を見て現在地を確認したそうです。れにより、大阪で撮影された朝日新聞社の撮影済みフィルムは、飛行機で東京本社に輸送されたようです(それまでは伝書鳩に運ばせていた)。その後、平塚の相模川河口に航空灯台(標識)を設置しました。大阪から沿岸沿いに北上し、この航空灯台が見えたら北に進路を取ると東京(確か立川飛行場か)に着いたそうです。この航空灯台は老朽化のため十数年前に撤去されたようです。
by 井上 (2014-06-15 07:04) 

とり

■井上さん いらっしゃいませ
まだ国内に操縦士が極少数だった頃の御一人とお見受け致します。
平塚の相模川河口の航空灯台の位置にはきちんと必然があったのですね。
国内航空黎明期の貴重なお話を感謝致します。
by とり (2014-06-18 17:08) 

井上

東京~大阪間の初飛行に成功したあとは、初の海外旅客輸送に挑戦しました。大阪~中国大蓮です。オランダ製フォッカーサザンクロスという三発機で成功し、国内初の外国航路ができました。乗客は六人ほどしか乗れませんが、高貴な方々に利用されたようです。日本で初めての旅客機となります。
by 井上 (2014-06-23 13:58) 

とり

■井上さん 
飛べる事が実証できる事が航路開設に繋がる。
今からでは想像もつかないですが、まさに黎明期の様子ですね。
6人だけしか乗れない海外ですから、それはそれは高貴な乗客なのでしょうね。
ありがとうございました。
by とり (2014-06-24 05:37) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0