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玉野原飛行場/滑空場跡地 [├空港]

  2012年9月 訪問 

無題4.png

山形県尾花沢市に戦時中「玉野原飛行場」という海軍の飛行場があった。ということはネットに出ているのですが、

正確な場所の情報がありません。

2011年10月に現地にお邪魔して、地元図書館で郷土資料を調べたのですが、

尾花沢市史の中で、「玉野村(現・尾花沢市の一部)に玉野原飛行場があった」と記されていました。

そして尾花沢市史下巻に当飛行場の位置を知る手掛かりとして次のように記されていました。

「玉野原飛行場は(中略)玉野原にある神社を東端とし、徳良湖に向かってほぼ西方に建設された。」

それで早速、徳良湖の東側で神社を探し、現地の撮影もしたのですが、

自宅に戻ってからよくよく調べてみたら、見当違いの場所を撮影していたことに気が付きました。

こうしてこの飛行場についてはまた後日に持ち越していたのでした。

 

当初自宅で地図を眺めてこの条件に当てはまる場所を探していた際、

上図のA地点から始まる周囲とは明らかに異なる如何にも滑走路っぽい地割が目に留まりました。

この周辺の航空写真で、ネットで閲覧できる最古のものは1953年のものなのですが、

残念ながらちょうどこの上空が雲海に覆われ地表を視認することができません。

この周辺をしっかり確認できる写真で最古のものは1963年のもの(下記リンク参照)になってしまうのですが、

この時点でもA地点から始まる部分は現在のような地割になっています。

このA地点から始まる地割は、徳良湖に向かってほぼ西方に向かっており、長さも十分です。

資料によりますと、当飛行場の滑走路長は800mなのだそうで、

それに基づいて線を引いてみたのが上図です。

飽くまでオイラの想像でしかないのですが、当初はここが最有力候補でした。

滑走路の長さからすると、もっと西側、徳良湖寄りに建設した可能性もあるのですが、

離陸に失敗すると湖に突っ込んでしまいますから、多分こんな感じのはずです。

ところで飛行場位置の条件の一つに、「神社を東端として」というものがありました。

後は現地に行って、この周辺に神社があれば完璧です。

 

D20_0044.jpg

ということで、A地点の写真。この先に徳良湖があります。

現地にお邪魔してこの周辺に神社はないかと探し回ったのですが、残念ながら発見できませんでした。

ここから徳良湖に向かっては滑走路建設地として申し分ないように見えますが、

この背後はすぐきつめの斜面が広がっており、とても滑走路を造るという雰囲気ではありません。

オイラの説通りだとすると、やっぱり神社がこの周辺になくてはなりません。

神社が移されたり無くなったりする可能性もあるわけですが、確率としては非常に低いはず。

「この辺の地割が昔から飛行場っぽいから」というのがオイラの仮説の根拠だったわけですが、

どうも間違いである可能性が強くなりました。

仕方なく周辺を走り回ったところ、B地点に小さな神社を発見したのでした。

周辺は一面の田んぼが広がっており、障害物、勾配はありません。

ここなら、「神社を東端とし、徳良湖に向かってほぼ西方に建設された。」という条件を全て満たすことができます。

 

1963年の写真(下記リンク参照)でこの周辺は既に現在のように田んぼの区割りが出来ており、

この周辺に滑走路っぽい地割を確認することはできませんでした。

前出の市史によりますとこの飛行場は、

「昭和20年の春に神町航空隊の飛行機を隠す場所として徳良湖の東に建設された」。

と記されています。

戦争末期に退避用に作られた滑走路は終戦と共にすぐ元の畑に戻されるケースが多いですから、

終戦から20年近く経て滑走路が跡形もなくなっていても不思議はありません。

しかし、「神社を東端とし」とは言っても、神社のすぐ目の前に滑走路を造るわけにはいきません。

多分神社は滑走路の延長線上から少し外していたはずです。

 

D20_0046.jpg

・C地点。

ということで神社から少しずれた地点で撮ってみました。

実はもっと北側にも小さな神社があります。

もしかしたらそこが本当の跡地なのかもしれませんが、現在のところオイラが分かっているのはここまでです。

正確な位置をご存じの方、情報お待ちしております m(_ _)m

 

以下、市史等にあった関連情報を。

「尾花沢防空監視所」について。

現在の長根山野球場(徳良湖の西約1.5km)に尾花沢防空監視所がありました。

陸軍の指導により昭和17年前後に建設されました。

具体的な運営は尾花沢町が当たり、担当職員は役場兵事係が行いました。

監視所の運営経費については、福原村の昭和20年度決算書に「尾花沢監視所負担金262円」とあり、

尾花沢町周辺の町村が負担金を出していたことが分かります。

 

空襲について。

「8月10日 尾花沢市の玉野原滑空場(旧玉野村袖原地区)と三二連隊福原演習場が狙われ」

という記述があります。

付帯施設のない小規模の飛行場でしたが、それでも敵の目を免れませんでした。

当飛行場が「滑空場」として記されています。

 

建設について。

建設に際して「丹生川より小砂利を背負い」 という記述があります。

丹生川は滑走路の北約2kmにあります。

建設に際し相当な苦労があったことが偲ばれます。

「周辺と比較して不自然に小砂利が出てくる場所」というのも飛行場跡地の条件に含めてよいのかもしれません。

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 舞鶴鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:玉ノ原 建設ノ年:1945 飛行場 長x幅 米:800x80方向E-W 主要機隊数:小型 主任務:退避

玉原飛行場跡地:map  


      山形県・玉野原飛行場跡地     
市史によりますと、当飛行場に格納庫のような建物はなく、飛行機は付近の杉林の中に隠していて、そのための道路が設けられたのだそうです。また、市史に出てくる「神町航空隊」とは現在の山形空港の所属で、玉野原飛行場の南南西約22kmにありました

玉野原飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
空港種別:退避用飛行場
所在地:山形県‎尾花沢市‎二藤袋‎
座 標:N38°35′52″E140°27′17″
滑走路:800m×60m
磁方位:09/27?
*座標、磁方位はグーグルアースにて算出

沿革
1942年 この頃尾花沢防空監視所建設
1945年 春 玉野原飛行場建設
       08月 空襲

関連サイト:
国土地理院 1963年5月当時の写真(MTO633X C2 9) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)  
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コメント 5

鹿児島のこういち

神社の名前がわかればいちのにね(^_^;)でも、ただ神社と書かれていたのなら、その土地で一番賑わってたか、まったく寂れてたかのどちらかだったりして(^o^)
by 鹿児島のこういち (2012-11-09 05:45) 

me-co

いやー凄い執念ですねぇ(^^;)ここ、銀山温泉に行くために周辺を通ったことがありますが、田んぼか?すいか畑か?くらいしか印象がないですよ@@
しかし、これだけとことん調べてもまだ謎の部分がある?
そこが醍醐味なのでしょうね…きっと!
by me-co (2012-11-09 22:13) 

セバスちゃん

なるほど。
ちょっとした旅情ミステリーですね。
以上、内田康夫さん好きな僕でした。
by セバスちゃん (2012-11-10 09:42) 

tooshiba

よく調べられました。

既に語り部となるべきご老人(先の大戦時に10代後半以上)に三途の川を渡られた方が多くなり、「団塊世代~もう少し上が父母や祖父母等から聞いた話」という形での伝承になっていく中で、各飛行場/空港の跡地に関しての多方面からの検証は。
いつも申し上げていることですが、兄さんの記事たちは、後世に残すに値する資料としての価値を持っていると思います。
by tooshiba (2012-11-11 11:17) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
そうなんです。神社の名前さえ分かればハッキリするのですが。。。
地元の方にとってはこれまでずっと何十年も当たり前過ぎることだったのでしょうけども。。。

■me-coさん
オイラはこんなにアチコチご存じのme-coさんの方がビックリです^^
調べても分かんないことだらけ。という感じですね~。

■セバスちゃんさん
内田康夫さん好きなのですか。
残念ながらオイラは見たことないんですよ。
今度本屋に行ったらちょっと見てみます。

■tooshibaさん
過分のお言葉、恐縮です。
オイラはそんな大それた意識はないんですけど、
もしちょっとでもお役に立つことがあればよいのですが。。。
by とり (2012-11-12 06:46) 

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