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横浜水上基地(富岡飛行場)跡地 [├空港]

  2010年5月 訪問 

富岡.png

神奈川県横浜市。前記事の根岸飛行場の南約3.8kmにあった金沢区の「横浜水上基地(富岡飛行場)」。

旧海軍最大の飛行艇隊専門の航空隊でした。

大日本航空の南の島への定期便はまずここで始まり、

その翌年根岸飛行場が完成したため、そちらに移転しました。 

現在はすっかり埋め立てられて地続きですが、当時オレンジ線の北側は根岸湾に面していました。

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:横浜(水上基地) 建設年:1938 飛行場長x幅 米:中型用三基 主要機隊数:中型機 主任務:作戦 隧道竝ニ地下施設:居住、指揮所、電信所、爆弾庫、燃料庫、倉庫、工業場 雷調12本同格納庫168本 其ノ他記事:魚雷同調18本 格納庫72本 

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上二枚はA地点に残っている隊門。

 

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上二枚はB地点にある浜空神社の碑

浜空神社の由来(全文) 昭和十一年十月一日 飛行艇隊の主力として横浜海軍航空隊が当地に開設された その守護神として造営されたのがこの浜空神社である 昭和二十年八月十五日 大東亜戦争終結後当航空隊跡地は横浜市富岡総合公園として生まれ変わったのである 浜空会では特に願い出て戦没者の鎮魂と恒久平和を記念して浜空神社の修復復興をはかり 全海軍飛行艇隊の戦没者殉職者約二千柱の御霊を合祀した 横浜航空隊は浜空神社を中心とした広大な陸上の敷地と現在埋立てられた根岸湾に水上の飛行艇発着場を専有していた 隊員約一千名 大型飛行艇二十四機を有する海軍最大の飛行艇専門航空隊としてその威容を誇ったものである 今なお隊門付近の桜並木と飛行艇大格納庫が当時を偲ぶ面影を残し訪れる者に静かに語りかけてくれる 時局の推移に伴い横浜航空隊から新たに東港航空隊が分立した 十六年十二月八日 大東亜戦争勃発するやこの両隊は直ちに第一線に出動した 引き続き第十四航空隊 対潜専門部隊 輸送教育等各精鋭飛行艇隊が横浜空を母隊として誕生し第一線に又後方に配備されその強大な航続力を発揮して洋上大遠距離の哨戒攻撃輸送救出作戦等を展開し ハワイ 印度 アリューシャン 豪州 ソロモンにわたる広大な戦域を駆け巡って勇戦奮闘した 作戦上部隊名を八〇一空(横浜) 八五一空(東港) 八〇二空(十四空) 九〇一空(対潜)等に変更し戦争終期には兵力集中の為詫間航空隊に全飛行艇隊を集結して沖縄攻防戦に死闘を演じ満身創痍全力を尽し果たして戦の幕を閉じたのである 中でも横浜航空隊はソロモン最前線のツラギに進攻作戦中強力な敵の反撃をうけて十七年八月宮崎司令以下三三八名が壮烈な玉砕を遂げたのである 富岡のこの地はかくの如き誇りある海軍飛行艇部隊発祥の歴史をもっているのである この事実を永く後世に語り継がんが為こゝに記念碑を建立する次第である 昭和六三年一月 海軍飛行艇会 建之

 

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C地点。道路の右側が基地、左側は当時海だったはず。

 

横浜水上基地(富岡飛行場):map  


     神奈川県・横浜水上基地(富岡飛行場)跡地    
当時の大格納庫が現存しており、神奈川県警察第一機動隊の倉庫として使用されているそうです

横浜水上基地(富岡飛行場) データ
設置管理者:旧海軍
空港種別:水上飛行場
所在地:神奈川県横浜市金沢区並木
座 標:N35°22′41″E139°38′08″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1936年10月01日 横浜海軍航空隊開設 哨戒、攻撃、輸送、救出等行う
1945年02月11日 兵力集中のために香川県詫間航空隊に全飛行艇隊を集結
              戦後は接収されて米軍基地となり、その後横浜市富岡総合公園等になる

関連サイト:
Wiki/横浜海軍航空隊   
国土地理院 1949年2月当時の写真(USA R582 71) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   


コメント(13)  トラックバック(0) 

コメント 13

masa

門がいかにもって雰囲気ですね。
こういうのが残っていると探すのも楽しいですよね。
by masa (2010-07-23 17:32) 

鹿児島のこういち

格納庫、見たいなぁ(^O^)/県警が使ってるんですか?中も見せてって言ったら見せてくれるかなぁp(^^)q
大型水艇の部隊だったら、二式水戦が護衛についてたんでしょ、違う?(^O^)
by 鹿児島のこういち (2010-07-23 19:06) 

sak

そっかぁ...
海、埋め立てられて
昔とは変わっちゃってるのですね
by sak (2010-07-23 21:26) 

ハイマン

こんな所にも空港があったとは!
門までいまだに残っている~
by ハイマン (2010-07-23 21:34) 

an-kazu

過去の記事と見比べて思うに、
まさに空港だらけだったんですねぇ!
by an-kazu (2010-07-24 07:22) 

miffy

海岸線はどんどん埋め立てられて昔と全然景色が違ってるんですね。
by miffy (2010-07-24 11:01) 

鹿児島のこういち

Wikiの横浜海軍航空隊を見れば、二式水戦の護衛がつくのは南方に出てからなんですね。
本土では護衛なしって、本土への強襲はありえないと大本営の自信だったのでしょうか?
二式水戦は高波に弱く、南方では駐機中に高波を受けて、岩などに衝突し何機も壊れたと書物を読んだ記憶がありますf^_^;
by 鹿児島のこういち (2010-07-24 17:21) 

雅

横浜の海岸はほぼ全部埋立地ですからね。
あそこからもう少し南にある野島公園には、当時零戦を格納してた防空壕が残ってますよん。
by (2010-07-24 23:16) 

まめ助の母

どんだけ埋め立てたんでしょうね…
折角伊能忠敬が測量してくれたのに
日本の形はどんどんかわってっちゃいますね…

堺の鳳は
昔々、日本武尊命が伊勢で病没した後
白鳥となってこの地に舞い降りたので
社を建ててまつったとの伝説も残っています。
と堺市のホームページに書いてありました
明治時代は大鳥と書いたそうです
昔過ぎて飛行機とは縁がないみたいです…
by まめ助の母 (2010-07-24 23:18) 

tooshiba

このとき(5月)既に初夏の日差しとなっているようですが、昨今は・・・なんなんでしょう。
熊谷も40度は目前かな?
ちなみに、今夜の雨はどうでした?

雨雲は南下を続けているようで、2時間近く前からゴロゴロとは言っているんですが・・・
by tooshiba (2010-07-24 23:20) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■masaさん
そうですね~。
何も残ってないと、「アレ? も、もしかしてオイラの勘違い??」と不安になります^^;

■鹿児島のこういちさん
>見せて
ヘタレなオイラにはとてもできない芸当ですが…。どうなんでしょうか??
>二式水戦
まったく知りません。m(_ _)m

■sakさん
そうなんですよ。
こうなっちゃうと、想像するだけですね~。

■ハイマンさん
オイラも調べるまでまったく知りませんでした。
結構アチコチにあったんですね^^

■an-kazuさん
ホント、そんな感じですね~。
横浜と言えば「港」のイメージですが…。

■miffyさん
そうですね~。
位置割り出しが難しかったです^^;

■鹿児島のこういちさん
>Wiki
レス遅れて失礼致しましたm(_ _)m
オイラはまったく疎いので何のお答えもできませんが、確かにそう書いてありますね。
二式水戦は高波に弱い。と。φ(.. )メモメモ

■雅さん
>ほぼ全部
流石横浜ですね!(@_@)
>野島公園
その公園のことは、神奈川から自宅に戻ってから知りました。
いつか見に行きたいです。つД`)・゚・。・゚゚・*:.。

■まめ助の母さん
>伊能忠敬
最新の地図ならばグーグルとかでいくらでも閲覧できますが、
こういう記事を作り始めてから、古い地図の有難さを実感してます。
>鳳
そういういわれだったのですか。
オイラはてっきり飛行場の跡だとばかり…^^;
どうもありがとうございましたm(_ _)m

■tooshibaさん
tooshibaさんお住まいのところはゴロゴロでしたか。
その後土砂降りになったりしたのでしょうか。
オイラはですね、昨晩は稲光にビクビクしながらストー…いえ、ウオーキングしてました。
自宅に戻って少ししてから土砂降りと激しい雷鳴で、10秒位の停電もありました。
梅雨明けからすんごい暑さですよね。どうぞ体調ご留意くださいませm(_ _)m
by とり (2010-07-25 06:41) 

コスト

埋め立て施設も移転しても、ちゃんと正門は残ってるもんなんですね。
普段はめったに石碑なんて読まないのですが、こうして記事になって
土地の歴史とつながると必要だなあって思います。
by コスト (2010-08-01 11:30) 

とり

■コストさん
正門だけ残るケースは結構あるみたいですね。
>石碑
こんなこと始めるまでは気にも留めなかったんですけどね^^;
飛行場の沿革、データは事前にネットで検索しまくって調べるんですけど、
相矛盾する資料はいくらでも出てきますし、1つの間違い情報が情報源になって、
ほとんどのネット情報がその間違いで統一されてしまっているケースもあります。
そんななので地元関係者が設置にかかわったであろう碑文の情報はその場に行かないと
見れませんし、非常に貴重なのです。
by とり (2010-08-02 06:38) 

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