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山梨(甲府、玉幡)飛行場跡地 [├空港]

  2010年11月 訪問 

無題4.png
1948年9月当時の写真(USA M1168 95) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

(マップ・1)

山梨県‎中巨摩郡にあった「山梨(玉幡)飛行場」。

昭和6年の満州事変勃発により、玉幡村にあった玉幡競馬場が閉鎖され、その跡地に「玉幡飛行場」が作られました。

飛行場を建設したのは、元陸軍航空本部嘱託員梅沢義三という人物で、後に日本航空学園の創立者となりました。

梅沢氏は山梨在郷軍人航空研究会を母体とし、玉幡競馬場跡地に1,000m滑走路の飛行場を作ったのでした。

この飛行場が開設した年は、資料により昭和7年だったり8年だったり9年だったりします。

上のマップは、アジ歴にある「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」(下記リンク参照)

から作図しました。

当飛行場の頁は、「昭和13年3月調」となっていますので、その頃の飛行場です。

飛行場敷地北側が微妙な曲線になっています。

リンク先の地図を確認すれば一目瞭然なのですが、これは競馬場トラックの名残です。

前述の通り、当飛行場は「1,000m滑走路」と資料にあるのですが、

実は上のマップの紫で囲った部分は最長でも600mしかありません。

資料には「競馬場とその周辺を買収した」とあり、敷地の北西にある橋のたもとから、敷地南東の角までいっぱいにとって

1,000mです。

当時の地図、写真が閲覧できないため、確認はとれないのですが、

県道5号線「開国橋東詰」交差点の辺りから南東方向に1,000m滑走路が伸びていたのではないかと思います。

梅沢氏は当初からここを単なる飛行場で終わらせるつもりはなかったようで、

資料には、ここに飛行場だけでなく「航空発動機練習所」、「山梨飛行学校」を設置したとあります。

 

(マップ・2) 

このマップは、1948年の航空写真、防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」

から作図しました。

当飛行場の頁は「昭和18年4月調」とありました。

航空写真の方を優先したため、水路部の地図とは異なっている部分が結構ありますのでご了承くださいませ。

この地図と共に記載されている飛行場情報を以下引用させて頂きます。

面積 東西1,000米、北西-南東930米 南北850米 総面積60萬平方米
地面の状況 植芝密生する平坦地なり、設置後日尚浅き為地盤固まらず・降雨後は置土粘着し乾燥せば風塵立ち昇る
目標 甲府市街、釜無川、開国橋
障碍物 西方に高圧電線、北方に電車用架空電線あり
離着陸特殊操縦法 (記載なし)
格納設備 大格納庫(間口50米、奥行40米)1、其の他5あり
照明設備 なし
通信設備 陸軍無線電信所あり
観測設備 甲府測候所にて毎日1回航空気象を観測す
給油設備 あり
修理設備 兵舎あり
宿泊設備 なし
地方風 全年を通じ北西風多く、夏季は午後より西風定吹するを例とす
地方特殊の気象 7,8月頃雷雨の発生多し、冬季は午前中のみ気流良好なるも午後は比較的不良なり、霧は10-12月間に多く暴風は3月に特に多し
交通関係 釜無川停留所(甲府市至眞秋澤間)北方付近 甲府駅より「バス」の便あり
其の他 本場は岐阜陸軍飛行学校分教場なり 北側に隣接して山梨航空技術学校飛行場あり
(昭和18年4月調)

修理設備の項目に「兵舎あり」と記されています。

他の飛行場の頁を見ると、続く「宿泊設備」の欄にしばしば「兵舎あり」と記されていることから、

ズレちゃったのかもしれません。

 

山梨飛行場? 甲府飛行場?

前述のアジ歴にある「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」は、

当飛行場のことを「山梨飛行場」として扱っているのですが、Remarks の箇所には、

This field is called the KŌFU airfield by the army.

という一文があります。

残念ながらオイラはこの資料の水路部原本を確認していないのですが、

其ノ他 「陸軍ハ本場ヲ甲府飛行場ト称ス」なんて書かれているんでしょうか。

それはともかく、陸軍は当飛行場を「甲府飛行場」としていたんですね。

そういう目で改めて資料を見返してみれば、

創設者の梅沢氏は当飛行場を一貫して「山梨飛行場」としており、

陸軍は一貫して「甲府飛行場」としています。

 

飛行場、飛行学校として発足した山梨飛行場でしたが、

昭和15年4月、熊谷陸軍飛行学校甲府分校が設置され、飛行場を共用するようになります。

それで、この時から「山梨飛行場」と軍との結びつきが始まったのかと思っていたのですが、

アジ歴で検索すると、

・昭和11年12月23日 甲府飛行場飛行機庫新築其他工事の件
・昭和14.8.3~8.31 陸軍航空本部第10課 甲府飛行場整地其他工事の件

がヒットします。

昭和14年の工事は、「第三期航空要員急遽養成に伴い在来の未整地区を整備するものとす」

とあり、分校設置以前のかなり早い時期から、陸軍が当飛行場に深く関わっていたことが分かります。

時代背景もさることながら、当飛行場創設者の肩書からして、これは当然のことなのかもしれません。

 

熊谷?  岐阜?


ということで、当飛行場には「熊谷陸軍飛行学校」の甲府分校が設置された訳なのですが、

資料を見ると、「岐阜陸軍飛行学校甲府分校」もちょいちょい登場します。

前述の防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」の中でも当飛行場について、

「本場は岐阜陸軍飛行学校分教場なり」

と記しています。

前述の通り、当飛行場に「熊谷陸軍飛行学校甲府分校」が設置されたのは昭和15年4月なのですが、

同年同月、「熊谷陸軍飛行學校各務原分教所」が開校しています。

そして同年8月、この「各務原分教所」は独立して「岐阜陸軍飛行學校」と改称(下記リンク参照)し、

甲府分教所が付属します。

そんな訳で、当「甲府分校」の所属が熊谷から岐阜に変更になったのでした。

 

(マップ・3)  

「日本海軍航空基地要覧(陸軍航空基地含む)」(1945年3月訳)に出てくる甲府飛行場地図を元に作図しました。

こちらも1948年の航空写真、グーグルマップを優先したので、形がちょっと違います。

恐らくこれが最終形態。

南側に大きく拡張しています。

前述の防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」

にあった当飛行場の情報(昭和18年4月調)では、其の他の項目で、非常に気になる文言があります。

「本場は岐阜陸軍飛行学校分教場なり 北側に隣接して山梨航空技術学校飛行場あり

とあります。

この情報と共に添付されている地図は、直ぐ上の(マップ・3)ではなく(マップ・2)なのですが、

北側に「学校」が、ではなくわざわざ「学校飛行場」があるとしています。

(マップ・3)の南側部分には諸施設等は見当たらないため、

もしかしたら(マップ・3)の敷地南側の拡張したエリアが「甲府分教場」、北側が飛行学校なのかもしれないと思いました。

 

3つを重ねるとこんな感じ。

 

D20_0129.jpg

2014/9/14追記:アギラさんから情報頂きました。「航空年鑑昭和15年」大日本飛行協会編(昭和16年発行)「學校グライダー部一覽」(昭和15年10月現在)の中で、甲府中學校滑空部、甲府工業學校校友會滑空部が当飛行場を使用していたという記録が残されています。アギラさん情報ありがとうございましたm(_ _)m


      山梨県・山梨(甲府、玉幡)飛行場跡地     

山梨(甲府、玉幡)飛行場飛行場 データ
設置管理者:山梨航空機関学校と旧陸軍の共用
空港種別:陸上飛行場
所在地:山梨県‎中巨摩郡‎昭和町‎
座 標:N35°37′49″E138°30′51″
面 積:40ha
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1928年 山梨県、玉幡村に玉幡競馬場建設
1931年  玉幡競馬場閉鎖
1932年 10月 甲府在郷軍人航空研究会を母体とし、航空発動機練習所開設
1933年 2月 40万平方メートルの飛行場を開設
1936年 8月 財団法人 山梨航空研究会を設立し山梨飛行場を設置
      12月 陸軍、飛行場飛行機庫新築工事
1939年 7月 山梨航空技術学校設立認可
      8月 陸軍、 飛行場未整地地区の整地工事
1940年 4月 熊谷陸軍飛行学校甲府分校開設
      8月 岐阜陸軍飛行學校甲府分教所に改称
1942年 1月 山梨航空機関学校と改称。航空整備士養成の専門校となる
1945年 終戦により閉校。戦後国有地から県に払い下げられ、山梨農林高、警察学校となる

関連サイト:  
日本航空学園/日本航空学園の歴史  
「航空路資料 第4 其ノ2 昭14-2 中部地方飛行場及不時著陸場」  
アジ歴・昭和11年12月23日 甲府飛行場飛行機庫新築其他工事の件  
アジ歴・昭和14.8.3~8.31 陸軍航空本部第10課 甲府飛行場整地其他工事の件  
アジ歴・岐阜陸軍飛行学校令・御署名原本・昭和十五年・勅令第五〇〇号  

この記事の資料:
韮崎・巨摩の歴史
玉幡村史
防衛研究所収蔵資料「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」


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コメント 5

me-co

恥ずかしながら、無事戻ってまいりましたっ!
何で山梨に日本航空学園なんて全国的にも珍しいた学校法人があるのかな?
と以前から何気に謎に思っていたのですが、なるほどです。
by me-co (2011-04-29 08:19) 

an-kazu

南アルプスが・・・(*´Д`)ハァハァ
by an-kazu (2011-04-29 21:32) 

Takashi

地形的に長方形なので、飛行場があったと言われると、そうだったんだなと思えてきます。
by Takashi (2011-04-30 06:04) 

鹿児島のこういち

最初は発動機練習所であったんですね。それでパイロット専科は石川にあるんですかね?f^_^;
by 鹿児島のこういち (2011-04-30 09:25) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■me-coさん
オイラも含めてなかなかそこまで行動を起こせない人はいっぱいいるんですから。
きっと想像を絶する体験に後から心労が出てくると思います。
本当にお疲れ様でしたm(_ _)m
>何で山梨に
オイラもです。ちゃんとこういう縁があるんですね~。

■an-kazuさん
Σ(゚Д゚;)山にハアハアですか!

■Takashiさん
確かにそんな感じですね。
当時の地割がそのままなのかどうかは不明ですけども。

■鹿児島のこういちさん
オイラには知る由もありませんが、もしかしたらそういう歴史が関係しているのかもしれないですね。
by とり (2011-05-01 07:21) 

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