So-net無料ブログ作成

八代陸軍(文政)飛行場跡地 [├空港]

  2011年6月 2016年5月 訪問 

熊本県‎八代市‎にあった「八代(文政)陸軍飛行場」。

「熊本県の戦争遺跡」に詳しい資料があり、そこから作図させて頂きました。

参考にさせて頂いた地図は、当時飛行場造りに動員された方々、地元の方々の協力でできたものだそうです。

また資料によりますと、当時文政村だったので「文政飛行場」の別称があるのだそうです。

大正時代に大規模な干拓事業で完成した場所でしたが、近隣住民及び学徒労働員の造成により、

戦時中陸軍の飛行場になりました。

完成後部隊配置はなされず、着陸場として使用しました。

敗戦後、海軍艦爆彗星、九五式中等練習機が復員のために着陸し、

その部材は、鍋・釜に転用され現存しているのだそうです。

現在は本来の用途に戻っています。

DSC_0157.jpg


      熊本県・八代陸軍(文政)飛行場跡地      

八代陸軍(文政)飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:熊本県‎八代市‎鏡町北新地‎
座 標:N32°34′37″E130°36′36″
滑走路:1,350mx360m
方 位:18/36
標 高:0m
(座標、滑走路長さ、方位、標高はグーグルアースから)

沿革
1921年 干拓事業着工
1926年 潮止めが完工
1932年 第一次178戸入植
1942年 飛行場建設のため284町強制買収。5月から造成開始
1944年 滑走路のみ完成(1,000mx250m)。完成後は着陸専用飛行場とされ、部隊配備はなされず
1945年 08月 終戦時まで利用皆無。20日海軍艦爆彗星、23日95式中等練習機が復員のため着陸

関連サイト:
国土地理院 1947年3月当時の写真(USA M194-2 22) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)   
ブログ内関連記事       


コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

コメント 4

まめ助の母

なんでもかんでも飛行場を作ったのですね
じくじくしてそうなイメージが…
終戦前には飛行場がたくさんあっても
飛ばす飛行機と操縦士がいなかったんじゃないのかな?

と…ふと考えてしまいました。
by まめ助の母 (2011-11-12 01:25) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■まめ助の母さん
>じくじく
確かにそんなイメージですね^^;
>飛ばす飛行機と操縦士
仰る通り、現在の感覚だと飛行場が多過ぎだと思います。
末期には日常的に飛行場が空襲を受けるようになりましたが、
滑走路を使用不能にしてしまえば、そこに配備されている戦闘機は当面使用できません。
また、飛び立ったヒコーキが基地に戻ってきた時、滑走路が使用不能だと、
無事に降りることができず、結果的に全機撃墜されたのと同様の結果になってしうかもしれません。

敵側からすれば、わざわざ上空で戦闘機同士で一機ずつ対決しなくても、
飛行場を破壊してしまえば、それと同等の効果が長期間望めるわけで、
飛行場攻撃は非常に効果的でした。
破壊された滑走路は修復すれば良いわけですが、すぐ修復作業にはいれないよう、
時限式の爆弾まであったのだそうです。
それでこうした事態を防ぐために、あちこちにたくさんの飛行場を造り、
どこかの飛行場が破壊されてしまっても、補完できるようにしたのだそうです。
by とり (2011-11-12 05:08) 

鹿児島のこういち

写真を拡大してみると、A地点は確かに開けているように見えます。
上のコメントで時限式が出てきましたが、時限式信管は日本軍も使用してましたよね。
by 鹿児島のこういち (2011-11-12 18:35) 

とり

■鹿児島のこういちさん
>日本軍も
そうだったんですか(☆Д☆)
同じことを考えていたんですね。
by とり (2011-11-14 18:00) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0