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読谷補助(沖縄北、読谷山、読谷)飛行場跡地 [├空港]

  2012年1月 訪問 

日本軍当時.png

沖縄県‎中頭郡‎読谷村にあった「読谷補助(沖縄北、読谷山、読谷)飛行場」。

この飛行場には名前がたくさんありますがそれぞれちゃんと意味があります。

この飛行場はまず、旧日本陸軍が「沖縄北(読谷山)飛行場」として建設しました。

上図は日本軍が建設した飛行場です。

縦横斜めの滑走路が1本ずつですね。

ここに飛行場が建設されたいきさつについて、「沖縄戦研究Ⅱ」という本にこんなことが書かれていました。

「1942年末ごろから日本陸軍の航空部隊は続々と南方戦線に展開していくが、

これら航空部隊の補給中継地として南西諸島に航空基地を新設する必要が発生した。

真っ先に沖縄本島中部の読谷山村にひろがる読谷野に白羽の矢が立てられた。

陸軍航空本部は南太平洋における相次ぐ航空作戦の敗退という戦局に追い立てられるように、

1943年6月頃から徳之島、伊江島、読谷、嘉手納、石垣島に陸軍飛行場を設定すべく用地接収を始めた。

読谷飛行場の建設は陸軍航空本部経理部の直轄工事として現地土建会社の国場組と請負契約を結んで施工された。

請負金額は1,300万円という沖縄の土建史上前例のない大工事であった。

国場組には大規模な土木機器がなく、契約にあたって次の3条件を軍に約束させた。

1.トラック10台程度の供与(実際は国産トラック6台が支給された) 2.トロッコ用軌道の供与(製糖会社のトロッコを転用した)

3.食糧と燃料の確保 である。

読谷飛行場の用地接収は村役場や地主にとって寝耳に水のできごとであった。

1943年夏のある日、飛行場建設予定地の集落や畑地や原野に突如として赤い旗が立てられた。

一週間ほどして関係地主は国民学校に集められ、県警保安課長も立ち会う緊張した空気の中で担当将校から軍隊口調で説明がなされた。

『この地域は飛行場として最適であるから諸君の土地を提供してもらいたい。戦争が終われば、この土地は地主に返す』

と明言した。」

その後当地は米軍に占領されてしまい、「読谷飛行場」として拡張整備されました。

 

米軍.png

米軍が拡張整備した「読谷飛行場」。

横の滑走路がなくなり、縦の滑走路がもう1本追加され、南側に延長されました。

また、斜めの滑走路は南東側が少し短くなりました。

2つの図は当時の航空写真を元に作図したのですが、滑走路端の長さが自信ありません。

おおよそこんな感じではないかと。

拡張整備した「読谷飛行場」なのですが、後に「普天間飛行場」に機能集約したため、「読谷補助飛行場」になりました。

 

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・A地点。

1つだけ現存する掩体壕。説明版がありました。

(全文)読谷村指定文化財 史跡(沖縄戦に関する遺跡) 掩体壕 掩 体壕は、旧日本軍による沖縄北飛行場(読谷山飛行場)建設に伴い、1944年(昭和19)に軍用機を敵の攻撃から保護する施設として建設されました。証言 によると、ドラム缶や土などでかまぼこ形の原型を作った上にコンクリートを流し、十分乾燥したところで中の原型を取り出すという方法で作られました。読谷 山飛行場は、1945年(昭和20)4月1日の米軍上陸の際に接収され、逆に本土への攻撃基地として使用されました。その後、嘉手納基地の完成によって補 助飛行場となり、パラシュート降下訓練などが行われ、訓練兵が住宅地に降下するなどの事故が周辺で多発しました。2006年(平成18)12月31日に全 面返還され、今後数十年かけて飛行場の敷地は整備され、その姿を変えていきます。掩体壕はこの地が旧日本軍の飛行場であったという史実を伝えるとともに、 沖縄戦以後の読谷の歴史を見つめ続けた貴重な遺跡・建造物であることから、村では2009年(平成21)1月、史跡(沖縄戦に関する遺跡)に指定しまし た。

 

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説明版にあった写真。 

 

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「義烈空挺隊玉砕之地」碑

「飛行第百十戦隊話」という本の中にこの義烈空挺隊の戦記があったので、一部抜粋します。

■当時基地に居て作戦を見守っていた元隊員の手記。

「義烈空挺隊が4月下旬か5月初めに健軍(熊本県の旧陸軍飛行場で後の旧熊本空港)に到着。

夜間は訓練、昼間は就寝で屈強な下士官ばかり選り抜かれた。

5月24日夜、北、中両飛行場に強行着陸するため、1機に14名宛て乗り込んだ九七重二型12機が離陸。

2,3機がエンジン不調で引き返す。

NHK熊本放送局から出力10KWの米軍戦闘機と同一周波数の妨害電波を発射したので、

空対地の連絡は混乱し、健軍で傍受していた慶応出身の米二世の通訳を待たずともその困惑ぶりが窺われた。

戦果は抜群で、当時上空にあった六〇、百十戦果確認機や

翌日高度十一粁から撮った百式司偵による損害空中写真がこれを証明していた。

写真を詳細に見ると、戦闘機が滑走路や掩体壕以外にあったり、不規則に散在していることから、

NHKによる妨害電波によって空地共に大混乱し事故を起こしたと考えられる。

その後約一週間米軍の爆撃が無かったのも、義烈空挺隊の戦果が如何に大きかったかを裏付けている。

義烈空挺隊全員が当日戦死したことになっているが、その日かその翌日司令部に辿り着いた一伍長がいたことを

六航軍電報が報じている。」

 

■空挺隊突入前に基地への掩護爆撃を行う爆撃機に搭乗し、航法を担当していた元隊員の手記。

「四式重(キ-六七)12機も健軍にいた。

突入は22時、四式は義烈空挺隊突入10分前(21時50分)に北及び中飛行場の対空砲火を爆撃すべし

爆撃後、空挺隊の戦果確認せよ。着陸成功は赤色信号灯1機1灯点火する(という取り決めになっていた)。

19時12分離陸。敵哨戒機のいる奄美大島を避け、大きく西に旋回、上海と沖縄の中間点に航路を取り、90°転進して

沖縄に直行進入する。予定より10分早いので、途中旋回して時間調整

残波岬から進入、右に旋回し、すぐ中飛行場。

陸地に近づくにつれて艦船から間断なく撃ってくる。飛行場周辺からも対空砲火が絶え間なく光るため、旋回蛇行を繰り返す。

滑走路を攻撃しては空挺隊の着陸に支障をきたすので、滑走路の西側を爆撃、

21時53分離脱。

来た時と同様、飛行場周辺から対空砲火が絶え間なく光り、

海上に出れば艦船からも間断なく撃ってくるため、旋回蛇行を繰り返す。

22時を過ぎ、両飛行場を見つめる。

北飛行場の主滑走路の南あたりに赤い信号灯が5つ点いた。

中飛行場で赤い信号灯が2つ点いた。

残る5機はと心は痛い。

22時25分離脱。」

 

米軍に占領された沖縄に強行着陸して空挺部隊を送り込んだという話は聞いていたのですが、

出来る限りの援護もしていたのですね。

この作戦で送り込まれた空挺部隊は宮崎県唐瀬原の第一挺進団の中から編成されたのだそうです。

 

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・B地点にある忠魂碑。テニスコートの角にあります。

説明版がありました。(全文) 読谷村指定文化財 史跡(沖縄戦に関する遺跡) 忠魂碑 忠魂碑は読谷山国民学校(読谷山尋常高等小学校)敷地内に1935年(昭和10)10月頃に建立されました。その後、1978年(昭和53)に同敷地に読谷村運動広場が建設されるのに伴い、現在の場所に移されました。忠魂碑は当時、天皇と国家のために死んだ軍人や軍属の忠義の魂を顕彰するためのもので、国民全員に同じ忠誠をたたき込むことに利用され、その結果、多くの若者が死地に追いやられたあげく、敗戦の憂き目にも遭いました。現在、碑文は何者かによって削られ、説明版も持ち去られており、わずかに揮毫者の陸軍大将鈴木壮六の名前が見えるだけです。忠魂碑は日本の侵略戦争を美化する象徴として使われ、日本の歴史の負の遺産ですが、戦時中の風潮を今に伝える証人であり、今後の戒めとして村では2009年(平成21)1月に史跡に指定しました。Ⓒ読谷村教育委員会文化振興課 2009

 

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・C地点。

「平和の森球場」にある記念碑。 

 

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・D地点。

滑走路と並行する誘導路跡。

所々交差点のように見えるのが駐機場跡です。

 

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駐機場跡の1つ。

 

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ゴロゴロしているのは滑走路建設で埋められていたサンゴでしょうか??

 

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周辺はサトウキビ畑。向こうに読谷村役場が見えます。 

 

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・E地点。

滑走路跡。中央部分を道路として使用しています。

 

読谷補助(沖縄北、読谷山、読谷)飛行場跡地:map  


      沖縄県・読谷補助(沖縄北、読谷山、読谷)飛行場跡地     
4レターコードがあるのですが、全面返還された現在はどうなっているのでしょうか??

読谷補助(沖縄北、読谷山、読谷)飛行場 データ
設置管理者:旧日本陸軍→米軍
4レター:ROKW
空港種別:陸上飛行場
所在地:沖縄県‎中頭郡‎読谷村‎喜名‎
座 標:N26°23′36″E127°44′47″
*座標はグーグルアースにて算出

沿革
1944年 旧日本軍により建設。
1945年 04月 01日。米軍に接収される。修復、整備が施される
       03日。使用開始
       その後嘉手納飛行場完成、運用集中により補助的な役割になる
2006年 12月 全面返還
2009年 01月 掩体壕 史跡指定

関連サイト:
読谷バーチャル平和資料館   
国土地理院
1944年9月当時の写真(USAokinawa MR7.LV468BG 27) (一部雲に隠れてしまっていますが、日本軍時代の飛行場)
1945年12月当時の写真(USA M22 128) (米軍に接収され、拡張された飛行場) 
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コメント 10

an-kazu

しっかり補強工事を済ませている掩体壕を
初めて見ました
by an-kazu (2012-05-02 08:06) 

まめ助の母

沖縄の戦争のお話は…
とてもとても…

あの小さな島にいろいろなものが詰まっていますね
読谷村、、、レンタカーで通ったと思いますが
その頃は全くそういうことは知りませんでした。
by まめ助の母 (2012-05-03 00:02) 

うめ

沖縄編、興味深く読まさせていただいております。
当方の沖縄での常宿は残波なものですから、ホテルの往きか帰りには嘉手納の道の駅と共に立寄る場所となっています。
ここは保存状態が良く今でも当時の面影を残していますね。

只、現地に行くと、役場を挟んで西側(東シナ海側)にもR/Wと見られる今は道路となっている部分がありますが、これもR/W若しくは誘導路ではないかなと思うのですがとりさんはいかがでしょうか?

話変わりますがようやく787に乗ることが出来そうです。岩国への往復ですが、行程を787機材で選んでしまう○○です(笑)機材変更にならないことを祈っています。

by うめ (2012-05-03 12:33) 

Takashi

E地点からの写真。いかにも滑走路跡っていう感じがします。
当然ながら、沖縄にも多数の掩体壕があったんでしょうね。
by Takashi (2012-05-03 17:24) 

元山陽ちとせ

掩体壕、以前住んでいたアパートの傍にあります。
貴重な戦争の遺構ですね。
by 元山陽ちとせ (2012-05-03 23:05) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■an-kazuさん
Σ(゚Д゚;)言われてみればそうですね。

■まめ助の母さん
オイラも何度知らずに通り過ぎたことか。。。
知らなければ知らないでそのままのこと多いですよね。

■うめさん
七月初めまで延々沖縄記事が続く予定ですのでお付き合いくださいませ。
うめさんの定番コースなのですか!
ここは本当に見所がたくさんあって、凄い所だなぁと思いました。
>役場を挟んで西側
当時の写真で確認すると、確かに役場の西側に滑走路も誘導路もハッキリ写ってますね。
残念ながら事前の下調べの際、そこは見学ポイントから外していたので見ておりません。
きちんと突合せをしたわけではありませんが、地図で眺めてみるといかにも跡っぽい道路が残ってますね^^
役場の南西約300mの畑の中に唐突に南北に延びる約150mの異様に太い道路とか。
787、無事に乗れますように。○○に何が入るのか、オイラは分かりませんけど(o ̄∇ ̄o)

■Takashiさん
滑走路っぽいですよね~。
記録を調べると、沖縄にもたくさんあったらしいです。
もしかして沖縄に現存するのはこれだけなのかしらん。

■元山陽ちとせさん
おお、アパートの傍ですか!
よく今まで残りましたね~。
by とり (2012-05-04 05:35) 

鹿児島のこういち

掩体壕の写真で、中に戦闘機が壊れているのは、戦闘で壊れたのか、それとも米軍に取られる前に日本軍が破壊したのでしょうか?
掩体壕の型枠にドラム缶も使ってたのですね。島の土砂事情というものもあったのでしょうね。
by 鹿児島のこういち (2012-05-04 07:15) 

とり

■鹿児島のこういちさん
>戦闘機
しばらく考えてみたんですけどオイラにはさっぱりでした。
>ドラム缶
そこに目が行く所が流石ですね。
by とり (2012-05-05 05:35) 

me-co

励ましのコメントありがとうございます。
(__)すみません、視点の違うヤツで・・・この畑地整備事業は相当難工事と思いますねー。あまりにもガッチリした構造物を撤去しなければならないし、客土も相当かと(・。・;)
by me-co (2012-05-07 00:37) 

とり

■me-coさん
「客土」、初めて知りました。
前途多難そうですね。
ブログ、どうぞ無理せずme-coさんのペースで。
by とり (2012-05-07 05:25) 

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