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与論空港 [├空港]

  2012年1月 訪問 

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鹿児島県‎与論島にある「与論空港」。

沖縄本島最北端・辺戸岬の北北東約23kmにあります。

 

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展望デッキより。

 

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道路沿いすぐ近くにPAPIがありました。

 

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R/W14エンド。

 

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R/W14エンド付近西側からも滑走路が見下ろせました。

 

与論空港:map  


      鹿児島県・与論空港      

   ビュー:☆☆☆★★  
以前は閉鎖されていたようですが、ターミナル正面左側にある外階段から展望デッキに上れる。無料
見晴らしは良いが高いフェンスあり。ベンチ等なし

   施設:☆☆☆★★  
売店、レストランあり

   マニア度:☆★★★★  
特になし。外周撮影ポイントに恵まれている
R/W32エンド付近も滑走路を見下ろせるらしい

   総合:☆☆★★★  
与論→奄美大島 日月水金運航  奄美大島→与論 火木土運航(SAAB340B)
与論→沖永良部 火木土運航    沖永良部→与論 日月水金運航(SAAB340B)
沖縄便1往復/日(DASH8-Q300)   鹿児島便2往復/日(DASH8-400) 
(2012年2月現在)

与論空港 データ
設置管理者:鹿児島県
3レター:RNJ
4レター:RORY
空港種別:地方管理空港
運用時間:8:30~18:30(4月~9月),8:30~17:30(10月~3月)
所在地:鹿児島県‎大島郡‎与論町‎立長‎
標 点:N27°02′38″E128°24′06″
標 高:14.4m
面 積:22ha
滑走路:1,200m×30m
着陸帯:1,320m×120m
磁方位:14/32

航空管制周波数
・航空路管制
 那覇コントロール(沖之北セクター) 132.30 132.10
・飛行場アドバイザリー
 与論リモート 118.30(RAG)

沿革
1972年     与論空港測量開始
1973年01月 空港設置許可、着工
1975年12月 第三種空港指定、空港灯火設置許可(昼間照明)
1976年05月 空港施設供用開始(1,200mx30m)  空港灯火供用開始(昼間照明)
1977年     航空郵便始まる
      04月 東亜国内航空、鹿児島線開設(YS11)
1978年08月 南西航空、那覇線開設(YS11)
1979年     南西航空、沖永良部線開設(月・水・金)
1980年11月 南西航空、那覇~与論~沖永良部線開設(与論~沖永良部は1987年11月廃止)
1983年     日本エアコミューター、奄美大島線開設(ドルニエ機)
      06月 航空灯火変更許可(予備電源)
1984年05月  航空灯火変更供用開始(予備電源)
1985年     日本エアコミューター、徳之島線開設(ドルニエ機)
1988年12月 日本エアコミューター、鹿児島線開設(JASから路線移管)
1992年04月 航空灯火変更許可(PAPI)
1993年03月 航空灯火変更供用開始(PAPI)
1995年10月 日本エアコミューター、奄美線開設
1997年04月 琉球エアコミューターが日本トランスオーシャン航空から那覇線移管(Q100)
2003年04月 空港施設変更許可(Q400就航に備えた滑走路等強度変更)
2005年05月 空港施設変更供用開始(Q400就航に備えた滑走路等強度変更) 

関連サイト:
鹿児島県/与論空港     
国土交通省大阪航空局/与論空港   
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コメント(9)  トラックバック(0) 
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コメント 9

seiren

地方空港では地方空港でしか味わえない、航空機と身近な距離感がありますよね^^
by seiren (2012-05-14 19:08) 

guchi

大昔..(笑)子供の頃
「ヨロン」 は 「グアム」 と同じ類の
外国の島と信じていました。
あのピュアな頃の自分が懐かしい...
by guchi (2012-05-14 21:13) 

miffy

いろんな角度から飛行機が見れて楽しそうな空港ですね~
真正面から撮った写真が面白いです。
by miffy (2012-05-14 23:13) 

鹿児島のこういち

与論島(奄美群島)は、昭和28年までは外国だったんです。
今、鹿児島の南日本新聞に『「分断の海」越えて』というコラムが連載されています。沖縄が5月15日に本土復帰40周年を迎えるにあたり、海を隔てた両県の歴史を振り返り、姿を変えつつある交流の将来像を探るという副題です。
その中に、まだ沖縄も奄美も米統治下だった頃に奄美から沖縄に出稼ぎや就職していた人達は、奄美が本土復帰したとたんに、外国人となり「非琉球人」は公職追放、選挙権剥奪、銀行融資も受けられないなど、奄美に帰る渡航手続きやパスポート申請もままならない、差別を受け、出身を隠すために方言を話さず、島歌も歌わなかったそうです。
目と鼻の先の沖縄と与論なのに、こんなに辛い歴史があったのだと知りました。
奄美の復帰が12月のクリスマスの日だったため、日本へのクリスマスプレゼントだと、当時のアメリカ政府は皮肉ってたそうですから、現地の人達の感情などは、はなっから考えてなんかいなかったのでしょうね。
by 鹿児島のこういち (2012-05-14 23:39) 

an-kazu

小さいながらも設備はしっかりしているようですね!
(・・・にしても、家庭用のような室外機が゚(∀) ゚ エッ?)
by an-kazu (2012-05-14 23:45) 

Takashi

展望デッキというよりは、屋上という名前がピッタリだと思いました。
そんな展望デッキの雰囲気から、のんびりした感じが伝わってきます。
by Takashi (2012-05-15 08:03) 

guchi

こういちさん
何でも知っていますね、勉強になりました。
さすがに昭和28年は生まれていなかったので
やっぱり、あの頃の自分はピュアだった事に
させてください...(失笑)
by guchi (2012-05-15 20:40) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■seirenさん
見送りの人がどのヒコーキに手を振ればいいのかちゃんとわかってる雰囲気が大好きです^^

■miffyさん
確かにそうですね~。
ヒコーキを撮るポイントはまだまだたくさんあると思います。

■鹿児島のこういちさん
「非琉球人差別」初めて知りました。戦争に翻弄された悲しい歴史ですね。
本土復帰まで奄美は強制的に沖縄の一部に組み込まれてしまい、
日本本土への商品出荷は「外国製品」として関税がかけられ、渡航にはパスポートが必要で、
渡航許可は那覇を経由して申請という有様でしたから、食べていくためにやむを得ず沖縄に移ろうと考えた方がいたのでしょうね。
当時アメリカは、「沖縄は元々独立国家だったのだからこれを機に日本から独立させてあげよう。
沖縄に近い奄美もそうしてあげよう」と考え、これが沖縄、奄美双方の激しい本土復帰運動につながりました。
鹿児島のこういちさん仰る通り、所詮は戦勝国による現地の人の目線で見ていない独りよがりの親切ということだと思います。

■an-kazuさん
確かに設備がしっかりしているように思います。
デッキにあるの、ご指摘を受けて気が付きました。なんか家庭用室外機に見えますね(o ̄∇ ̄o)

■Takashiさん
ん~。確かに屋上ですね~(o ̄∇ ̄o)

■guchiさん
まとめてで失礼しますm(_ _)m
言われてみれば、「ヨロン」て、そんな響きですね~^^
鹿児島のこういちさんはなんでも知ってますよね。アニメから歴史まで。
guchiさんは今でもピュアですよ^^
by とり (2012-05-16 06:27) 

鹿児島のこういち

guchiさん、大変失礼しました(^_^;)
自分はいろんな事を知ってるわけではないんですよ(^_^;)地元の事はできるだけ知ろうとしてるだけで、その地元の事もまだまだ知らない事が多いのです。
自分が生まれた、鴨池空港のあった真砂本町と三和町には当時は奄美出身者が多くいまして、小さい頃にいろんな話を聞いてきたこともあり、ちょっと知っていたというとことでした。guchiさんに愚痴がいいたかったわけではないんですよ(^_^;)みんなに、今の発展の裏には、このような負の部分もあった事を知って欲しいだけでしたm(__)m
by 鹿児島のこういち (2012-05-16 19:35) 

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