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八日市(沖野ヶ原)飛行場跡地 [├空港]

   2011年10月 訪問 


2016/8/25追記:記事修正しました。

滋賀県‎東近江市にあった「八日市飛行場」。

上図は防衛研究所資料:「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」から作図しました。

DSC_0087.jpg

飛行場敷地内は現在こんな感じ。

住宅地がかなりの割合を占めています。

 

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玉園中学前に設置されている碑。

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碑の裏側。

沿革(説明部分のみ) 昭和十二年十二月十日第八飛行団隷下で 旧満州國牡丹江省海浪 飛行第十六連隊より 部隊編成に依り(第八飛行教育隊)が設立され 昭和十二年徴収兵を第一期とし 飛行兵としての特業 基礎教育が実施され 昭和十六年二月九日改正に依り 中部第九十八部隊(第八航空教育隊)として 滋賀県神崎郡御園村に移駐 昭和二十年八月十五日 終戰に至る迄 此の地に於いて幾萬の兵士が 航空機の技術を修得し護國の念に燃え 南溟又北満の戰場に飛び立って行った土地である。(以下芳名録省略)

 

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有蓋掩体壕が現存しています。

説明板(全文) 飛行機 掩体壕 この掩体壕は、大戦中の昭和19年(1944年)米軍による日本本土空襲が激しくなることが必至と見られるにいたり、軍部では飛行機を空襲から守るために、各航空基地の周辺に急いで作られたものです。この掩体壕は小型機用のもので、八日市市には現在この他もう1個所残っており、八日市飛行場の語り部として貴重な存在です。
注釈 掩体壕は至近弾の破片は防ぎましたが、爆弾の直撃には耐えられませんでした。一方、上空から隠蔽(隠す)する目的もあったので壕の上部は土で覆い、草木が植えられてありました。応急の道路が作られましたが、地盤が軟弱な箇所ではタイヤがめり込んで大変でした。それで軟弱な所へは栗石を大量に投入したり丸太を敷き詰めて急場を凌ぎました。また警戒警報が発令されると、総出で飛行機を掩体壕まで押していき、警報が解除されると再び飛行機を飛行場へ戻す作業が毎日繰り返されたのでした。現在、大阪の八尾飛行場の付近にもこれとほぼ同規格の掩体壕が残されています。八日市市

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      滋賀県・八日市飛行場跡地      

八日市飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:滋賀県‎東近江市‎尻無町‎
座 標:N35°06′02″E136°12′24″
着陸帯:1,450m×1,000m
標 高:138m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1914年09月 八日市町の沖野ヶ原を整地した臨時の飛行場にて「飛行会」を開催
1915年04月 八日市町、飛行場の造成に着手
     06月 「沖野ヶ原飛行場」完成。利用がほとんどなく、軍を誘致することに
1922年01月  陸軍の「八日市飛行場」に改称、航空第3大隊の開隊式が行われる
          その後部隊の変遷、敷地の拡張が続く
1945年07月 米軍機との戦闘が行われる
     08月 終戦、接収後一部は地主に返還、 外地からの引揚者に農地として払い下げられる

関連サイト:
八日市飛行場    
国土地理院 1946年当時の写真(USA M197-A-3No1 53) (■→「同意する」→戻る→再度■をクリック)     
ブログ内関連記事     

この記事の資料:
「陸軍航空基地資料(本州、九州)昭19.20 水路部」(防衛研究所収蔵)


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