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二宮忠八とライト兄弟・2 [├雑談]

ライト兄弟以前に飛んだパイオニアたち

「ヒコーキを発明したのは誰?」と問えば、「ライト兄弟!」と誰しも容易に答えると思いますが、

ライト兄弟よりとっくの昔に空を飛んだ(模型を飛ばした)人はたくさんいました。

1783年、フランスのモンゴルフィエ兄弟は熱気球で人類初の有人飛行に成功しています。

これはライト兄弟に先んじること120年も前です。

また、この熱気球から発展したものとして、空気より軽いガスで浮かび、動力を備えた「飛行船」があります。

こちらはライト兄弟の51年前に飛行に成功しており、その進化と実用度は一時期飛行機よりずっと先んじたものでした。

 

熱気球、飛行船は「空気より軽い」という意味で「軽航空機」の分類なのですが、

一方の「空気より重い」、「重航空機」(いわゆるヒコーキ)の分野の開発はどうだったかといいますと、こちらはかなり手こずりました。

それでもライト兄弟が成功する約半世紀前の1800年代半ばからちょいちょい記録が残っています。

飛行実験は「滑空」だったり「無人」だったり、飛行というよりむしろ「ジャンプ」だったりするのですが。

1849年にイギリスの「航空学の父」ジョージ・ケイリーは有人グライダーの飛行に成功しました。

1857年、フランスのタンブル兄弟は動力付模型飛行機の飛行に成功し、

17年後の1874年には、有人の飛行機を製作、斜面を利用して僅かに離陸することに成功しました。

1884年、ロシア人のモジャイスキーは蒸気エンジンを搭載した有人飛行実験を実施しました。

スキーのジャンプ台のような斜面から滑走を始め、30メートルほど"ジャンプ"したものの、この機体は操縦できるシロモノではなく、

右に傾いて大破してしまったため、一般に飛行とは認められていません(でもロシアでは「世界初の航空機」と呼ばれている)。

1890年、フランス人の発明家、クレマン・アデールは動力飛行を試み、高度約20cmで約50メートルの距離を飛びました。

それまでの動力機の飛行実験が斜面やジャンプ台を利用したものであったのに対し、

こちらは史上初の、補助なしの動力離陸の成功でした。

1891年、ドイツのリリエンタールのグライダーが飛行に成功しました。

1901年、それまでヒコーキの動力は外燃機関が主流だったのですが、

オーストリアのヴィルヘルム・クレスが有人機の動力に内燃機関を初めて使用したとされています。

 

アメリカでも、ライト兄弟に多大の影響を与えたサミュエル・ラングレーが1896年に試作した無人動力付の飛行機が

2キロメートル以上の飛行に成功しています。

ライト兄弟が動力機による有人飛行に成功したのは1903年12月17日なのですが、

ラングレーは同年10月7日と12月8日に動力機による有人飛行に挑戦しています。

この機体が飛ぶためには大幅な改修が必要であったことが後に明らかになっており、実験はいずれも失敗に終わりました。
(前記事の通り、軍から多額の援助を受けての失敗だったため怒られた)

このように、単に「空を飛ぶ(浮かぶ)」だけなら、ライト兄弟の時代には、もうとっくに当たり前のことだったのです。

そしてこれは飛行に関する理論面でも同様でした。

 

先人たちの実験/研究成果

ライト兄弟がヒコーキの研究を開始したのは、1896年のリリエンタール墜落死の報に触れたのがきっかけでした。

研究開始を決意したライト兄弟は、同年スミソニアン協会から推薦図書のリストを受け取ったのですが、

その中にはラングレー、リリエンタール、オクターヴ・シャヌートの著作が含まれていました。

ライト兄弟が凧を使って一連の飛行実験を始めるのは1899年でしたから、

彼らはヒコーキ開発にあたって、まずそれら先人たちの研究成果を学ぶところからスタートしたことになります。

飛行理論の基礎を作った先人にはヨーロッパ人が多く、例えば

1840年代に固定翼と動力を実地に組み合わることを提唱したイギリス人のウィリアム・ヘンソン、

キャンパーのついた翼、ヒコーキに働く四つの力、ロール安定を得るための上半角を発見した

前出・イギリスの「航空学の父」ジョージ・ケイリー、

翼は単なる板状のものより、上面が膨らんだものの方が効率よく揚力を発生させることを

きちんとデータで実証したドイツのリリエンタールなどがいます。

余談ですが、ライト兄弟に関する伝記の中でも登場する有名な逸話にこういうものがあります。

父親が少年時代のライト兄弟に「コウモリのおもちゃ」として売られていたものをプレゼントし、2人はそれに感銘を受けた。

というものなのですが、この「コウモリのおもちゃ」とは、前記事でゴム動力ヒコーキのおもちゃで登場した、

フランスのペノーが1870年に製作したヘリコプターのことでした。

このおもちゃによって二人は空への興味を抱くようになったのかもしれない。という考察もあるのですが、

ともかくライト兄弟とペノーは思わぬところで繋がっていたのですね。

ペノーも偉大な航空界のパイオニアの1人であり、

極めて科学的な手法で飛行の理を解き明かし、それをゴム動力ヒコーキで実証してみせた他、

ずっと先の時代に実現する革新的なアイディアを示しました。

 

また、米国にもライト兄弟が多大の影響を受けた人物として、前出のサミュエル・ラングレーとオクターブ・シャヌートがいます。

ライト兄弟はサミュエル・ラングレーに飛行機について教えを請い、何度か手紙で助言を受けています。

オクターヴ・シャヌートは、1894年に世界で初めて航空研究についてまとめた書籍『飛行機械の進歩』を発表した人物で、

この本はライト兄弟に多大の影響を及ぼしました。

1900年、ライト兄弟はグライダーの製作に当たって 初めてシャヌートに手紙を出しており、

飛行機開発の援助、アドバイスを要請しています。

シャヌートがライト兄弟と交わした手紙の数は500通に上るとも言われているのだそうです。

彼は複葉方式にすると、重量をそれほど増加させることなく揚力を発生させることができることをきちんと示した人物であり、

ライト兄弟初期のグライダーの原型はシャヌートのグライダーに倣った複葉機でした。

また、翼を可動式にして飛行を制御することをライト兄弟に勧めたのは彼だと言われています。

グライダーの製作現場にシャヌートが訪問するなど直接の交流もあり、

資料によっては、「シャヌートはライト兄弟の師匠である」とするものもあります。

 

ライト兄弟のヒコーキ開発

1899年、彼らはまず凧を作ります。

凧と言っても今日店先で売っているオモチャの凧ではなく、後に動力飛行に成功するフライヤーと外観は似ていて、

複葉、水平安定板を備えており、紐で翼をねじって操縦操作が可能なものでした。

この凧で実験を繰り返し、翌1900年、今度は人が乗れるグライダーを作ります。

飛行実験を繰り返してデータを取り、1901年にグライダー2号機、1902年にもグライダー3号機を製作、

改良を加えました。

いずれのグライダーも基本的な外観はフライヤーと似ています。

1901年にはなんと200種もの翼型を風洞で試験、

様々なアスペクト比、キャンパーの翼で実験を行い、理想的な翼形を追及します。

その結果、最長飛行距離189m、対気速度56km/hという記録を得るまでになりました。

こうして有人グライダーで経験を積み、いよいよ満を持して最終段階に進むことにしました。

基本形はこれまで発展させたグライダーのものを踏襲し、そこにエンジンとプロペラを取り付け、「動力飛行機」にするのです。

彼らの求めるヒコーキ用の適当なエンジンとプロペラがなかったため、これらも自作します。

プロペラは基礎研究からの製作でした。

プロペラの推進効率は現在でも75%~80%程度なのですが、ライト兄弟製プロペラの効率は約70%と非常に高いものでした。

 

「制御された」飛行

ちょっとマニアックな話になってしまいますが。

彼らは、左右に旋回するために主翼をねじって左右の迎え角を変え、機体を傾け(ロール)ました。

例えば、右の翼の迎え角を大きく、逆に左の翼の迎え角を小さくすると、機体は左翼が沈む形で傾きます。

これで機体は左旋回するはずなのですか、実際にやってみるとうまく旋回してくれません。

現在では「アドバースヨー」として知られる現象なのですが、

右の翼の迎え角を大きくすると、この迎え角の大きさが抗力になってしまい、

機首を意図しているのと逆に振るように作用してしまうのです。

この問題を解決するために彼らはフライヤーの尾部にラダー(垂直尾翼の舵)を取り付けました。

これで強制的に機首の向きを意図通りの方向に向けようと考えたのです。
(ラダーだけだと機首の向きは変わるけど、ほとんど横滑りするだけ)

1903年、フライヤーを実験場所に運んでみると、昨年放棄したグライダー3号機が残っていました。

そこでまずはこのグライダーにラダーを取り付けて何度も飛行試験を行ったのでした。

主翼をねじって機体を傾け、ラダーも併用した機体は、見事旋回するようになりました。

現在は主翼をねじるのではなく、エルロンやスポイラーを使って機体をロールさせるのですが、

「機体を傾け、ラダーで旋回」という理屈はそのまま今日に受け継がれています。

さらに彼らの機体はエレベーター(機首の上下を制御する舵)も備えており、

エルロン、ラダー、エレベーターの三舵で操縦を行う現代のヒコーキと理屈は全く同じです。

 

「ライトオペレーション」ではなく

ライト兄弟は機体の開発だけでなく、操縦訓練にも力を入れていました。

フライヤー初飛行の前年、グライダーを使ってなんと千回以上の滑空訓練を行っています。

みっちりと操縦訓練を積んだ上で1903年の動力機による初飛行に臨んだのです。

千回の滑空訓練が現代のグライダーパイロットと比較してどれほどのキャリアに相当するのかオイラは知りませんが、

その機体は自らの実験と研究に裏打ちされた設計、製作をしていますから、

機体構造もその意図も隅々まで知り尽くしていたわけです。

そこに豊富な練習量が加わるのですから鬼に金棒だったんじゃないでしょうか。

余談ですが、初心者がラジコンヒコーキを単独で飛ばそうとすると、まず間違いなく墜落するのだそうで、

非常に危険でもあるので絶対にやってはいけないことなのだそうです。

以前どこかでこれを「ライトオペレーション」と表現しているのを見かけた記憶があります(違っていたらすみません)。

本物のヒコーキの場合、初心者がベテランパイロットの下で訓練を積むのは当然のことですが、

ヒコーキを発明したのはライト兄弟ですから、ライト兄弟にヒコーキ操縦を教える教官役は当然存在しません。

そうするとライト兄弟は初心者なのにぶっつけ本番でヒコーキ飛ばしたっぽい気がします。

そんなわけで「ライトオペレーション」は、

「初心者が独りでラジコンを飛ばそうとすること」を戒めるためのとても分かりやすい表現だと思いますが、

当のライト兄弟がこれを知ったらきっと、「それは適切な表現じゃないデスネ(キリッ)」と言うことでしょう。

1903年の初飛行の際、ヒコーキに乗り込んだ彼らの心境は、

例えば大きな羽をしっかと握り締めて屋根の上に立ち、今まさに飛び降りんとする人物とは大いに異なっていたに違いありません。

彼らは既に何度も飛び、機体をコントロールしていたのですから。

 

諸先輩の功績

ライト兄弟以前の先駆者たちは自らの研究の成果を論文、書籍で発表したり講演を行うことも多く、

直接間接に刺激し合い、互いの理論を積み上げることができました。

そしてライト兄弟はこれら先人たちの優れた研究成果を活用して実験、機体設計を進めました。

前記事の「鳥の羽ばたきを真似するのではなく、推力と揚力の発生を分離する」という概念、

当時主流となっていた蒸気機関ではなく、ガソリンエンジンを使用すること、

科学的に機体をデザインするために絶対欠かせない揚力と抗力を求める公式、

揚力発生に効率の良い翼形を追及するための詳細なデータ、そしてグライダーで実際に飛ぶこと等々-

これら飛行に不可欠であり、ライト兄弟も大いに活用した理論は全て、

彼らがヒコーキ開発を決意する前に先輩パイオニアたちが既に提唱若しくは実証済みのものでした。

ライト兄弟以前に重要な理論は既にあり、先達たちはそれに基づいて飛行実験の面でも着実に成果を挙げていました。

こうして見ると、ライト兄弟の周囲には空を飛ぶための理論、それを実証する多くの先輩たちがいたことになります。

決して飛行に必要なありとあらゆるものを独力で発見、開発したわけではありません。

前述の通り、ライト兄弟よりも早く飛んだ人は大勢おり、成功までもう一歩に見える人も大勢います。

二宮忠八に限らず、「実はライト兄弟以前に飛んだ」とか「もう一歩で飛べたはずだ」という話は、

実は上に挙げた以外にも世界中に多数あるのですが、

それでも今日、「ヒコーキを発明したのは誰?」と問えば、「ライト兄弟!」という答えが返ってきます。

「ライト兄弟以外にヒコーキ開発に携わった人物」として今日人々の記憶に留められているのは、

せいぜいリリエンタール位じゃないでしょうか。

 

「世界初」

36.6m と50m。

前者はライトフライヤーの最初の飛行距離であり、

後者はその13年前にクレマン・アデールが補助なしの動力離陸に成功した際の飛行記録です。

飛行距離だけ見れば、ライト兄弟よりとっくの昔にそれを上回る数字が出ているのです。

そしてこういう話は世界中にいくつも存在します。

ではライト兄弟の一体何が世界初なのでしょう?

それは、「実用的な飛行機」に欠かせない要素である、

「動力を用い」、「離陸地点より高い高度を維持して飛行し」、「操縦可能な」、「有人機」

を世界で初めて全て盛り込むことに成功したということです。

ライト兄弟が多大の影響を受けた先人たちの偉業を1つ1つ見ていくと、

ぞれぞれが革新的な研究成果を挙げているのですが、

自身の理論にこだわり過ぎたり、他に大きな弱点を持っていたりして、

「実用的な動力飛行機」という最終目標の条件を単独で満たすことはできませんでした。

 

人類が欲したのは、そしてライト兄弟が目指したのは、単にどうにか浮かび上がれるという程度のモノではなく、

意図した方向に好きなように飛んで行けるもの、つまりきちんと操縦できる飛行機でした。

ライト兄弟は、まぐれでちょっとでも浮けばそれでよしとするのではなく、研究、試験を繰り返し、

きちんと操縦できる実用的な飛行機を作るためのステップを着実に進めました。

1903年の飛行は現代の我々からすれば、頼りないほんの小さなものに見えるのですが、

この時初めて、「これなら十分実用的になり得る」という可能性を見せました。

それはまぐれで浮かんだのではなく、ジャンプでもなく、持続可能な動力飛行でした。

そしてその飛行は、どっちに行くかは風任せなのではなく、パイロットの制御下に置かれた操縦可能なものでした。

ライト兄弟のヒコーキとそれ以外で決定的に違うのは、実用的なヒコーキとしての完成度の高さでした。

初めて「ああ、これなら十分使えるものになる」と思えるものを飛ばすことに成功したのです。

その意味で、前出の「翼をねじってロールさせ、ラダーで旋回」という操縦方法は、

他のライバルたちと一線を画する画期的なものでした。

多くの先人による多大の努力により「実用的な動力飛行機」のために必要なピースがほぼ出揃い、

不足を補いつつ、最後にそれらをバランスよく組み合わせたのがライト兄弟だった。と言えるかもしれません。

もっとも、当時飛行に関係する理論は鳥の羽ばたきを真似することに象徴される通り玉石混交であり、
(一例としてリリエンタールは晩年動力羽ばたき機の研究開発を行っており、事故死したのは開発中の羽ばたき機によるものだった)

飛ぶことがすっかり当たり前となり、結果論として正解不正解を容易に見分けられる現代とは状況が大いに異なります。

例えば、先にも書いた通りライト兄弟は風洞を作成し、科学的な手法で効率の良い翼形を追及しました。

そしてその中で先人の実験値の不備を発見、修正し、アスペクト比が大きい翼(細長い翼)が高効率であることを見出しました。

有象無象の中からきっちり玉だけを拾い上げて自分たちのモノにしたライト兄弟はやっぱりすごいですから、

ここで「すわりしままに食うは徳川」という言葉を引き合いに出すのは、家康にもライト兄弟にも失礼な気がします。

 

それぞれの評価

ここから先はかなり個人的な主観で書いてしまうのですが。

確かにライト兄弟は忠八よりずっと早く、ヒコーキの開発に成功するのですが、

そこに至る過程を見ると、上述の通りその成功は多くの先人たちの功績の上に成り立ったものです。

その流れを理解した上で改めて忠八の成し遂げたことを見てみると、

忠八って本当に凄い人だったのだと思うのです。

忠八の飛行器には不備も多々あるのですが、

独力で飛行原理を発見し、模型飛行機で原理の正しさを実証し、それに基づいて飛行器を設計しました。

「カラス型模型飛行器」は、ビックリするほど現代のヒコーキの特徴が盛り込まれています。

主翼には上半角がついており、これでロール安定が確保できます。

水平尾翼を備え、頭の部分でヨー安定確保(できるかな?)、前輪式の脚も現代のヒコーキ主流の配置です。

玉虫型よりこちらの方がすんなり飛行制御できそうです。

推力と揚力の分離、キャンパーのついた翼形等、

残されている文献通り本当にこれらが忠八の独学の成果だとしたら、

欧米で航空のパイオニアたちが束になって挙げた数々の研究成果を弱冠25歳の若者がたった一人で、

しかも滑空するカラスを見て飛行原理を発見してから僅か1年半で挙げたことになります。

お叱りを頂くことを覚悟して言いますが、正直、こうして書いていてもまだ少し信じ難いです。

 

記事の中でヒコーキ開発に携わったパイオニア何人かに触れましたが、

航空界にはその名を留める人物がまだまだたくさんいます。

「重航空機」に限っても、1800年代半ばから1903年までにたくさんのパイオニアが、

理論、飛行実験で多くの成果を挙げています。

パイオニアの多くは欧米に集中しており、彼らは地理的な面でも直接/間接に接触を持ち、

互いの成果を積み重ねるのに有利であり、また実際にそうしました。

人類初の有人飛行に至るまでの年表を見ると、1900年前後の、特に実験面での成果は目覚ましく、

「これはもうそろそろ欧米のだれかが成功するでしょ」と思わせます。

「1903年・ライト兄弟」という予備知識がまったくないとしても、そして肝心の部分を隠したとしても、

年表を眺めれば初飛行に成功するおおよその年は言い当てることができるんじゃないでしょうか。

そのくらい1903年の成功は必然だったのです。

 

大勢の開発者が少しずつ理論、実験の成果を積み上げてゆき、やがて大きな成果を挙げる-

ヒコーキ開発の歴史は間違いなくこの部類です。

ところが時々、たった1人の天才によって技術が一気に進化する分野があります。

例えば時計の世界には、数々の革新的な発明を1人で成し遂げた天才時計職人がおり、

人々はそんな彼のことを「時計の歴史を200年早めた」と称します。

忠八が地理的に他の航空界のパイオニアたちから隔絶された環境に置かれており、

文献通り本当に独自であれだけのことを成し遂げたとするなら、

オイラに言わせてもらえば、これこそ天才時計職人に匹敵することで、

「天才」という言葉でしか説明のつかない偉業だと思うのです。

それだけに研究の中断が惜しまれます。


それぞれのその後

初飛行に成功したライト兄弟はその後ライト社を設立、様々な飛行機の開発を進めるのですが、

飛行に関する特許を守るため法廷闘争に明け暮れたせいなのか、

大西洋を挟んでの熾烈な航空機開発競争の歴史に彼らの名前はもう登場しません。

ライト兄弟の成功からほんの数年後には、非常に美しい、洗練された高性能の機体が続々と登場するのですが、

同時期のライト社製のヒコーキは初飛行に成功したフライヤーと大して代わり映えがなく、

「未だにこんなドン臭いものを作っているのか!」という印象で、性能面でも凡庸です。

ライト兄弟もまた、自身の発見にこだわり過ぎたという弱点を持つ航空界のパイオニアの一人(組)ということなのかもしれません。

その後のライト社は1929年、仇敵・カーチス社と合併。カーチス・ライト社として全米最大の航空機メーカーになりますが、

第二次大戦後は経営不振から航空機部門をノース・アメリカン・アビエーションに売却し、

航空機メーカーとしての歴史に幕を引きました。

その後、カーチス・ライト社はコンポートネントメーカーとして今日でも航空機事業に関わりを持ち続けています。

一方、 カーチス・ライト社の航空機部門を引き受けたノース・アメリカン・アビエーションは、

その後合併、売却を経てボーイング社に組み入れられています。

 

一方の忠八は後に飛行神社を建立し自ら神主になりました。

忠八は資金を貯めるために軍を退役し、製薬会社に勤務するわけですが、

活動再開までの空白期間が4年(ライト兄弟の初飛行まで5年)あり、返す返すも勿体ないことをしたなぁ、と思います。

二宮忠八に関して以前読んだ本の中に、

「『日本人は猿真似は得意だがオリジナリティーがない』と言うが、そうではない。オリジナルの評価ができないのだ」

というような一節を見たことがあります。

全くその通りだと思います。

もしも忠八が研究を休むことなく続けていたとしたら、一体どのあたりまで行けていたのでしょうか。

 

 

この記事の資料
ライト兄弟のひみつ
     
Wiki:ライト兄弟
     
二宮忠八小伝
よくわかるヒコーキ学入門


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コメント 62

Oldan

とり様 
すべて、拝読いたしました。すばらしいの一言!!
やはり、飛行機好き(飛行場好き)でないと書けません。
私も、二宮忠八の記念館には出かけました。
2時間いましたが、私一人でした。
ところで、忠八の事を学校等で教えるのでしょうか??
ライト兄弟やリリエンタールの事は図書館だけで??
個人授業のみ?? もしそれなら悲しいですね・・
約45年前の卒業生では、今の学校の事は不明ですが・・
by Oldan (2011-07-06 19:16) 

鹿児島のこういち

返す返すも、二宮忠八が研究を断念したのは残念(>_<)しかし、自分が当時二宮忠八だったら、同じく断念してたかもです。
開発費をかけて新しい飛行器を造るより、先に生産されたものを購入して、発展させようとする方向が楽でしょうから(^O^)
もっとも、購入資金があればの話しにもなりますがf^_^;
日本人が新しいものを造ると、日本ではまず先には売れないですよねf^_^;海外で評価を得て、慌てるがの如く、「日本製品はすばらしい」といって日本で売れるという、他人の評価がないと日本人って手を出さないってところがあると思います。
カシオのGショックしかり、、
オタク文化も最初はどれだけ馬鹿にされたか。20代の頃、ガンダム好きってだけで自分も馬鹿にされてましたからねぇ(^O^)今でも、ガンダムワールドは続いてますからぁ~(ノ_<。)


えっと、何の話しでしたっけ?(^▽^(^▽^*)
by 鹿児島のこういち (2011-07-06 19:24) 

Takashi

今回も、じっくり読ませていただきました^^
二宮忠八は独りで研究していたんですね。
やるじゃん忠八って思いましたよ。
by Takashi (2011-07-06 19:52) 

guchi

とり人間に加わる愚息への英才教育
前回レスでお褒め頂き、謝謝ございます (^.^)
キティーホークへ愚息と一緒に行った夏を
思い出す今回の飛行パイオニアの調査・整理
楽しく読ませて頂きました、謝謝ございました。
Thanks!

by guchi (2011-07-06 22:21) 

雅

見事な長文でした。
もし忠八さんが研究を続けてライト兄弟より先に初飛行を成功させても、ヨーロッパ中心の当時、おそらくはライト兄弟が「世界初」だったのではないかと推測します。
by (2011-07-06 22:42) 

まめ助の母

すごい〜
読み応えありましたぁ〜
こういうきちんとした文章が書けるのは
すばらしいです!!

そういえば子供の頃ライト兄弟のこと描いたマンガに
リリエンタールが死んじゃった事書いてありました

日本にもいたんですね〜
空に浮かぶではなく飛ぶなんですね…
そこにこだわるから、進歩して行くのでしょうね
by まめ助の母 (2011-07-07 06:55) 

春分

知らないこと、知らない人達がいっぱい書かれていました。
それよりも論旨に共感します。誰がというのではなく、人類がそれを
必然として成した。科学は、あるいは人の行はかくのごとき積重ね。
自動車もカメラもいや化学も生物学も数学も、社会や建築も、全て。
無名ながらその一員であることは喜ばしいことです。
by 春分 (2011-07-07 08:26) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■Oldan様
単なる妄想記事なのに恐縮ですm(_ _)m
こちらにもお出掛けでしたか。やっぱり寂しい施設だったのですね^^;
二宮忠八に関しては、国粋主義の道を走っていた時期に学校で取り上げられたことがあるのだそうです。
オイラも学校で二宮忠八は習わなかったです。
二宮忠八に関する評価は、ものすごく低かったり、事実以上に持ち上げていたり、まだ正当な評価が固まっていないと感じました。
十分注意して作ったつもりですが、この記事にもおかしな部分が含まれてしまっているかもしれません。
きちんと検証をした上で、「日本にもこんな偉人がいた」。ということを今の子供たちに教えるのはいいことだと思います。

■鹿児島のこういちさん
>Gショック
そういう部分、ありますね~。
今のアニメだって、諸外国、特に欧米で大人気になったので、やっと国内で市民権を得たように思います。
鹿児島のこういちさんは最初期からのガンダムファンだったのですね^^
世界に冠たるジャパニメーション、今後も続いていって欲しいのですが、
ちょっと心配な部分もありますね。
受け売りですが、ジブリも宮崎さんだから映画上映できるのだそうですね。
今後の国内アニメ業界、どうなるのでしょうか。心配です。



えっと、何の話しでしたっけ?(^▽^(^▽^*)

■Takashiさん
オイラの妄想記事にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
こんな見方もあるのか。程度に受け止めて頂けると嬉しいです。

■guchiさん
>キティーホーク
その節は貴重な資料を本当にありがとうございましたm(_ _)m
ご子息は本当に得難い貴重な体験をしてこられたのだと思います。
今後が楽しみですね^^

■雅さん
それは十分あり得ると思います。
もう一歩まで迫ったパイオニアには社会的な地位のある高名な人物が多かったです。
「名もない自転車屋」に先を越されたと知り、米国内ですら当初は認めようとしてませんでしたから。

■まめ助の母さん
十分注意して書いたつもりですが、忠八評はまだ確立されてないんですよ。
「こんな見方もある」程度に受け止めていただけると嬉しいです。
>そこにこだわるから
その言葉に尽きると思います。
グライダーも気球も今でもありますが、どちらもほぼレジャーのくくりですよね。
ヒコーキが人々の生活に及ぼしている影響の大きさとは比べ物になりません。
その可能性を予見した大勢のパイオニアが、飛ぶことにこだわり続けたからこそ今のヒコーキがあるのだと思います。

■春分さん
春分さんにそう言って頂けると嬉しいです。
富士山だってエベレストだって、麓から膨大な積み重ねがあるからこそ
山頂があの高さに存在できるんですよね。
by とり (2011-07-08 07:07) 

鹿児島のこういち

宮崎駿氏は、アニメーターの先輩である同じジブリの高畑勲氏がいるからこそだと僕は思っています。高畑勲氏とは今は考え方が違ってますが、目指す先は一緒ではないでしょうか。
つまり、高畑勲とのライバル関係が今のジブリを支えてると思うのです。
お互い非難しあうところが面白い(^O^)
自然や人間の生き方を大きなテーマに捉える宮崎駿氏(トトロやもののけなど)と人間の生活を見つめる高畑勲氏(となりの山田くんなど)
アニメはタツノコもサンライズも頑張ってるし、アニメーターのすそのも広いですよ。
そこを支えるであろう同人誌も今もって健在ですよ(^O^)
たしかに世界のアニメーターも進化してますが、そんなに心配してない自分ですf^_^;
by 鹿児島のこういち (2011-07-09 18:51) 

an-kazu

高速鉄道で覇権を狙っている大陸の人々に、
この記事を読んでもらいましょうか(^^);
by an-kazu (2011-07-10 00:07) 

とり

■鹿児島のこういちさん
>そんなに心配してない
心強いお言葉ありがとうございます。
ちょっと安心しました^^

■an-kazuさん
そうだそうだ!o(`ω´*)oプンプン
事故が起きてしまったらどうするつもりなのかしらん。
by とり (2011-07-10 06:24) 

sak

いろんな事、はじめて知りました
今はある面当たり前になってしまった
飛行機の歴史...飛ぶと言うことについての歴史
改めてそのすごさと素晴らしさ感じました
by sak (2011-08-02 10:28) 

とり

■sakさん
>当たり前
確かにその通りですね~。
先人たちの努力のおかげですね。感謝。
by とり (2011-08-03 05:59) 

つくつくほうし

短文で極めて優れたリポートです。
なるほど、人が乗って制御できる点でライト兄弟の飛行機が世界初に相応しいということになるわけですね。
しかし、コンセプトというか基本構造では忠八の考案が優れていると思います。(今、話題の橋下のような安っぽい国粋主義ではなく客観的な評価で)

ライト兄弟のは、カタパルト発進だったから。(着陸においてもカタパルトが設置された飛行場に限られるのはデメリット)
by つくつくほうし (2013-06-07 17:52) 

とり

■つくつくほうしさん
いらっしゃいませ。過分のお言葉恐縮ですm(_ _)m

当時の飛行機は既に降着装置に車輪を採用したものが多数あり、
ライト兄弟の本業が自転車屋であることを考えると、
敢えて橇とカタパルトの組み合わせにしたのは、
実験場所が当時砂浜だったからてはないかと思います。
by とり (2013-06-08 19:07) 

つくつくほうし

それは深読みに過ぎるでしょう。
市販機種でもカタパルト発進にこだわっていました。
なんで2機目から車輪に替えなかったか知りたいところです。
by つくつくほうし (2013-06-15 18:52) 

とり

■つくつくほうしさん
すみません、大きな勘違いをしておりました。
初飛行の際、フライヤーはカタパルトを使用していません。
初飛行の翌年、二機目からカタパルトも制作したのですが、
彼らがカタパルトを使用した理由は至極単純なもので、強風に頼らなくても飛べるようにするためです。
ライト兄弟がフライヤーを飛ばした当時の様子はYOUTUBEで閲覧ができ、
そこではフライヤーを車輪に乗せて運ぶ様子が映し出されています。
また、数人がかりでカタパルトの重りを持ち上げる様子も映っています。
わざわざ車輪に載せるのなら、最初から車輪をつければよいではないかと当時の人も考えたはずで、
非力なエンジン、非力さ故に軽量化が厳しく求められる華奢な機体等、
カタパルト方式にせざるを得ない理由があったのだと想像します。
http://www.youtube.com/watch?v=q3beVhDiyio

つくつくほうしさん仰る通り、ライト機がカタパルト方式を廃したのはかなり後になってからで、
それ以前にライバル機は車輪方式にしていますから、もっと早くこの方式にしなかったのは何故だろうと
その点については不思議な感じがします。
by とり (2013-06-18 21:31) 

つくつくほうし

依然として謎は残りますが、艦載機の運用に大きく貢献していますネ。
後年、航空母艦でなくても飛行機を発進できるということで潜水艦までも飛行機を装備しましたから。
by つくつくほうし (2013-06-19 17:44) 

とり

■つくつくほうしさん
以前その辺のところをナショジオでやってましたね。
ライト兄弟のカタパルトにヒントを得た米国海軍は、艦上で重りを使う訳にはいかないので、代わりに圧縮空気を使った実験を行ったと紹介されてました。
by とり (2013-06-19 20:44) 

つくつくほうし

調べたわけではないが、カタパルト発進にしたのは滑走距離を圧縮することで施設を小さくできるからではないか?
飛行場が小さくて済めば、都市の真ん中でも飛行場を設けられるわけだし。
じゃあ「カタパルトの使用ができない着陸については?」と反論されそう。
しかし、着陸距離は離陸距離よりも短い。
より長い距離を必要とする方の離陸走行を圧縮できれば、それなりにメリットと考えていたのではないか?
どうでしょう?
by つくつくほうし (2013-07-15 19:24) 

とり

■つくつくぼうしさん
実は気になってあれから本やネットで自分なりに調べてみたのですが、
カタパルトを使用した理由については、
「カタパルトの力を借りないと離陸できないから」という説明しか見つけることができておりません。
初飛行から7年後のモデルBでやっとカタパルト方式を廃し、車輪を装着している訳ですが、
これも「カタパルトの力を借りずに離陸可能となった(からである)」としか説明されていません。
根拠資料は見つからないのですが、いずれにせよ当時のエンジンは重くて非力ですから
離陸滑走にはうんと距離が必要な訳で、
つくつくほうしさんの考察は当たっているかもしれません。

別の観点からの話ですが。
ライト兄弟は初飛行に成功した後、飛行機の売り込みを行う訳ですが、自国では当初見向きもされなかったため、
ヨーロッパに売り込みに出向きましたよね。
自国で採用されないものを他国に持って行き、彼らの前で飛ばしてアピールしなければなりません。
そんなことを数年に渡り各地で行ったわけですが、ある程度の広さがあれば離陸可能な
カタパルトは非常に便利だったと思います。
特に初期の頃の人々は飛ぶことに半信半疑な訳で、彼らの目の前で(比較的)短距離で飛び立って見せるというのは
プレゼン効果も絶大だったのではないでしょうか。
余談ですが、ライト機が着陸に使用したソリは、現代のヘリコプターのようにわざわざソリを取り付けているのではなく、
当時の写真から明らかな通り機体構造部材の接地部分をソリとして活用しています。
カタパルト方式にしてモノレールの上を滑らせて離陸し、ソリで着陸すれば、降着装置もブレーキも不要。
非力なエンジンを補うには非常に効果的な組み合わせであったと思います。

カタパルトを廃し、車輪を付けたモデルBが登場するのは、
飛行機が有用なものとして認知され始め、ライト社製の飛行機の販売が軌道に乗る頃と合致しています。
一連のプレゼン活動の時期から、その後の量産と販売への時期への移り変わり。
こうしたこともカタパルトの使用と廃止に関係しているのかもしれないと勝手に想像しております。
by とり (2013-07-17 05:27) 

じょん

こちらにもおじゃまします。

亡くなった親戚が中島飛行機でエンジンの開発に関わってて、
昔この話しを聞きました。

うろ覚えですが、
エンジン出力とプロペラのセッティングの兼ね合いだそうです。
離陸時と巡航時では必要とされるエンジンの出力特性もプロペラの角度も違うと。

当時はエンジンも非力で出力特性もピーキーでしょうから、
離陸には相当な距離が必要になったのでしょう。
それに、プロペラも固定ピッチですから尚更ですね。
by じょん (2013-07-17 17:32) 

じょん

補足(というか書いてるうちに漏れてしまった...)

だから、カタパルトが必要だったんだと思います。
by じょん (2013-07-17 21:21) 

とり

■じょんさん 
こちらにも貴重な情報ありがとうございましたm(_ _)m
中島飛行機でエンジン開発ですか! 凄いご親戚の方がいらっしゃるのですね。
そういう話が聞けたとは羨ましいです。
可変ピッチ機構はかなり早い段階で「こういうものがあれば便利なのに」と分かっていたのですが、
実用化に時間がかかりました。
可変ピッチ機構は離陸時と最高速度時の速度差が大きい程有効ですが、
ライト社が初飛行から7年後に陸軍に納入した機体(カタパルト式)で既に70km/hに迫っていました。
もしもこの機構を付けることができれば、カタパルト方式を廃していたかもしれないですね。
この陸軍モデルは軍の速度要求性能を4km/h上回ってボーナスを受け取りました。
この機構がついていれば、もっとガッポリ貰っていたのかもしれないですね。
by とり (2013-07-18 06:15) 

つくつくほうし

やはり、そうだろうと思った。
当時は航空用エンジンなんて存在していない。
かのバトルオブブリテンで活躍したスピットファイアーでさえも自動車用エンジン。
したがって背面飛行するとエンスト。(世界軍用機史上最大の損害を生じたゼロ戦のエンジンよりは高性能)
対するメッサーシュミットは先進の航空機専用エンジン。
ドイツ空軍が「世界最高の戦闘機だ」と乗員を鼓舞したのはウソじゃなかった。
ドイツ側が自分から侵攻計画を放棄したために世界史的には敗戦の評価であるが、イギリスが休戦交渉に着手しようとしていたのも事実。
とにかくパイオニアが前に進もうとすると思わぬハードルが待ち構える。
教科書の華やかな掲載写真と裏腹に史上初の有人飛行機が車輪走行発進を見送っていたところに辛苦が示されているようで重い。
by つくつくほうし (2013-07-22 17:33) 

とり

■つくつくほうしさん
>スピットファイアーでさえも自動車用エンジン。
マリーンエンジンは開発の経緯からして航空機用エンジンと思うのですが。
by とり (2013-07-23 05:31) 

つくつくほうし

スピットファイアーに搭載のエンジンは、乗用車メーカーのロールスロイスが納入したものです。
また、背面飛行でエンストするのも戦史マニアの間で知られた話です。
それが航空専用エンジンのはずがないですよネ。
ロールスロイス社としては、要求通りの性能を持たせた航空機仕様なんでしょうが機能的に可笑しいですよ。(当時は、それでもOKだったのでしょうか?)

by つくつくほうし (2013-07-23 21:10) 

とり

■つくつくほうしさん
ロールスロイスは仰る通り自動車メーカーとして有名で、自動車メーカーとして発足しましたが、
第一次大戦期からの歴史と実績のある航空機用エンジンメーカーでもあります。
そのロールスロイスが航空機用エンジンのラインナップを揃えるために自主開発したPV-12が後のマリーンエンジン
となりました。
マリーンエンジンを自動車、船舶に使用した例も一部ありますが、これは開発から時間が経ってからの話で、
「自動車エンジンを航空機に使用した」というつくつくほうしさんのお話とは順番が逆です。
工業先進国だった欧米では、自動車メーカーが戦時に航空機、航空機エンジン生産を担当するケースが非常に多いです。

また、「背面飛行でエンストする」→「航空専用エンジンのはずがない」と仰ってますが、
この現象は何もマリーンエンジンに限ったことではなく、同時期各国の戦闘機はこれで苦労しています。
零戦はキャブレター内に「ゼロG」、「マイナスG」、「プラスG」それぞれに対応した機構を組み込み対応しています。
同時期米軍戦闘機のキャブレターは機構的にあらゆるGに対応することができずG制限がついており、
思い通りの機動ができませんでした。
零戦が無類の格闘性能を誇ったのは、一つにはこの巧みなキャブレター機構があります。
納得いかなければ、是非「マリーンエンジン」で検索してみて下さい。
by とり (2013-07-24 06:52) 

NO NAME

いつも興味深く拝見しています。
航空エンジンの傑作と名高いマリーンエンジンを自動車のエンジンとは…
こんなゆとりに懇切丁寧に説明するとは主さんは真面目ですな。
さて、完全に論破されるとそのまま遁走して二度と姿を見せないのがゆとりの常ですが、この方の場合はどうでしょうかね。(主さん、このコメントにレス不要です。横から失礼しました)
by NO NAME (2013-07-24 11:45) 

つくつくほうし

ご丁寧に、恐れ入ります。
要するに、エンストしても当時はOKということですね。
ところで無類の格闘性能につながったキャブレター搭載でも最大の損害を出して敗退した零戦は超駄作機ということですね!
by つくつくほうし (2013-07-24 16:23) 

とり

■つくつくほうしさん
OKというか、要するに当時は背面を含めてあらゆる機動に対応できるキャブレターが作れなかったということです。
>超駄作機
本気で仰っている訳ではないですよね。
by とり (2013-07-25 06:17) 

つくつくほうし

さすがは、技術立国ドイツだけのことはある。
本気ですよ。
零戦が戦果をあげていたのは中華の複葉機や空軍を持たない植民地駐留軍を相手にしている間でした。
カーチスP40やヘルキャットF4Fと対戦するようになると押され続けています。
太平洋戦争中もスコアで連合軍(主にアメリカ)を凌駕した年は無い。
最終的には日本側(大半は零戦)の損害はアメリカ1国に限定しても10倍にのぼる大敗です。


by つくつくほうし (2013-07-25 15:37) 

じょん

またまたおじゃまします。

その当時の技術者が、その当時最高のものを作った。
それに対し敬意を表しませんか?

例え、ノウハウが蓄積した今の目から見て未熟だったとしてもです。
つまり、そういう事の積み重ねが、最新の技術の根幹にある訳です。

by じょん (2013-07-25 17:40) 

とり

■つくつくほうしさん
「ヘルキャットF4F」と書いておられますが、これはF6Fのことを指すのか、ワイルドキャットのことを言っているのか、どちらでしょうか?
本題ですが、仰る通り零戦は大きな損害を出しまいました。でもそれは零戦が駄作機だったからではありません。
その理由を説明しようと思ったのですが…つくつくほうしさん、ご自分でその理由をちゃんと書いておられますよ(一部誤りがありますが)。
零戦が駄作機だったと本気で仰るのなら、失礼ながら自己矛盾をきたしておられます。
傑作の航空エンジンを「機能的に可笑しな自動車エンジン」と書いたかと思えば、今度は事実を曲げてまで「零戦は超駄作機」ですか。
この記事の趣旨から大分外れてきているように思うのですが、
つくつくほうしさんが何を主張したいのか、私には理解できません。
まずは落ち着いてじょんさんのコメントをよくお読みになられてみては如何でしょうか。

■じょんさん 
どうもありがとうございました。
by とり (2013-07-26 05:58) 

とり

■つくつくほうしさん
零戦が無敵を誇っていた当時、なんとか劣勢を挽回をしようと有名なサッチウィーブ戦法を編み出した米海軍サッチ少佐は、
「F4F-4型は上昇力、運動性能、速力のいずれの点でも、情けないほど零戦に劣っている。」と評しています。
また、敵前逃亡を厳罰に処す米軍ですが、南方のF4Fは飛行中に退避してよいケースとして、①雷雨に遭った時 
②零戦と遭遇した時 と指令書にハッキリ書かれていまし、前線の各基地には「零戦とドッグ・ファイトを絶対にやってはならない」旨伝達しています。
P40も同様ですが、初期の零戦は米軍機相手に無類の強さを誇りました。「ペロハチ」という言葉をご存じないでしょうか。
つくつくほうしさんが何と主張しようとも、こうした実例は(当時の敵国からでさえ)調べればいくらでも出てきます。

それでも大戦期全体を通してみれば、つくつくほうしさん仰る通り零戦は大敗しています。
その理由は「複葉機には勝てたが、新型機が登場すると押され続けている」とするつくつくほうしさんの論旨そのままです。
技術の陳腐化が非常に早い大戦期間中の5年間を、日本海軍はほとんど零戦のみで通さざるを得ませんでした。
初期の頃零戦は米軍パイロットから恐れられ無類の強さを誇っていましたが、
採用時には最新最強でも、時の経過と共にそれを上回る性能機、効果的な戦法が開発されると、徐々に苦戦を強いられるようになりました。
そんな晩年の姿だけ取り上げてつくつくほうしさんは零戦は「超駄作機」と仰る。
つくつくほうしさんの理論だと、より高性能のものが登場して活躍すると、それ以前のものはすべて「超駄作機」に塗り替わってしまいませんか?

ドイツが大変お好きなようですが、一例としてドイツが開発したHe178のエンジンは、
タービン入口温度を700℃まで上げるのが精一杯。それでもたった数回の飛行でタービンブレードが破損しました。
それから25年後のB727用エンジンでは、タービン入口温度は1,000℃以上、使用時間は数千時間に伸びています。
燃費、信頼性、性能、どれをとってもアメリカ製のエンジンと単純に比較するならこのドイツのHe178など見るべき所のない陳腐なものです。
ご存じの通りその後エアバスが台頭するまで、西側のジェット旅客機市場は長い間アメリカにほぼ席巻されてしまいました。
つくつくほうしさんの論理だと、このドイツ機は「超駄作機」ということになってしまいますが、
実際にそう見なす人は恐らく1人もいないはずです。むしろ「近代ジェット機の祖」との評価を受け、航空史の重要な道程として記録されています。

「その当時の技術者が、その当時最高のものを作った。
それに対し敬意を表しませんか?」

He178も、零戦も、じょんさんのお言葉の通りだと思うのですが、如何でしょうか?


次にスコアについてですが。
各パイロットの戦果報告は曖昧な部分が多いです。
例えば1機の撃墜に3機が加担していた場合、それぞれのパイロットが撃墜を主張すると、「3機撃墜」で記録が残ります。
敵機は確実に被弾したが、雲の下に見えなくなった/見失った/実際に墜落するところまでは見ていない。というケースも多々あります。
これが撃墜として報告さたものの、実際にはなんとか帰投したかもしれません。
これは日本も同様なのですが、どうしてもこちらの戦果は大きく、損害は小さくしてしまいがちで、
このため最終的な国の公式発表でも、彼我で突き合わせてみると驚くほど双方の数字がかけ離れていることがあります。
個々の部隊単位で見ていくと、例えば米軍の発表を鵜呑みにすると、日本の航空隊が何度も全滅しないと辻褄が合わない。
ということもあります。
一例として、前述の通りあまりの性能差に零戦との戦闘戦禁止令を出し、抜本的な戦法の変更を強いられたF4Fですら、
米側の公式発表では最初からキルレシオで零戦よりF4Fの方が勝っていることになっています。
「このテの数字は3~4倍水増ししてると思って見た方が良い」と言う人もいるくらいです。
スコアについては一方の主張を鵜呑みにせず、双方の数字を突き合わせ、慎重に考慮する必要があります。


最後に「最終的には日本側(大半は零戦)の損害は…」と仰っている点についてですが。
零戦の生産数は10,430機、終戦時に国内外に残っていたのは約750機とされており、9,680機が失われた計算なります。
1945年9月4日 第88回帝国議会における陸海軍大臣の報告では、戦時損耗数は陸海軍合わせて51,109機とされており、
日本側の損害のうち、零戦の占める割合は18.9%です。
また、太平洋戦争時の陸海軍の戦闘機だけに絞ると、全部で23,609機を失った計算になります。
この場合、零戦の占める割合は41.0%です。
何を根拠に「最終的には日本側(大半は零戦)の損害は…」と仰るのかは存じませんが、
いずれにせよ二割四割では「大半」という表現には当たらないと思うのですが、如何でしょうか?
by とり (2013-07-28 06:16) 

つくつくほうし

三菱  九十六式艦上戦闘機                 982/    38
  三菱  零式艦上戦闘機                10,044/ 1,157 注1
  中島  二式水上戦闘機                   254/    24
  三菱  局地戦闘機 雷電                  400/   179
  川西  局地戦闘機 紫電                1,000/   376合計
  川西  局地戦闘機 紫電改             415~428/   376合計
  月光                            477/    40
  強風                             97/    31


アメリカの公式データーから右側が残存数。(ただし、部品調達や整備場の問題で実際に飛行できるという意味ではない)
海軍機だけですが、おおよそ9割の損害ということで、ご了承ください。
ただ、仰せの通りで引っかかるのは、零戦が、こんなに多数残っていたんですね。
様々な戦記や伝聞から想像では、100機も残存していないだろうと思っていましたが。
首都防衛用には「30機程度が残る」のみと記述されたものを読んだことがあります。(典拠は忘れました)
by つくつくほうし (2013-08-09 17:54) 

つくつくほうし

繰り返しますが、零戦が優位だったのは中華の複葉機や空軍の無い植民地駐留軍あいての間だけでした。
アメリカ軍相手では、互角に戦った場面はありましたが終始優勢だったことは無い。
もちろん、途上国日本に互角な時期もあったことは立派だと思います。
しかし、冷静に見ればアメリカが新鋭機を投入する前から押されていたのが現実。
by つくつくほうし (2013-08-09 18:04) 

とり

■つくつくほうしさん
今回出しておられるデータだと、零戦単独の場合、約9割の損害、
「海軍戦闘機損害に占める零戦の割合」だと78%になりますね。
当初書いておられた「日本側の損害」ではなく、
今回出してこられた条件なら、確かにつくつくほうしさんの仰る通り「大半が零戦」です。
そういう条件での話なら異論ありません。
イメージと実際が食い違うことは私もよくあります。


>アメリカ軍相手では、互角に戦った場面はありましたが終始優勢だったことは無い。
>アメリカが新鋭機を投入する前から押されていたのが現実。

つくつくほうしさんの主張については理解致しました。
ただ残念ながら、手持ちの資料やネットで調べても、
つくつくほうしさんの持論を確証することができません。
私の勉強不足のせいか、そのような主張にはこれまでお目にかかったことがありませんし、
調べて出てくるのは、「米軍相手に零戦は当初優勢であった」という内容ばかりです。
そのため、つくつくほうしさんがご自身の持論を何度繰り返されても、
「とても信じられない。」というのが率直なところです。
私は零戦が米軍相手に当初は優勢であったことの根拠として、

・実際に零戦と渡り合い、対策として新たな戦法を考案したサッチ少佐の証言、
・米軍部隊に出されていた零戦との戦闘禁止令

を挙げましが、それでもつくつくほうしさんは「終始優勢だったことは無い」と断言しておられます。
では、つくつくほうしさんはサッチ少佐の証言(F4F-4型は…いずれの点でも、情けないほど零戦に劣っている)
や、新たな戦法を生み出して対抗せざるを得なかったという事実をどのように解釈しておられるのでしょうか?
米軍部隊に零戦との戦闘禁止令を出したのは一体何故でしょうか?
そして、「終始優勢だったことは無い」と断言する根拠は何でしょうか?
つくつくほうしさんの主張を裏付ける、出自の確かな資料があれば是非拝見したいので、
教えて頂けないでしょうか?
by とり (2013-08-12 06:17) 

つくつくほうし

それは簡単。
あたなが、風評に満足して真相を見ようとしないだけ。
例えば、新鋭機F6Fヘルキャットですが、零戦開発者や海軍関係者の証言では「アメリカが鹵獲した零戦を飛行させてみて弱点研究。そして対抗できるように開発した」と。

日本人ならば誰でも信じていると思います。
どうして信じるのかを反省したい。(同じ愚かさを繰り返さないために)
ところで、なぜ、海軍関係者の証言がウソと断言できるのか?

答えは、飛べる零戦をアメリカが確保したのは、1942年7月。
片や、F6Fの初飛行は1942年6月。
すでに設計が終わっているのに、どうして零戦に対抗できる機種を開発できるのでしょう?
おかしいでしょう!
いまだに大本営発表を反省していないんです!実に愚かしい!

ちなみに世界で零戦を参考に飛行機開発したところは皆無。
だって、歴史上まれにみる脆弱機ですから。(実は欠陥機承知なのに、あえて採用した海軍の異常さが際立つ)
アメリカの航空機開発もドイツ機への対抗を意識していました。(よそからの聞きかじりですが、本当でしょう)

貴兄の姿勢は、むしろ、好ましいことです。
自分だけが正しんだから「異教徒は殺されて当然だ」みたいなテロリストじゃなくて。
こうして切磋琢磨しあうことは、いかなる分野でも必須。
「正しいことは1つ」とは言いませんが、正しい事実というものはあります。
失敗プロジェクト(大東亜戦争)を強行したA級戦犯(虐待とかの刑事事件ではなくて民事では背任罪)は日本側においても戦犯であったことを銘記したい!
GHQの報復裁判じゃない。
ウソを繰り返して後世を陥れる戦中派を日本側の若い我々の手で裁くべきなんです!
by つくつくほうし (2013-08-16 20:02) 

つくつくほうし

追伸

「戦闘禁止令」なるものは、つくり話では?(犯人については日本海軍かアメリカかは判らない)
小生の戦記での記憶では「格闘戦法禁止」だったと思う。
多分、正しいはず。
それはそうでしょう。
終始、制空権を確保していたアメリカ軍が零戦と戦闘しないで済むはずがないから。
それに、時代は、高速重戦闘機(日本の軽爆撃機くらいのレベル)ですから。
一撃離脱が戦法の中心です。
また、アメリカ軍機の武装は零戦の射程外で攻撃できるから格闘の必要もないわけ。(アウトレンジ)



by つくつくほうし (2013-08-16 20:19) 

つくつくほうし

それと日本側の損害状況ですが、残存数には先述のように飛べないものも含まれているから(部品調達見込み無し、修理整備中、工場出荷前)実質の損害状況は9割り。
78%ではありませんから統計のまやかしに乗せられないようにして下さい。
by つくつくほうし (2013-08-17 17:40) 

つくつくほうし

敗戦記念日が過ぎたので話のついでに。
ミッドウエイ戦で日本陸軍の始めた大東亜戦争は、海軍の敗戦で終わった。
その後は、官僚が自らを1日でも延命しようと国民に犠牲を強いた不毛な消耗戦。
転機となるミッドウエイ戦の敗因ですが、巷間では日本海軍の段取り不手際が取りざたされています。
現在の日本を見れば官僚の程度の想像はつきます。
しかし、もっと決定的だったのは零戦。
例えば、坂井氏(零戦エース)の手記によればアメリカ攻撃機の後方機銃の掃射で落命しかけたことを証言。
勝者はドーントレスとかの名称だったかな。
模型店でも行って確認してください。
それが日本艦隊に襲いかかるのを日本側防空隊が撃墜できなかったということに尽きるのではないか。
まだ、開戦から1年も経過していない段階です。
ちなみにアメリカ側の主力戦闘機はF4F。
零戦よりも、いい仕事してますよ。(ちゃんと爆撃機や艦隊の護衛の任を果たしてスコアも零戦を凌駕)
そもそも、戦闘機は航空戦力の主役ではないです。
あくまで爆撃機。(艦隊に例えると戦艦役。戦闘機を例えると護衛艦)

話は飛びますが、小生の少年時代などミッドウエイ敗退の遠因として「パールハーバーの失敗は空母を逃したこと」などと評論家の言辞に納得したりもしました。
ところがです。
今、気付いたのですが、もし、空母がいれば奇襲が阻止されたり、返り討ちにあって緒戦から敗退することが懸念されていたのではないか?
したがって、わざわざ、空母不在のときを狙った。
ズボシだろ!亡国の海軍省の幽霊供。
by つくつくほうし (2013-08-17 18:25) 

つくつくほうし

話は大きくなるが、昨今の憲法改悪論議は不可解。
天皇が日本国民に下賜した絶対法規だぞ。(アメリカの創作と糾弾されるが日本も作成に関与)
それを否定するのか?
そもそも、国防の正当性は現行憲法で「不可」とされていない。
つまり、政府の使命であるところの国民の生命財産保障は何ら制限されるものではない。
9条の主旨は、国家間の利害解決の武力使用禁止。
それを敢えて変えようというのは再び国民に銃口を向けるということではないか?
僭越ながら公務員の植民地日本の戦前回帰を憂える!

by つくつくほうし (2013-08-17 19:04) 

つくつほうし

皆さん「日本陸軍の始めた大東亜戦争は、海軍の敗戦で終わった」に違和感を覚えていますね。
そうなんです。
我々は正しい歴史を教えられていないんです。
どういうことかといえば、パールハーバーよりも先に戦陣は切って落とされていた。
つまり、海軍省の先制攻撃の前に陸軍省がマレーに侵攻。(コタバル上陸戦)
ここで現地住民からなる国境警備隊と交戦。
日本は、開戦時最大の人的損害を生じています。
開戦時最大の航空機損害はパールハーバー。
アジア解放の振れ込み始めた大東亜戦争ですが、マレー(旧マラヤ)は宗主国との間の協定で殖民地解除が決まっていました。
したがって自称解放者日本は、アジア人国軍に対して交戦を挑むことで欺瞞が露見したわけです!
真相究明にも世界史的にもコタバル侵攻の方が重要です!
by つくつほうし (2013-08-17 19:40) 

つくつくほうし

日本陸軍の侵攻時点の状況。
コタバル守備隊の中心戦力はインド系住民で指揮官はイギリス人。
植民地駐留軍は海岸線に長く広がっていて日本軍の正面には監視所の数十人。
彼らは侵攻日本軍に対して果敢に応戦。
およそ300人の日本兵が海岸を血に染めました。
内陸への進行も激戦続きで最終的な日本側被害(戦死)は700人を超える。

by つくつくほうし (2013-08-17 21:48) 

とり

■つくつくほうしさん

まずF6Fの開発についてですが。
F6Fの初飛行はご指摘の通り1942年6月ですが、この時点では搭載エンジンに二つ候補があり、固まっていない状態でした。
6月に初飛行した機体は8月に墜落しており、残るもう一つの試作機のエンジンを換装して試験を続けています。
この試験でフラッターが生じ、構造強化を実施しています。様々な試験、改良の後、ある程度固まり、
量産初期型の初飛行は1942年10月に実施しています。
この量産型も後に様々な改良が加えられました。
零戦と対戦したパイロットから試作機について、「上昇力が弱い」という意見が出され、
より大馬力のエンジンを採用したという話もあります。

要するに、(これは戦闘機に限りませんが)開発というのは初飛行で「完了」という単純なものではありません。
零戦鹵獲からF6F量産型初飛行まででも、3か月もあり、その後も
エンジン換装、カウリング、エルロン、風防、尾部の設計変更、防弾装備の強化と改良が続いています。
ですから零戦を参考にF6Fを開発する余地はまだ幾らか残されているのです。
つくつくほうしさんは「零戦を鹵獲したのはF6F初飛行の翌月」という
時系列論を持ち出して証明しようとしておられますが、これは根拠として成り立たないということです。

「F6F開発に零戦鹵獲は無関係である」ということを主張したいのでしたら、
零戦とF6Fの設計思想は正反対であることや、後述しますが開発の経緯を挙げた方が良いと思いますよ。
個人的には、「設計思想が正反対である」という時点で、零戦から何かを取り入れたことはないだろうと思っています。
いずれにせよこの件は、問題となっている「零戦は初期に米軍相手に優勢だったかどうか」とは直接関係ない話ですよね。
むしろ、F6Fはじめとする新鋭機の導入、この鹵獲から零戦の弱点がハッキリし、それ以降の戦訓に活かされたことが、
形勢逆転につながったということではないでしょうか。

>いまだに大本営発表を反省していないんです!実に愚かしい!
まあそう嘆かずに、先ずはネットでどんな論議が交わされているか、実際にご覧になることをお勧めします。
「鹵獲した零戦がF6F開発に活かされたという主張は間違いである」
ネットは現在こうした主張で埋め尽くされています。
今時「F6Fは零戦のパクリだ」なんて書く人はいませんし、そういう話は「おとぎ話」「ヨタ話」と片づけられていますよ。
「日本人ならば誰でも信じている」「あたなが、風評に満足して真相を見ようとしないだけ」と仰ってますが、
いつまでも大本営を鵜呑みにしている人はいません。実情に目を向けてみることをお勧めします。


>ちなみに世界で零戦を参考に飛行機開発したところは皆無。
>だって、歴史上まれにみる脆弱機ですから。(実は欠陥機承知なのに、あえて採用した海軍の異常さが際立つ)
先進各国がより大馬力のエンジンを開発できたのに対し、
当時の日本が実用的な大馬力エンジンを開発できなかったため、
零戦は1,000馬力のエンジンを前提に設計せざるを得ませんでした。
結果的に脆弱機となってしまったのはそのためですが、強力な武装と圧倒的な運動性能があるからよしとする設計思想です。
「欠陥機承知であえて採用した」とかそういう話ではありません。
実用的な大馬力エンジンが手に入るのであれば、わざわざ零戦の真似をする必要がないのは当然ですよね?

>アメリカの航空機開発もドイツ機への対抗を意識していました。(よそからの聞きかじりですが、本当でしょう)
F6Fはドイツ機に対抗するという目的で開発が進められていますし、
F8Fの設計思想はFw190の影響を強く受けています。
アメリカの開発者がドイツを意識していたことは調べればすぐに出てきますよ。


>小生の戦記での記憶では「格闘戦法禁止」だったと思う。
南方で戦っていたF4Fには、飛行中に退避してよいケースとして、
雷雨に遭った時と零戦に遭遇した時と指令書に書かれていました。
つまり、零戦を見たら逃げてよいということです。
そして鹵獲した零戦の調査から、
つくつくほうしさんご指摘の通り、有名な「三つのネバー」が出され、
より正確には「零戦と一対一の格闘戦をしてはならない」という命令が出されました。


>終始、制空権を確保していたアメリカ軍
この主張は、零戦が初期は圧倒的に優勢であったということを否定できなければ、
根底から崩れてしまいせんか?


>一撃離脱が戦法の中心です。
米軍機が一撃離脱戦法を採用したのは、零戦対策として1943年頃からです。
零戦対策の研究が進み、初期には零戦が圧倒的だったのが、
「一撃離脱」「「エシュロン隊形」「サッチウィーブ」といった戦法を採用することで
米軍機優位になっていったのです。
もしつくつくほうしさんが、最初から一撃離脱を使用していたのだから、そもそも零戦との格闘戦は起こり得なかったと
仰りたいのでしたら、米軍が一撃離脱作戦を採用したのは零戦と戦う以前であることを私に証明してみせる必要があります。


>それと日本側の損害状況ですが、残存数には先述のように飛べないものも含まれているから(部品調達見込み無し、修理整備中、工場出荷前)実質の損害状況は9割り。
>78%ではありませんから統計のまやかしに乗せられないようにして下さい。
それは承知しています。ですからわざわざ「今回出しておられるデータだと」と付け足しました。
「実質の損害状況は9割り。78%ではありません」と断言するのであれば、先ずはそれなりのデータを出すのが筋ではありませんか?
具体的なデータ無しの現時点では9割というのは憶測の数字でしかないですよね。
それから、海軍機に限定したデータから論じていたはずなのに、また「日本側の損害状況」に戻ってしまってますよ?
それならば損害に占める零戦の割合は二割四割です。堂々巡りですね。
もしかしてまやかしてますか?
もう少し言葉に責任を持ってもらえると有り難いです。


ミッドウェー海戦についてですが、
ミッドウェー海戦は1942年6月。
坂井氏の負傷は、同年8月ガダルカナル島上空で別の話です。
双方の戦闘機はそれぞれ零戦とF4Fなのですが、この戦闘で零戦は空中戦では多大の戦果を挙げているものの、
不手際から艦上で空母もろとも沈没しており、きちんと能力を発揮できていません。
この海戦をもってF4Fの方が優れていると仰るのであれば、もう一度本海戦について調べ直してみるのは如何でしょうか。

>そもそも、戦闘機は航空戦力の主役ではないです。
>あくまで爆撃機。(艦隊に例えると戦艦役。戦闘機を例えると護衛艦)
仰ることは分かりますが、その戦闘機が十分に機能しないと目的を果たせず、空母をやられてしまえば
その主役も全滅してしまうことを分かりやすく示しているのが当海戦ではないでしょうか。

前にも指摘しましたが、当記事の趣旨とは既にかけ離れた内容になっています。
憲法論議は自分のブログなり、適当な掲示板でお願いします。



英語版Wikiを調べてみました。
英語版Wiki「John Thach」の項目でこう書いています。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Thach
Later Thach developed a fighter combat tactic known as the Thach Weave. This tactic enabled American fighter aircraft to hold their own against the more maneuverable Mitsubishi A6M Zero, the primary fighter of Japan.
この説明についてどう思われますか?

また、同じく英語版Wiki「Thach Weave」の項目ではこう説明されています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Thach_Weave
Thach had heard, from a report published in the 22 September 1941 Fleet Air Tactical Unit Intelligence Bulletin, of the Japanese Mitsubishi Zero's extraordinary maneuverability and climb rate. Before even experiencing it for himself, he began to devise tactics meant to give the slower-turning American F4F Wildcat fighters a chance in combat.
この説明についてどうでしょうか?
要するに、サッチがゼロについての驚異的な運動性能と上昇率についての報告を受けたことが
サッチウイーブ戦法考案の契機になったということです。

因みに「ジョン・サッチ」「サッチウィーブ」はWikiの日本語版と英語版で全く異なる記事になっています。
英語版は項目からして恐らくアメリカ人が編集していると思われます。
あちら側の方がこう述べているのですが、これについてはどう思われますでしょうか?

また、同じく英語版Wiki「Mitsubishi A6M Zero」の項目ではもっと直接的にこう書かれています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mitsubishi_A6M_Zero
When it was introduced early in World War II, the Zero was considered the most capable carrier-based fighter in the world, combining excellent maneuverability and very long range.

同項目の中で、英国海軍のチーフテスト・パイロットは零戦をこう評しています。
The Zero had ruled the roost totally and was the finest fighter in the world until mid-1943."
英語版の中で零戦がこう評価されていることをつくつくほうしさんはどうお感じになりますか?

つくつくほうしさんは、私がいろいろと調べてもつくつくほうしさんの持説を信じることができないことについて、
「あたなが、風評に満足して真相を見ようとしないだけ。」と仰っています。
正直申しますと、私は「定説とされているものが覆される」という類の話が大好きなのです。
私は風評に満足しているつもりも、真相を見ようとしていないつもりもなく、むしろ逆なのですが、
「風評に満足して真相を見ようとしない」と仰るのなら、それでも結構です。
「切磋琢磨」というのが我々のことを指すのであれば、そろそろつくつくほうしさんのお力で是非私の目を覚まして下さい。
私はつくつくほうしさんとの一連のやり取りで、残念ながら未だ一つも新たな発見がありません。
再度お願い致します。
私は自分の主張を裏付ける資料を提示しました。
つくつくほうしさんの主張を裏付ける、出自の確かな資料があれば是非拝見したいので、教えて頂けないでしょうか?
by とり (2013-08-18 05:47) 

つくつくほうし

何を揚げ足取りを。
日本海軍と日本側と何が違うんでしょう。
あんたが示した残存数と小生の示した生産数を比較すればいいじゃないですか。
「零戦の生産数は10,430機、終戦時に国内外に残っていたのは約750機とされており、9,680機が失われた計算なります」これは違うんですか?

あんた、生産ラインや設計を、そんな簡単に変更できるとでも思っているんですか?
おかしいね。
まあ、3式戦闘機もエンジン換装して5式などと急ごしらえしていますが機体については手を加えていない。(液冷エンジン当時の吸入口を胴体下に付けたままのも存在)
ところで、F6Fがエンジンを換装したとありますが、換装前のエンジンで零戦に対抗できないのですか?
そこまで「零戦に対抗」説を主張するならば、あんたが証明しなければなりません。

連合軍側の零戦評価は過大。
おそらく日本陸軍の戦闘機と混同してるんだろう。
あんたが指摘するように憶測だが、アメリカ側が零戦との空中戦を“鴨猟”と称していたことと矛盾する。

あんた日本海軍が好きなのかどうか知らないけど自説補完しかやらない。
実態に関心無いんだね。
虚しい。
by つくつくほうし (2013-08-19 07:27) 

つくつくほうし

繰り返しますが、零戦が、そんなに優れていたならば、何で零戦を真似ないのですか?
メッサーシュミットは真似されています。(3式戦闘機はじめ装備全般で)

あげ足取りよりも、そこを答えてくださいよ。
あんたの方が詳しいようだから、こちらが聞きたい。
小生は切磋琢磨と申しましたが、論戦のための論戦を挑んでいるわけではないんです。
我々は勝負しているわけではないのだから。
違いますか?
あんたが提示しているのは風評ばかりじゃないですか。
ちなみに、我々と申しましたが、小生の世代での名機は隼です。
軍事機密で無名だった零戦が、昨今、もてはやされる状況が腑に落ちないのです。(何か策謀を感じる)
by つくつくほうし (2013-08-19 07:44) 

つくつくほうし

ミッドウエイ戦ですが、そのころは「日本側が連合軍を圧倒していた」などとされる時期。
ちなみに陸軍は、ミッドウエイ敗退の制海権喪失後も、なお、戦線拡大。
それならば「制空権くらいは日本側(陸海軍の別なく)にあるだろう」と錯覚するのが大方の印象でしょう。
撃沈されたのが、たまたま、1隻というならば、小生も可笑しいと思いません。
しかし、日本側に制空権があるのに立て続けに主力空母が全滅させられるとなると制空権も無かった証左になる。
段取りの悪さだけではなくて零戦に防空の任が務まらなかったんです。(相手はF4Fや鈍足の攻撃機)

なんで話を蒸し返すかというと印象と実態は違うということを指摘しているわけ。
そこを究明しないで根拠の無い賞賛だけでは無責任というもの。
印象に乗せられるのはあっても不思議ではないが、風評に加担するのは罪。
他の読者は、いかに感じられるのでしょうか?
by つくつくほうし (2013-08-19 09:53) 

つくつくほうし

なんで欧米人までもが零戦賞賛に加担するかと言えば、弱いものいじめ的戦争の印象を持たれたくないからです。
誰でも自分が戦った相手が弱者であっては困るんです。
そんな敵側事情も気付かずに、日本人が一緒になって喜んでいてはコメディーになってしまいます。
日本人は、そんな低級な生き物なんでしょうか?(猿の惑星は日本兵がモデル)
日本人ならば、実態に基づく真摯な反省が必要ではないでしょうか?
違います?
それとも官に盲従する愚かさを続けるつもりでしょうか?
「戦争が災厄であって官僚の不始末ではない」などと。(笑い)
by つくつくほうし (2013-08-19 11:17) 

つくつくほうし

つくつくほうしさんは「零戦を鹵獲したのはF6F初飛行の翌月」という
時系列論を持ち出して証明しようとしておられますが、これは根拠として成り立たないということです。

>アメリカの航空機開発もドイツ機への対抗を意識していました。(よそからの聞きかじりですが、本当でしょう)
F6Fはドイツ機に対抗するという目的で開発が進められていますし、
F8Fの設計思想はFw190の影響を強く受けています。
アメリカの開発者がドイツを意識していたことは調べればすぐに出てきますよ。



?????????なんで?
あんた分裂病?零戦はF6Fに対抗したと先述しているじゃない!

だから“それは違うんだよ”と指摘したのは小生の側。
設計も済んで生産ラインも整備された後から「零戦に対抗」はありえないと指摘している。
何で貴兄は自説を翻すのでしょう。
小生の指摘を補完すれば良いこと。
別に貴兄の負けでもなし。
気に入らなければ「F6Fは零戦に対抗して開発された」なるウソを流布し続ければいいじゃないですか。
真相究明じゃなくて論破だけが目的なんですか?

by つくつくほうし (2013-08-19 12:37) 

頭の中味がセミ並み

つくつく君へ
他人の意見が気になるみたいだから教えてやるよ
お前、イタ過ぎ。無知過ぎ。恥ずかしくて見てらんないw
コタバルだの空母不在を狙った真珠湾だのはな、そんなの今日日コンビニのペーパーバックの戦史入門書にも出てるんだよ
その程度をさも大発見のように…おめでてーな
お前、一方的にツッコまれまくって講義受けてる身分じゃねーかw
そんなんで切磋琢磨とかよく言えるな笑えるwww
お前2ちゃんの軍板来いよ
俺がみっちり教育してやっからよ
by 頭の中味がセミ並み (2013-08-19 20:30) 

つくつくほうし

へー。
お前は単細胞だな!

敗退してなお、敵の手の内に踊る。
サルだな。

ところで先述した対零戦をアメリカが“鴨猟”と称していたこととミッドウエイ戦での海軍機の無力ぶりとは整合する。
零戦が真似された形跡は無いし、対抗機開発もされていない。
単純に置いてけぼりを食っただけの取るに足りない代物というのが実態。
こういう状況証拠や統計から実態解明するのをプロファイリングと言うんだ。

下等な、お前らには憶測としか映らないだろう。
さあ「みっちり教育して」みろよ。
「ああ、それは、戦史入門の、どこどこに・・・」ではなくて自分の調査でな。
その程度の知能では出来ないだろ。
こっちは、零戦がもてはやされる前の古い中立的な情報がベースなんだ。
そんな戦史入門書なんて、子供向け解説書なんか知らん。

ウソに追従する無能者が!
by つくつくほうし (2013-08-20 07:11) 

つくつくほうし

誰かが嫌う憶測だけど零戦の成果とされる部分に“隼”の活躍が隠れているんじゃないのかな。
運動性能は隼の方が優秀だから。(零戦よりもスペックは低いと評されるが、撃ち落され数は、はるかに少ない)
それも航空兵は乗るのを嫌がったていた。(加藤隼戦闘隊員証言)
小生が高校生のときの数学教師が陸軍航空隊の整備兵だった。
よく授業中の合間に言っていたな。
「君らね。見せ掛けは良いが、蹴飛ばせば凹むようなチャチな飛行機なんだ」
「B29が悠然と編隊組んで、唐突に現れるんだよ。防空なんて無いも同然」
「たまにね。打上げ花火みたいな届かない対空砲火や蚊みたいな小型機が、はるか下方にトロトロ飛んでいるんだね。それが友軍機なんだ」
by つくつくほうし (2013-08-20 15:40) 

とり

■つくつくほうしさん
■頭の中味がセミ並みさん
拙ブログは開始から8年3か月ですが、こんな下品な煽り言葉で溢れたことはかつてありません。
正直申し上げて大変迷惑です。ケンカならよそでやってください。
それからつくつくほうしさん、私を含め当事者に対してとやかく言うのは仕方ないとして、
当ブログの読者に対する暴言は取り消して下さい。

当記事の閲覧者数を調べてみたのですが、
17日18人7位
18日9人13位
19日20人3位
20日13人8位 (順位は空港探索・2内のもの)

となっております。
弱小ブログの、しかも更新停止した過去記事ですから、別に我々の論議を大勢が固唾をのんで。という状況ではないです。
ご自身の意見についてどう思われているかを知りたいのでしたら、適当な掲示板の方が良いですよ。
ご自身の持論を大勢に流布するためにも。

では本筋に移ります。
>日本海軍と日本側と何が違うんでしょう。
>あんたが示した残存数と小生の示した生産数を比較すればいいじゃないですか。
この論議は、
「最終的には日本側(大半は零戦)の損害」
というつくつくほうしさんのコメントが発端です。
私が疑問視したのは、零戦の損害「数」ではなく、全体の損害に占める零戦の「割合」です。
つくつくほうしさんは「日本側の損害の大半は零戦」とし、
このことをもって「零戦は超駄作機」としています。
しかし、実際に資料から計算すると、
その割合は二割四割となりますから、つくつくほうしさん仰る「大半」という表現は誤りなのです。
一方、後からつくつくほうしさんが出した海軍のみに絞ったデータだと9割(もうこれでもいいです)で、
この場合はつくつくほうしさん仰る通り、「損害の大半が零戦」となります。

「日本海軍と日本側と何が違うんでしょう。」
と仰ってますが、そのどちらかで結論が大きく変わることがこれでご理解頂けましたか?
日本側→零戦の損害は二割四割なので、大半の表現には当たらない
日本海軍→零戦の損害は九割なので、大半
ということです。
最初「日本側」と言っていたのに、それを否定された後になって海軍だけに絞った数字を持ってこられるのは、
私に言わせてもらえば後出しジャンケンでしかないのですが、
それでも、「確かにそのデータだと損害の大半は零戦になりますね」と譲歩して差し上げたのです。
それを、「何を揚げ足取りを。」などと言われてはたまったものじゃないです。

>あんた、生産ラインや設計を、そんな簡単に変更できるとでも思っているんですか?
私は飛行機の設計や製造に携わる人間ではありませんので、それは分かりません。
それでも、F6Fが初飛行の後に、フラッター対策の構造強化、エンジン換装、カウリング、エルロン、
風防、尾部の設計変更、防弾装備の強化等々、様々な改良がなされたという事実はあるわけです。
初飛行後になされた種々様々な改良の実例を示すことによって、
初飛行後も戦闘機はどんどん変わっていく可能性が実際にあるのだ。ということを示したのです。
変更がどの程度困難なものなのかは、それこそ当時の人でないと実感として分からないでしょう。
それでも必要とあらば実際に変更しているという事実はある訳です。

>ところで、F6Fがエンジンを換装したとありますが、換装前のエンジンで零戦に対抗できないのですか?
それも私には分かりません。当時のパイロットにお聞きください。としか申し上げられません。

>そこまで「零戦に対抗」説を主張するならば、あんたが証明しなければなりません。
繰り返しになりますが、私個人はF6F開発に鹵獲した零戦が活用されたとは考えていません。
また、私は新戦法を実施したF6Fは零戦より優勢だったと思っています。

>あんた日本海軍が好きなのかどうか知らないけど自説補完しかやらない。
私は旧海軍機に特に固執しているわけではありませんよ。
どちらかというと、お隣県ということで中島飛行機に親近感がありますが。

>零戦が、そんなに優れていたならば、何で零戦を真似ないのですか?
↓以下繰り返しになりますが、こういうことです。
先進各国がより大馬力のエンジンを開発できたのに対し、
当時の日本が実用的な大馬力エンジンを開発できなかったため、
零戦は1,000馬力のエンジンを前提に設計せざるを得ませんでした。
結果的に脆弱機となってしまったのはそのためですが、強力な武装と圧倒的な運動性能があるからよしとする設計思想です。
実用的な大馬力エンジンが手に入るのであれば、わざわざ零戦の真似をする必要がないのは当然ですよね?
更に付け加えるならば、結果的に零戦は全滅と言ってもよい損害を出しています。
戦闘機の性能向上による時代の趨勢からは外れた機種だったのだということは認めていますよ。

>軍事機密で無名だった零戦が、昨今、もてはやされる状況が腑に落ちないのです。
それならばご安心を。
アメリカ軍から「日本最優秀戦闘機」、また「米軍機と比較してそん色ない唯一の日本製戦闘機」と評されているのは「疾風」です。
連合軍のコードネーム「フランク」の由来についても興味深いですね。
ネットの掲示板でも、「大戦期日本最強の戦闘機は?」という問いかけに対して、
隼、疾風、紫電改等の名前が盛んに挙がり、零戦に関しては、「初期活躍しただけ」という意見が大半です。
分かる人は分かってますよ。
(つくつくほうしさんにはこれまた「風評」と言われてしまうのでしょうが)

>?????????なんで?
>あんた分裂病?零戦はF6Fに対抗したと先述しているじゃない!
いえいえ。そういうことではありません。
F6Fはドイツ機に対抗するという目的で、またF4Fの後継として開発がスタートしました。
1938年3月のことです。
零戦の初飛行は1939年4月ですから、当然アメリカの開発者は零戦のことなど知りません。
その後零戦は1940年7月に運用を開始し、戦果を挙げ始めました。
一方のF6F初量産型は1942年10月に初飛行しました。
F6Fは当初はドイツを意識して開発したのですが、量産型機が初飛行したのは、開発スタートから4年半も後のことであり、
開発当初との戦況変化から、零戦の対抗機としても使用されました。
私が言ったのはそういうことです。何の矛盾もないことがご理解頂けましたでしょうか。

F6F初飛行後も様々な改良が続けられたことを述べたのは、
「つくつくほうしさんの時系列論は成り立ちませんよ」という点を示すためです。
「アメリカが鹵獲した零戦を飛行させてみて弱点研究。そして対抗できるように開発した」という説があるわけですが、
そのための時間的な可能性はまだ幾らかありますよね? ということです。
続く部分で、「私個人はF6Fは零戦から何かを学んだことはないと思っている」と述べています。
要約しますと、
「F6F初飛行後も鹵獲した零戦の研究成果を取り入れる時間的猶予はある。だから時系列論は成り立たない。
しかし私は、鹵獲の成果をF6Fに取り入れたことは実際はなかっただろうと考えている。」
ということです。
私のこの意見は、本論からすれば大した論点ではなく、揚げ足取りと映るかもしれません。
しかし、つくつくほうしさんはこの件を、私が風評に満足して真相を見ようとしないことの例として挙げておられます。
ですからこの点はハッキリ意見を述べさせて頂きました。

ちなみに私は、つくつくほうしさんのツッコミどころ全てに口出ししているわけではありませんよ。
実はつくつくほうしさんのコメントには他にも同意できない点がいくつもあるのですが、
敢えて目をつぶって本論の方に集中しています。


ミッドウェー海戦についてですが、
これはもう、ミッドウェー海戦についての詳細を調べ直すことをお勧めします。としか申し上げられません。
>段取りの悪さだけではなくて零戦に防空の任が務まらなかったんです。(相手はF4Fや鈍足の攻撃機)
と仰っていますが、よく調べればこの戦闘は、
剣道の高段者から竹刀を取り上げ、手足を縛った状態で、素人集団が寄ってたかって暴行したようなものです。
この剣士は素人より弱いということになるでしょうか? 

つくつくほうしさんはミッドウェー海戦について、よく調べずに記憶を頼りに、
「零戦が無能だったから負けたのだ」というイメージを固定しておられます。
だから当海戦に坂井氏がアメリカ攻撃機の後方機銃の掃射で落命しかけたという、
時期も場所もまるっきり異なる事例を織り込んでしまうのです。
因みに「アメリカ攻撃機」と仰っていますが、SBDドーントレスは艦爆ですよ?
更に加えるならば、戦闘機でもない相手に落命しかけてしまったということを引き合いに
「だから零戦は弱い」としていますが、これもつくつくほうしさんのイメージで止まってしまっているからです。
坂井氏がどうしてあの戦闘で重傷を負ってしまったのか、きちんとお調べになれば、
これを零戦の性能云々に持ってくるのは筋違いということが明らかになるはずです。

失礼ながらここまでつくつくほうしさんとやり取りをしていて感じるのは、
つくつくほうしさんの主張は記憶や伝聞に頼ったもので、そこで脳内イメージを固定させてしまっている点です。
マリーンエンジンの件でも、「スピットファイアーでさえも自動車用エンジン。」と言うつくつくほうしさんに、
私は「開発の経緯からして航空機用エンジンと思うのですが。」とヒントを差し上げました。
そこでちょっとでも調べておけばよかったのに、
乗用車メーカーが納入したものだとか、戦史マニアの間での常識であるという、
ご自分の知識だけを頼りに反論してしまうから恥の上塗りになってしまうのです。

>なんで話を蒸し返すかというと印象と実態は違うということを指摘しているわけ。
>そこを究明しないで根拠の無い賞賛だけでは無責任というもの。
>印象に乗せられるのはあっても不思議ではないが、風評に加担するのは罪。
この言葉はそっくりそのままお返し致します。

つくつくほうしさんとは現在、「零戦は当初から劣勢だったのかどうか」で議論をしているわけですよね。
「揚げ足取り」と仰いますが、お互いの意見が異なるのですから、
私がつくつくほうしさんの主張のおかしいと思う点を否定するのは当然ではありませんか。
私は、やり取りを続ける中で、自分の意見よりつくつくほうしさんの意見の方が尤もだと思えば、
「やっぱりつくつくほうしさんの意見が正しいです。今まで生意気言ってしまって申し訳ありませんでした。
そして私に興味深い情報を教えて下さったことを心より感謝申し上げます。今後も是非いろいろご教授下さいませm(_ _)m 」
と述べるつもりでおります。
ところが残念ながら、今のところつくつくほうしさんの主張は勘違い、事実誤認だらけで簡単に反論できてしまう。
「なるほど!」と思える点が一つもありません。
「未だ一つも新たな発見がありません。」と述べたのはそういうことです。
一旦下調べをしてから書き込んでは如何でしょうか。
昔話を披露しておられますが、普通なら主張に重みを加えるはずのものが、
こんなほころびだらけの主張と一緒では実に薄っぺらに聞こえてしまう。
恩師に失礼だと思いませんか。

私がネットから自分の主張の根拠をいくら出しても、つくつくほうしさんはそれら全てを「風評」と切り捨てておられます。
欧米の関係者の証言を持ち出せば、それはコメディーにされてしまう。
では、私の手持ちの書籍から「零戦は初期は優勢であった」ということを示す出典を挙げることができるのですが、
典拠が書籍であれば、それはつくつくほうしさんに受け入れてもらえるのでしょうか?
他にどんなソースであれば受け入れてもらえるのでしょうか? 
「零戦は初期は優勢であった」と明言するどんな典拠なら、つくつくほうしさんはそれを素直に受け入れてくれますか?
是非教えてください。

一方で、つくつくほうしさんの主張を裏付ける、出自の確かな資料を教えて下さいと二度お願いしましたが、それは出そうとしない。
要するに、零戦に関して全ての人が騙されている。具体的な資料は挙げられないが、とにかく自分の主張が正しいから信じよ。ということでしょうか。
これでは建設的な話し合いにならないと思うのですが、どうでしょうか?
by とり (2013-08-21 07:08) 

つくつくほうし

だぼら止めて、ちゃんと教育してやろうか。

役者は、中華支援にアメリカが送り込んだフライングタイガースだ。
装備機は陸用戦闘機P-40
この頃は、サッチのサの字も無い。
アメリカも格闘が戦術の中心。
義勇軍ということで一般公募された隊員で構成。

こんなのに応募してくるんだから腕に自信がある奴らなんだろう。
しかし、常に定員割れだから損害を生じれば補充はむずかしい。
物量が潤沢でも要員がいなければ、しょうもない。
こんな小勢(最大時でも100機程度で実働数は半数にもならない)だが殲滅できなかったのが無敵?の零戦。
しかも逆に撃ち落されて調査される。(フライングタイガースはアメリカ本国へ報告)
風評では、P-40は零戦に圧倒されていたはずだが?

by つくつくほうし (2013-08-21 07:26) 

とり

■つくつくほうしさん
なんで欧米人までもが零戦賞賛に加担するかと言えば、弱いものいじめ的戦争の印象を持たれたくないからです。
誰でも自分が戦った相手が弱者であっては困るんです。
そんな敵側事情も気付かずに、日本人が一緒になって喜んでいてはコメディーになってしまいます。
日本人は、そんな低級な生き物なんでしょうか?(猿の惑星は日本兵がモデル)
日本人ならば、実態に基づく真摯な反省が必要ではないでしょうか?
違います?




なんだかつくつくほうしさんのコメントがわりとあてはまってしまいますね。
まあこの返しは冗談として、ここにフライングタイガースを持ってくるのは流石に釣り針が大き過ぎます。
私がツッコミを入れまくるのを、
「本気でこんなこと書くはずないのに、ネタで出したことも気付かず鬼の首を取ったように揚げ足取りにご執心」
とか揶揄するおつもりですね。
引っかかりませんよ。
いくらなんでもこんな捨て身のブーメランは投げないでしょう。
だぼらは止めましょうよ。
つくつくほうしさんに仕切り直しの機会を差し上げます。
なんなら全文削除でも構いませんよ?

それから、読者への暴言は早目に取り消して下さい。
誠に失礼ながら、ここまでつくつくほうしさんが出してこられた主張は、すべて不備を指摘され否定されています。
普通に考えて、これで読者の考えが変わるとお思いですか?
by とり (2013-08-22 07:33) 

宇治金時

とても勉強になります!
フライングタイガースの件がとても気になります
これについてのとりさんの意見が聞きたいぞォー!
by 宇治金時 (2013-08-24 09:40) 

とり

■宇治金時さん
了解しました。
それではつくつくほうしさんには、26日の朝5時までを
フライングタイガースについての説明と、読者への暴言取り消しの期限とさせて頂きます。
宇治金時さんそれまでお待ちくださいませm(_ _)m
つくつくほうしさん、そのようにさせて頂きましたのでどうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m
by とり (2013-08-24 14:59) 

とり

■つくつくほうしさん
読者に対する暴言箇所は削除しましたのでご了承ください。

■宇治金時さん
お待たせ致しました。
「いくらなんでもこんな捨て身のブーメランは投げないでしょう」
フライングタイガースの件を何故こう表現したのか、説明させて頂きます。

>役者は、中華支援にアメリカが送り込んだフライングタイガースだ。
>装備機は陸用戦闘機P-40

背景含めて時系列で書いてみます。
フライングタイガースの提唱者は、1937年に航空参謀長として国民党に招聘されたクレア・L・シェンノートで、
彼は空戦経験の豊富なアメリカ陸軍航空隊大尉でした。
シェンノートは、国民党軍と日本軍、それぞれの航空戦力を比較した結果、
「日本に対抗するためには優れた戦闘機100機とパイロットが必要である」と進言したのでした。

1938年、国民党が奥地の重慶に首都を移転させたため、日本陸海軍機による重慶爆撃が同年12月から始まりました。
日本の爆撃機援護のために1940年8月から運用を開始した零戦は圧倒的な戦果を上げ始めます。
零戦の出現に驚いたシェンノートは同盟各国にこの情報を送ると共に、同年夏、戦闘機とパイロットを調達するためアメリカに赴きました。

こうして米国から到着した助っ人部隊「フライングタイガース」の目標は、「援蒋ルート」上空の制空権の確保であり、
同ルート分断を狙う日本軍機との間で戦闘が繰り広げられることになるのですが、
それに先立ち、シェンノートはフライングタイガースに対し、「一撃離脱戦法」を叩き込みます。
この訓練は多数の落伍者を出すほど徹底したものでした。
一撃離脱はそれまで米軍内では見向きもされなかった戦法なのですが、
零戦の格闘性能を肌で知る彼ならではの措置と言えるでしょう。

>この頃は、サッチのサの字も無い。
>アメリカも格闘が戦術の中心。

つくつくほうしさんはこう書いておられますが、そんな訳でこれは誤りです。
実はつくつくほうしさんは、ほんの5日前に「(米軍機は)一撃離脱が戦法の中心です。」と書いておられたので、
「米軍機が一撃離脱戦法を採用したのは、零戦対策として1943年頃からです。」とご指摘させて頂きました。
サッと意見を修正されるのはとても微笑ましいのですが、フライングタイガースに関しては残念ながら例外だったのです。
一方、1940年8月から零戦を投入していた日本海軍は、対米英戦を睨んで出師準備に着手することになり、
零戦は1941年8月31日の出撃を最後に全て内地へ引き上げ、海軍航空隊は中国戦線から完全に手を引きます。
以降の中国戦線の航空戦は陸軍飛行隊に一任されることになりました。
そして、零戦の中国戦線からの退場と入れ替わるように、新鋭機隼が中国戦線に送られます。

猛訓練を終え、フライングタイガースが初出撃したのは、1941年12月末でした。
1941年9月15日には零戦擁する第一二航空隊内地帰還という記録が残っています。
こうして中国戦線から日本海軍機がいなくなり、一方フライングタイガース初出撃は1941年12月末ですから、
零戦引き上げからフライングタイガース登場まで3か月以上の空白期間が存在するのです。
ですから、フライングタイガースが戦った相手は零戦含め日本海軍機ではありません。
フライングタイガースの標的は、日本陸軍の爆撃機であり、陸軍戦闘機でした。
つくつくほうしさんはフライングタイガースと対決したのが零戦のようにお書きですが、そんな訳でこれは誤りです。
そしてフライングタイガースと闘った陸軍戦闘機の中には、つくつくほうしさんご贔屓の名機「隼」が含まれています。

>しかし、常に定員割れだから損害を生じれば補充はむずかしい。
>物量が潤沢でも要員がいなければ、しょうもない。
>こんな小勢(最大時でも100機程度で実働数は半数にもならない)だが殲滅できなかったのが無敵?の零戦。
>しかも逆に撃ち落されて調査される。(フライングタイガースはアメリカ本国へ報告)
>風評では、P-40は零戦に圧倒されていたはずだが?

もうキリがないのでいちいち全部ツッコみませんが、つくつくほうしさんは、
「フライングタイガースはそんなに大した部隊じゃなのに、"無敵"零戦がそれを殲滅できないのはおかしい。」
旨書いておられます。
しかし時系列で見れば明らかな通り、この件に関係するのは陸軍機であり、零戦は無関係です。
「大したことない部隊なのに、"無敵"零戦がそれを殲滅できないのはおかしい」という主張は、
そっくりそのまま隼を貶める言葉としてつくつくほうしさんに跳ね返ってしまうのです。
因みにフライングタイガースに相対した部隊の中には、あの有名な「加藤隼戦隊」も含まれます。

フライングタイガースの実働期間は、1941年12月末から1942年7月3日の解散命令までの半年余なのですが、
その間に挙げた戦果について、
フライングタイガース側は、「日本軍の航空機を296機撃墜し1000名以上のパイロットを戦死させた」としており、
一方日本側の損失記録では、「被撃墜または地上での被撃破115機、戦死約300名」としています。
彼我の戦果報告に乖離が生じるのは常ですが、日本側がこれだけ損害が出たことを認めているのですから、
フライングタイガースは少なくともこれだけの損害を日本に与えたということなのでしょう。
一方129機持ち込まれたフライングタイガースのP-40のうち、空戦で失われたのは僅か12機とされています。
つくつくほうしさんの表現をお借りするならば、
名機隼を含む陸軍機は、半年余の戦闘期間がありながら、
性能の劣る敵機を殲滅どころか一割撃墜することすらできなかったことになってしまいます。
「数的に常に劣勢であったにもかかわらず、敵機撃墜数は当時の空戦史上最高記録を出した」
フライングタイガース側がそう報じたのも当然の戦績と言えるでしょう。

余談ですが、1年余の中国戦線での零戦の戦果は、撃墜103(うち1機は不確実)、撃破163であり、
撃墜された零戦は対空砲火による2機のみです。
尤も、零戦と陸軍機とでこんなに戦果に差が出てしまうのは、
相手が異なる、徹底した一撃離脱が功を奏した等の理由があるからだと考えておりますので、
これをもって「陸軍機は超駄作機」などとは毛頭考えないことを申し添えておきます。
仮にフライングタイガース運用時に零戦が残っていたとしたら、やはり同じような結果になったかもしれません。
また、最終的にフライングタイガースの損耗数は80機に及び(事故、損傷機処分、空襲等)、
日本側の物量に押される結果になったことも付け加えておきます。


「だぼら止めて、ちゃんと教育してやろうか。」

大見得切った隼大好きなつくつくほうしさんが、
一体どうしてここにフライングタイガースを持ち出すような真似をするのか、
しかもどうしてこんな1秒でバレるようなデタラメ話をしようとしたのか、私にはまったくもって理解不能です。
しかもこの件は、これまでつくつくほうしさんが挙げた「零戦は弱い」とする様々な主張とも密接に関連する事例ですよね。
例えばミッドウェー海戦に関してつくつくほうしさんは、零戦が劣っていた故に防空の任を果たせなかったと力説しておられます。
つくつくほうしさんは一切の説明に耳を貸そうとせず、飽くまで零戦を犯人にしておられます。
それならそれでも結構なのですが、
それではフライングタイガースに相対した時、隼が援護していた時でさえ、友軍の爆撃機をバタバタ撃ち落され、
隼自身も撃墜されています。これは一体何なのでしょうか? という話になってしまいます。
この件に関してつくつくほうしさんのご意見をお聞きしてみたいところです。
by とり (2013-08-26 05:46) 

宇治金時

理路整然としてとても分かりやすかったです ありがとうございました
by 宇治金時 (2013-08-29 13:49) 

とり

■宇治金時さん
コメントありがとうございました。
お返事が遅れてしまい申し訳ありませんm(_ _)m
by とり (2013-09-11 05:35) 

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