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東京都・東京大空襲・戦災資料センター [├場所]

  2012年4月 訪問 

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東京都江東区にある「東京大空襲・戦災資料センター」。

 

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館内の撮影は写真の接写のみNGでした。

 

東京は終戦までに百回以上の空襲を受けており、当館でいただいた資料によりますと、

空襲による死者数の総計は96,040人にも上ります。

各東京空襲による死者数は、そのほとんどが一桁から三桁なのですが、

1945年3月10日に325機のB29により行われた空襲の被害はその中で飛びぬけており、

死者数は83,793人と記されていました。

まさに「東京大空襲」です。

こうした基本的なことからして知らないことが多く、反省させられたのですが、

他にも展示資料が充実しており、いろいろ考えさせられました。

 

ーあまりの炎の勢いで酸素が無くなり、ポンプ車のエンジンが止まってしまい、消火作業ができなかった ー

大空襲当日消火を担当された消防の方のインタビューが強く印象に残りました。

奇しくも東日本大震災とは時を超えて前日にあたり、関係者の方々は両日を命と平和を考える日として

後世に伝えていきたいと書き綴っておられる資料が目につきました。

当館は戦禍の最も大きかった場所に建設されたのだそうです。

流石に当時とは比べ物にならない程立派な建物が並んでいるのですが、

住宅密集地という下町の様相は当時と同じです。

文字通り一面焼け野原となった当時の写真など思い出しつつ館を後にしたのでした。

 

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東京大空襲・戦災資料センター:map  


      東京都・東京大空襲・戦災資料センター      

東京大空襲・戦災資料センター データ

開館日:水曜日~日曜日。3/9,10は曜日にかかわらず開館
運用時間:12時~16時
所在地:東京都江東区北砂1-5-4
協力費:一般300円
駐車場なし

沿革
1942年 04月18日 B25による初空襲
1945年 03月10日 東京大空襲
       08月15日 午前1時 最後の空襲
1970年 「東京空襲を記録する会」、文献、物品収集開始
1999年 都の「平和祈念館」建設計画凍結。これを受けて「記録する会」と政治経済研究所、民間募金
2002年 03月09日 センター完成
2007年 03月増築

関連サイト:
公式サイト    
国土地理院 1946年4月当時の写真(USA M99-A-5 5) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック) 
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コメント 6

春分

先週、西大島に用事があって近くまでは行っていました。でもバスでいかないと歩いて行くには遠いな。暑いし。でも、空襲は暑いなんで話じゃないしな。
いつか行ってみます。申し訳ないけど、寒い頃に少し回りも歩いて見ながら。
by 春分 (2012-08-06 22:00) 

me-co

こんばんは。
餃子タウンも航空産業があったため、空襲の戦火にさらされましたが、このような戦災資料館はございません。なので、資料等の保存と後世への伝承のための運動がずーっと続いている(署名したことがありマス)のですが、なかなか行政との話が進んでいないようですよ。いかんなー
by me-co (2012-08-07 00:31) 

鹿児島のこういち

以前、国営放送で大正の関東大震災のさい、火災旋風により川や公園に逃げた人も被害にあって、昭和の関東大空襲でも、同じ事があって被害が増したって事だったと覚えているのですが、記憶違いだったでしょうか(^^ゞ多摩川での被害が多かったんじゃなかったかな?
日本も中国などの民間人に爆撃を行い、アメリカも民間人に爆撃を行い、あとから大義名分を作り上げる。どんな事を言っても、民間人を攻撃する事は虐殺と言われても仕方ない事だと思います。今でも戦争を起こせば、どうしても弱い立場の人達が犠牲になってしまう。戦争が起こらない、いい方法はないだろうか?
by 鹿児島のこういち (2012-08-08 01:26) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■春分さん
この時期の長歩きは体に障りますからね。
春分さんがこの場所をどう切り撮るのか、とても興味があります。

■me-coさん
そのような動きがあるのですか。
当施設もずっと行政に働きかけ続け、やっと。という状況のようです。
埼玉も東京大空襲ほどではないのですが数箇所で空襲があるのですが、
そういう施設の話は聞きません。

■鹿児島のこういちさん
>関東大震災
そういう話は聞きませんでした。
恐ろしい話です。
日本が行った爆撃については、「重慶爆撃」という言葉を知っているだけです。
勉強不足ですね。調べてみます。
by とり (2012-08-10 19:46) 

まめ助の母

テレビの特集で観た事があります。
当時の様子を絵に残してあったのだったか
絵に描いてくださいだったか…
子供達ががれきの下敷きで助けられなかった様子とか
熱さのため学校のプールに集団で飛び込んだお話とか
折からの強風で思わぬ所まで延焼したのだというお話でした。
焼夷弾の炎が衣服や身体につくと消えないんだという事も
初めて知りました。

熊谷の空襲もひどいもので
終戦の前日(もう降伏するのはわかっていたであろうのに)です

まだまだ知らなくては行けない事が
たくさんありますね…
この資料館のことは知りませんでした
もっと広く知ってもらえるといい所がたくさんありますね
by まめ助の母 (2012-08-13 00:57) 

とり

■まめ助の母さん
熊谷空襲の事はこちらの地元でも年配の方が未だに仰います。
きっとご遺族の方は、「あと一日ずれていたら」という想いでやりきれないと思います。
米軍はどういう意図でこんな地方都市にまで空爆を続けたのでしょうか??
知らないといけないこと、まだまだたくさんありますね。
by とり (2012-08-17 05:59) 

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