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鉾田(豊鹿島)飛行場跡地 [├空港]

   2012年9月訪問 2019/1/28更新  


無題2.png
撮影年月日1947/11/07(USA M635 2) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成)

 

茨城県‎鉾田市‎にあった「鉾田(豊鹿島)飛行場」。

前記事の百里飛行場の東南東約14kmにあります。

現在も地割がハッキリ残っており、跡地は畑地、宅地になっています。

「防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.1 水路部」の中に当飛行場の地図があり、

先頭のグーグルマップは、この地図から作図しました。

同資料の情報を以下引用させて頂きます。

「鉾田陸軍飛行場 茨城県鹿島郡新宮村 36°8′6N 140°33′5E」

面積 北西-南東1,570米 北東-南西1,300米 
地面の状況 概ね平坦にして植芝密生す 硬度は普通なるも降雨長期に亘る際は稍軟弱と為る
目標 霞ヶ浦(北浦)、鹿島灘、鉾田町
障碍物 (記載なし)
離着陸特殊操縦法 (記載なし)  
格納設備 格納庫(70x40米)3、(40x50米)3棟
照明設備 (記載なし) 
通信設備 (記載なし) 
観測設備 (記載なし)  
給油設備 航空用燃料補給し得
修理設備 応急修理可能
宿泊設備 兵舎あり
地方風 11月-翌年3月間は西風多く、4-9月間は南風、10月は北風なり
地方特殊の気象 (記載なし)  
交通関係 (記載なし)   
其の他 (記載なし) 
(昭和18年4月調)
 

D20_0174.jpg

跡地南側にある球場。

そして球場の隣りには-

 

D20_0173.jpg

鉾田陸軍飛行学校の顕彰碑があります。

裏面に碑文がありました。

建立の記(全文)
 鉾田陸軍飛行学校は、昭和十五年十二月旧上島白鳥両村約八百町歩、旧新宮村四百町歩の地域に開設され、軽爆、襲撃飛行隊幹部の教育訓練並びに研究が行われていたところである。大東亜戦争いよいよ熾烈となるや、本土防衛のため、昭和十九年六月鉾田教導飛行師団となり、翌二十年七月主力を以つて純作戦部隊として第二十六飛行団に改編された。この間、特攻隊が生まれ訓練の基地となり、我国特攻隊として最初に編成された万朶隊を始め、鉄心隊、勤皇隊、皇魂隊、振武隊四隊、神鷲隊十二隊、外四隊計二十四隊が編成された。うち十一隊計六十七名が、比島、沖縄及び終戦直前の鹿島灘東方洋上作戦に参加し、特攻散華されたのであつた。なお学校訓練並びに新編成部隊の昼夜を分かたぬ猛訓練のため、幾多の将兵が殉職されたところである。戦後すでに二十九年、当飛行場跡は徒らに荒廃を極め、往時を回顧すべき何物もないのは洵に痛恨の至りである。茲に於て、地元有志並びに戦友相諮り殉国の英霊を顕彰し、その鎮魂と世界平和の祈りをこめて、ここに鉾田陸軍飛行学校顕彰碑を建立した次第である。昭和四十九年十月梁瀬健吾 撰文

ここから特攻が出たのですね。


      茨城県・鉾田(豊鹿島)飛行場跡地      

鉾田(豊鹿島)飛行場 データ

設置管理者:旧陸軍
空港種別:陸上飛行場
所在地:茨城県‎鉾田市‎大竹‎
座 標:36°8′6N 140°33′5E
着陸帯:1,570m×1,300m

沿革
1940年12月 開設
1944年06月 鉾田教導飛行師団となる
    10月 陸軍初の特攻隊
1945年02月 爆撃により大損害を被る
    07月 第二十六飛行団に改編
    08月 終戦。接収を経て入植者が入る

関連サイト:
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この記事の資料:
防衛研究所収蔵資料:陸軍航空基地資料 第1 本州、九州 昭19.1 水路部


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コメント 2

雅

エリア88、大好きでした。
いまだに本棚に当時の単行本がありますよ。
そういえばファントム無頼は二十数年前に友人に貸したっきりだな。
by (2012-11-21 23:10) 

とり

■雅さん
おお、単行本が!
オイラももう一回集めようかな~
by とり (2012-11-22 06:17) 

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