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岸飛行場跡地 [├空港]

  2010年4月訪問 2019/5/20更新  


岸飛行場.png
測量年1914(大3)(2万正式図 s2558 王子) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成・以下3枚とも) 
 

かつて東京の北区に民間の飛行場がありました。

耳鼻咽喉科の医師であった岸一太氏が造った「岸飛行場」です。

大正5年開設の非常に古い飛行場で、ネット上でも情報が限られているんですが、

「北区・東十条のむかしむかし物語」というサイト様があり(下記リンク参照)、

第一話:神谷にあった飛行場「岸飛行場」として、場所特定に非常に重要な情報がありました。
 
一部こうあります。
 
「現在の清掃工場のあたり、神谷の荒川岸から西へ、京浜東北線のレールの近くまで十八万坪の広大な敷地に、岸飛行場と呼ぶ、民間の飛行場がありました。」
 
 

岸飛行場a.png

情報を地図に反映させると、こんな感じ。

この地図は、飛行場開設の2年前のものです。

現在からは想像もつかないほど閑散としていたんですね。

確かにこれなら飛行場が造れそうです。

飛行場敷地の東西の範囲は、京浜東北線~荒川の岸まで。

南北の範囲は特に記されていないんですが、「清掃工場のあたり」とあります。

京浜東北線~荒川の岸まで、そして清掃工場のあたりという条件だと、おおよそこの周辺のはず。

地図にも含めましたが、気になるのが清掃工場の南北にある集落?の存在です。

この地図は大正3年測量です。

岸飛行場は大正5年開設なので、前述の通り開設の2年前に測量した地図ということですね。 

順番としては、元々集落があり、そこに飛行場を開設しました。

戦時下の軍の飛行場じゃないので、強制的に集団疎開みたいなことは考えられません。

飛行場の敷地は、この南北の集落を避ける様にして設定されたはず。

同サイトで飛行場の面積は「十八万坪」とありますので、あとはこの面積を考慮しつつ、

上記の条件で、飛行場敷地がどんな感じだったか推測してみました。

グーグルマップでシェイプを作ると、編集画面では自動的に面積がhaもしくは㎢単位で表示されます。

18万坪≒59.5haなので、この数字を見ながら作図していけば良いのですが-

無題4.png

既存の道路も敷地の地割に反映させることにしました。
 
ということで、一か所だけ道路を無視しちゃったんですが、先頭のグーグルマップは、ピッタリ18万坪(59.5ha)。
 
岸飛行場の実際の敷地がどんなだったかは不明なんですが、面積的にはこんな感じではないかと。
 
シェイプの面積を見ながら作図していて思ったのは、
 
「京浜東北線~荒川」という条件下の18万坪というのが非常に広い。ということでした。
 
京浜東北線~荒川の距離が1,250mとすると、南北方向に平均476mないと、
 
18万坪≒東京ドーム12.7個分に達しません。
 
集落もありますから、自ずと飛行場敷地にすることができる範囲は限られてきます。
 
実際の飛行場の敷地は、先頭のグーグルマップの作図からそう大きく外れていないと思います。
 
 
「東京史跡ガイド17 北区史跡散歩」149pにも関連記事がありました。
 
以下引用させて頂きます。
 
岸飛行場跡
 北清掃工場から西に帯状に延びている一帯が岸飛行場跡である。わが国の飛行機の初飛行は明治四三年で、大正に入ると各地に飛行場が設けられるようになった。岸飛行場は大正五年、築地明石町の耳鼻科医院長岸一太博士が開設したもので、
風洞、電気溶鉱炉、乾燥室等を備えた工場を併設していた。これらの設備は、後に中島知久平が航空機産業開発の参考にしたという。発動機も製作され、陸軍にファルマン六型機を四機納めている。複葉機で、つるぎ号と名付けられたものである。
 しかし、時期尚早で二年後に閉鎖され、跡地は飛行場原と呼ばれたが、後に工場地帯となり、現在は北運動公園や住宅地等になっている。

 
 
 

1874年岡山生まれの岸氏はドイツ留学の経験があり、台湾総督府や満州鉄道の付属病院長を経て

築地で耳鼻咽喉科の病院経営をしていました。

飛行機に手を出すようになったのは40歳を過ぎてからで、

鉱山所有者でもあった彼は材料も含めて国産の航空機用エンジン製作に挑戦しています。

陸軍省から当時定評のあったルノーの空冷V8エンジンの廃品を払い下げ、これを手本にしての開発でした。

当時は国産エンジンの製作は非常に困難で、民間でこれに挑戦する人はほとんどいない状態でした。

この時から約20年後の1933年、あのトヨタ自動車ですら創立当初はうまくエンジンを製作することが出来ず、

苦労に苦労を重ねたのだそうです。

 

岸氏のエンジン製作は困難を極め、 2トン半の銑鉄と3トンを超えるコークスを使用し、

300個のシリンダーを無駄にした末の完成でした。

1800回転のエンジンはお手本のルノー製より軽量の160kgで70馬力を発生させました。

1915年1月にはエンジンの稼働に成功、公開しています。

1916年には岸式つるぎ号(モーリス・ファルマン機が原型)を発表しました。

その翌年の1917年には荒川沿岸の畑を16万円で買い取り、工場を建設しました。

しかもすごいのが、ここは単なる飛行機工場なだけでなく、

5万坪とも6万坪とも言われる敷地に風洞、電機溶鉱炉、乾燥室等を備えた「赤羽飛行機製作所」を併設、

工場では、機体だけでなく発動機の製作まで手掛け、その上飛行士の養成所まであったのだそうです。

まさに国内航空の一大拠点といえる陣容でした。

同年12月には飛行場の開所式が挙行されました。

中島飛行機が群馬県の尾島に飛行場を作ってテスト飛行を開始したのが1918年ですから、それよりも早い時期です。

岸式は、その後第六号機まで開発され(第六号機は結局未完成だったらしい)、1919年には陸軍への納入もあったのですが、

経営不振で1919年に閉鎖されてしまいました。

跡地は放置され飛行場原と呼ばれていましたが、やがて工場地帯となり

現在では当時を偲ぶものは何一つ残っていないのだそうです。

 

D20_0029.jpg

 

D20_0030.jpg

「飛行場があった場所」としていろんな資料に登場する「北清掃工場」。


      東京都・岸飛行場跡地      

岸飛行場 データ
設置管理者:赤羽飛行機製作所・岸一太氏
空港種別:陸上飛行場
所在地:東京都北区神谷
座 標:N35°46′30″E139°43′43″
面 積:59.5ha
(座標はグーグルアースから)

沿革
1915年01月 エンジン稼働に成功、公開
1916年   岸式つるぎ号(モーリス・ファルマン機が原型)を発表
1917年10月 赤羽飛行機製作所竣工
    12月 飛行場開所式
1919年   敷地内に溶鉱炉完成。従業員は200名を超える工場となる
1920年   資金繰り悪化から賃金不払い発生
1921年   赤羽飛行機製作所閉鎖。

関連サイト:
東十条銀座商店街/岸飛行場    

この記事の資料:
歴史の中の中島飛行機
東京史跡ガイド17 北区史跡散歩


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コメント 19

鹿児島のこういち

個人で所有の空港ですか?岸さんって人は、先祖代々の地主さんだったのでしょうか?土地持ってますね(^O^)
空を飛びたいって夢のある御仁だったのでしょうねo(^-^)o
by 鹿児島のこういち (2010-06-14 05:58) 

yatoho

とりさんさん おはようございます。

記念碑がありそうですけど、ないんですね。

by yatoho (2010-06-14 09:30) 

Takashi

前の勤務先が、清掃工場のそばでした。
今は住宅ばかりで、とても飛行場があったとは思えないですね。
by Takashi (2010-06-14 12:34) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。

■鹿児島のこういちさん
同感です。
よっぽどのお金がないと実現できませんよね。
資料には医者とありましたが・・・。

■yatohoさん
そうなんですよ~。
あってもいいとおもうんですけどね~。
ここはyatohoさんのお力で是非1つm(_ _)m

■Takashiさん
そうだったんですか(@Д@)
とても飛行場という雰囲気じゃないですね~。
by とり (2010-06-14 20:11) 

雅

個人でそれだけの飛行場を作ってしまうなんてすごいですよね。
夢とお金の両方をもっていたんでしょうけど、その夢を実現させてしまうなんて。
by (2010-06-14 23:48) 

me-co

しかし、ホントに医者だったのかな?というくらい本格的ですね@@;
でも、たった2年しかもたなかったとは、あまりにもあっけない!・・・夢を続けることは大変なことですT。T
by me-co (2010-06-15 00:16) 

tooshiba

一民間人(ご先祖様は旗本とか大名の重臣かもしれませんが)でも大きな仕事が出来た!昔は良かった・・・赤羽が原っぱだったんだもんなあ。
今は100億円持っていたって飛行機どころか空港すら作れませんものね(特に大都市近郊)。。。
夢がないですね。。。

ところで、遠征からお帰りになったのですか?( ̄ー+ ̄)キラーン
by tooshiba (2010-06-15 00:31) 

guchi

そうそう、とりさんお帰りの様子なので
北海道の土産話、乞うご期待ですね~
by guchi (2010-06-15 08:51) 

miffy

個人空港や飛行機を作ってしまうなんてスゴイですね~
自家用機を持ってる人はお医者さんが多いそうですが、昔も今もお医者さんが一番お金をもってるって事でしょうか・・・
by miffy (2010-06-15 16:12) 

seiren

医師が飛行場を作るとは凄いですね(@@)
規模も半端じゃないですね!
by seiren (2010-06-15 21:17) 

an-kazu

個人で!
こんなところに!!

今回もオドロキでした(^^)
by an-kazu (2010-06-15 21:17) 

春分

卵屋が飛行機会社を作るくらいだから、医者がつくったって・・・いいのか悪いのか。
それにしても、まったく存じませんでした。ときどき歴史には陽を当てないとなぁ。
by 春分 (2010-06-15 21:20) 

とり

■雅さん
>夢とお金の両方
すごい話ですよね~。

■me-coさん
本当に医者なの?? って感じ、確かにしますね^^;
当時の航空機メーカーにとって、顧客はほとんど軍に限られるわけで、
軍とどう付き合うか、軍からどう見なされるか、というのが非常に重要だったみたいです。
当飛行場の史料を見ていると、なんとなくその辺に経営不振の原因があるように感じます。

■tooshibaさん
>100億
隔世の感ですね~。(o ̄∇ ̄o)
戻ってまいりました<(`・ω・´)

■guchiさん
九月下旬から「北海道強化月間」の予定です^^

■miffyさん
>お医者さん
やっぱりそうなのですか(@Д@)
そういえば、以前自家用機に載せて頂いた時、何人かのパイロットさんとご一緒したのですが、
お医者さんいました。

■seirenさん
すごいですよね~。(@Д@)

■an-kazuさん
>個人で! こんなところに!!
同感です。オイラも初めて知った時には何かの間違いかと思いました。

■春分さん
>卵屋が
そう考えるとあまり違和感ないかもですね^^
by とり (2010-06-16 06:45) 

ジョルノ飛曹長

なんと!ここは飛行場があったんですね。^^;
仕事で何度か前を通りましたが・・・まったく気づかず・・・
by ジョルノ飛曹長 (2010-06-16 13:01) 

とり

■ジョルノ飛曹長さん
おお、仕事で通りましたか。
「こんなとこにあったのか!!」と驚くような場所ですよね。
by とり (2010-06-17 06:38) 

コスト

軍でも企業でもなくて、個人設置ってのはすごいですね。
23区の外れのほうとはいえ、5万坪ってすごい広さですよね(驚)
しかも、技術者でなくて医師ってのが謎ですねー
by コスト (2010-06-28 22:52) 

とり

■コストさん
本当にこの岸さんて方、ナゾです。
どんな医者だったんでしょう???
by とり (2010-06-29 18:41) 

岸 洋一

私は一太の孫です。一太の出生の地に住んでいます。私も一太の 事を調べています。
by 岸 洋一 (2011-03-16 13:53) 

とり

■岸 洋一さん
コメントありがとうございます。
偉大な祖父ですね。
どうぞ調査が進みますようにm(_ _)m
by とり (2011-03-17 05:54) 

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