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茂原海軍航空基地跡地 [├空港]

   2012年7月訪問、2017/8/21:更新  

無題6.png

千葉県‎茂原市‎にあった「茂原海軍航空基地」。

上図の通りでたくさんの戦跡が現存しているのが特徴です。

当飛行場跡地についてはan-kazuさん から資料を頂きました。ありがとうございました m(_ _)m

■「日本海軍航空史」(終戦時)の中で、当航空基地の滑走路長さについて、(1,200m×80m)x3 と記されていました。

■防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。
地名:茂原 建設年:1943 飛行場長x幅 米:1000x80 1200x80 1200x60 主要機隊数:小型6.5 主任務:作戦 隧道竝ニ地下施設:居住2750平米 指揮所、電信所、燃料庫、爆弾庫、倉庫、工業場 掩体:小型隠蔽17

■また、同じく防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地位置図」でも、当航空基地の滑走路長さについて、
100x8500  80x1,200 と記されていました。  

■また、防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調
には、「(昭18建)」とありました。 

D20_0149.jpg

・A地点。通称1,000m道路。
滑走路跡が道路として残っています。
当初は1,200m滑走路2本、1,000m滑走路1本を建設する予定でしたが、終戦時は当1,200m1本のみだったのだそうです。

・B地点。荻原小学校。基地本部がありました。(写真なし)

・C地点。茂原中学校。兵舎がありました。(写真なし)

・D地点。東郷保育所。基地の東端で、ここに面した道路は海軍道路と呼ばれています。(写真なし)

 

某資料によりますと、周辺には有蓋掩体壕が10基現存するとのことだったのですが、オイラは7基しか見つけられませんでした。

以下発見できた掩体壕を順番に。

 

①の掩体壕:

私有地の奥にあり、オイラがお邪魔した時は撮影許可を得ることができませんでした。(写真なし)

 

・②地点の掩体壕:

D20_0134.jpg

 

・③の掩体壕:

D20_0131.jpg

周辺に案内板も設置してあり、最も見つけやすい掩体壕。

説明版がありました。

掩体壕(全文)
昭和十六年(一九四一)太平洋戦争が始まる直前の九月に、木崎、谷本、町保、新小轡、本小轡内の約一五〇戸と東郷小学校及び寺社等が強制移転を命じられ、茂原海軍航空基地(戦略上は、海軍二五二航空隊)の建設が始まった。基地本部跡はいま荻原小学校、兵舎跡は茂原中学校であり三井東圧化学(株)東側の約一,000m道路は当時の滑走路跡で、基地の東端はいま東郷保育所の前の通称海軍道路と呼ばれている当たりである。この掩体壕は航空機を滑走路から誘導路を走らせてきて壕に納め、敵機からの攻撃に備えた壕である。二〇数基築造された中では最大の規模で、総面積三六五㎡、壕の中の面積二八六㎡、高さは最大が六m七0cmある。戦時中で基地造成の人手が不足していたため当時の長生中学校や茂原農学校の生徒、周辺の人達等を動員して急いで造った。築造方法は、土砂を壕の形に盛って転圧して筵や板を並べ、その上に金網や鉄筋を張ってセメントを流した。その厚さは三〇~五〇cmと均等ではないようである。また計算通りのセメントが間に合わず後から付け足したのも観察できる。五〇余年経た今日、茂原海軍航空基地を語る数少ない遺跡である。 平成七年八月十五日 茂原市教育委員会

 

・④の掩体壕:map 

私有地にあり、オイラがお邪魔した時は撮影許可を得ることができませんでした。(写真なし)

 

・⑤の掩体壕:

D20_0139.jpg

r293から少し中に入りますが、すぐ目の前で見ることができます。

 

・⑥の掩体壕:

D20_0145.jpg

⑤の掩体壕の所から見えます。r293からもよく目立ちます。

 

・⑦の掩体壕:

D20_0146.jpg

茂原海軍航空基地跡地:map 


      千葉県・茂原海軍航空基地跡地     
当飛行場について詳細に調べたサイトが多数あります

茂原海軍航空基地 データ
設置管理者:旧海軍
空港種別:陸上飛行場
所在地: 千葉県‎茂原市‎東郷‎
座 標:N35°26′20″E140°18′40″
面 積:240ha
滑走路:
磁方位:18/36
(座標、磁方位はグーグルアースから)

沿革
1941年07月 建設決定
    09月 着工。東郷地区の約150戸と東郷小学校及び寺社等が強制移転を命じられる
1943年   建設
1945年08月 終戦。飛行場は戦後復員軍人を中心に開拓される
1950年   朝鮮戦争時に米軍基地となる
1954年   海上自衛隊の航空基地とする案が出るが賛否両論あり。
       滑走路の存在が飛行場復活に繋がるとして市が取り壊し。その後、東洋高圧工業(現三井化学)等が進出。

関連サイト:
国土地理院 1947年2月当時の写真(USA M50 82) (「同意する」をクリック→戻る→再度■をクリック)
ブログ内関連記事■       

この記事の資料:
「日本海軍航空史」(終戦時)
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地位置図」
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 横須賀鎮守府所管航空基地現状表(昭和二十年八月調)」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調


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