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玉野原飛行場/滑空場跡地 [├空港]

   2012年9月訪問 2019/6/17更新  

無題6.png
撮影年月日1948/05/21(USA M1072 119) 
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

山形県尾花沢市に戦時中「玉野原飛行場」という海軍の航空基地がありました。

防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 舞鶴鎮守府航空基地現状表」
の中で、当飛行場について一部次のように記載がありました。

基地名:玉ノ原 建設ノ年:1945 飛行場 長x幅 米:800x80方向E-W 主要機隊数:小型 主任務:退避 

また、防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調

にも、「(昭20建)退避」とありました。 

あった。ということはネットに出ているのですが、正確な場所の情報がありません。

2011年10月に現地にお邪魔して、地元図書館で郷土資料を調べたのですが、

尾花沢市史の中で、「玉野村(現・尾花沢市の一部)に玉野原飛行場があった」と記されていました。

そして尾花沢市史下巻に当飛行場の位置を知る手掛かりとして次のように記されていました。

「玉野原飛行場は(中略)玉野原にある神社を東端とし、徳良湖に向かってほぼ西方に建設された。」

で、航空写真で見た感じ、当初は先頭のグーグルマップの黄色マーカーの位置から徳良湖に向かう部分が、
 
最有力候補でした。
 

現地にお邪魔してこの周辺に神社はないかと探し回ったのですが、残念ながら発見できませんでした。

ここから徳良湖に向かっては滑走路建設地として申し分ないように見えますが、

この背後はすぐきつめの斜面が広がっており、とても滑走路を造るという雰囲気ではありません。

オイラの説通りだとすると、やっぱり神社がこの周辺になくてはなりません。

神社が移されたり無くなったりする可能性もあるわけですが、確率としては非常に低いはず。

「この周辺の地割が昔から飛行場っぽいから」というのがオイラの仮説の根拠だったわけですが、

どうも間違いである可能性が強くなりました。

仕方なく周辺を走り回ったところ、小さな神社を発見したのでした(赤マーカー)。

周辺は一面の田んぼが広がっており、障害物、勾配はありません。

ここなら、「神社を東端とし、徳良湖に向かってほぼ西方に建設された。」という条件を全て満たすことができます。

ということで、市史にある情報からすると、ここなんじゃないだろうか。

と思ったのですが、それ以上のことは分からず、以降「多分ココ」という状態だったのでした。

 

その後、2019/4/27に 山形県民様から情報を頂きました。

神社の近隣で農作業をなされている方によりますと、神社の位置付近を起点に滑走路があったのだそうです。

また、戦後はすぐに開拓され滑走路は田畑になったとのことでした。

ということで、教えて頂いた昭和23年撮影の航空写真で、神社周辺に滑走路っぽい地割を探しました。

滑走路のサイズは、前出の防衛研究所収蔵資料の中で、「800x80方向E-W」とあります。

航空写真をよ~く見ると、東西方向にそれっぽい地割が幾つかあり、

その中から幅80mに最も近いものを選んで(実際は87mになったけど)、

長さ800mの線を引いたのが先頭のグーグルマップです。

おおよそこんな感じだったのではないかと。

詳しくは、山形県民様の (2019-04-27 22:01) のコメントをご覧くださいませ。

山形県民様どうもありがとうございましたm(_ _)m  

2019/6/17追記:

山形県民様からまたまた情報頂きました。

以下ほぼそのまま引用させて頂きます。

尾花沢市史 下巻に加え、「玉野村史」と「昭和の玉野」から得られた情報として、玉野原飛行場は昭和20年の春に、神町海軍航空隊の飛行機を隠す場所や水上飛行機の練習場として建設が始まった。
当時の玉野原はレンゲツツジや小楢の茂る原野だったので建設も容易ではなかった。
7月頃には完成し、神町飛行場から「赤トンボ」と呼ばれた複葉の練習機が10機ほど飛んできて配置され予科練兵の訓練が始まった。
8月10日には釜石沖から飛び立ち神町飛行場と真室川飛行場を襲撃したグラマンF4U戦闘機が玉野原飛行場や尾花沢市街地も銃撃した。
うち1機が尾花沢市毒沢の雑木林に不時着し、パイロットが捕虜となった(最終的に米軍に引き渡された)
玉野原全体が戦後に水田として開拓されたが、飛行場跡地を開拓地として割り当てられた人は開田するのに大変苦労した。

多数の新情報を頂きましたが、水上機の練習場としても建設されたんですね(@Д@)

ということは、徳良湖に桟橋とかスベリが建設されたりしたんでしょうか。

徳良湖は長さ約1,000mありますので、大きさ的には申し分ないかと。

山形県民様どうもありがとうございましたm(_ _)m   


前出の市史によりますとこの飛行場は、

「昭和20年の春に神町航空隊の飛行機を隠す場所として徳良湖の東に建設された」。

と記されています。

戦争末期に退避用に作られた滑走路は終戦と共にすぐ元の畑に戻されるケースが多いですから、

終戦から20年近く経て滑走路が跡形もなくなっていても不思議はありません。

 

D20_0046.jpg

緑マーカー地点。

徳良湖方向。多分この方向に滑走路があったのではないかと。

 

以下、市史等にあった関連情報を。

・「尾花沢防空監視所」について。

現在の長根山野球場(徳良湖の西約1.5km)に尾花沢防空監視所がありました。

陸軍の指導により昭和17年前後に建設されました。

具体的な運営は尾花沢町が当たり、担当職員は役場兵事係が行いました。

監視所の運営経費については、福原村の昭和20年度決算書に「尾花沢監視所負担金262円」とあり、

尾花沢町周辺の町村が負担金を出していたことが分かります。

 

・空襲について。

「8月10日 尾花沢市の玉野原滑空場(旧玉野村袖原地区)と三二連隊福原演習場が狙われ」

という記述があります。

付帯施設のない小規模の飛行場でしたが、それでも敵の目を免れませんでした。

当飛行場が「滑空場」として記されています。

 

・建設について。

飛行場建設に際して「丹生川より小砂利を背負い」 という記述があります。

丹生川は滑走路の北約2kmにあります。

建設に際し相当な苦労があったことが偲ばれます。

今でも滑走路跡地を掘ると、周辺と比較して不自然に小砂利が出てくるのかもしれません。


      山形県・玉野原飛行場跡地     
市史によりますと、当飛行場に格納庫のような建物はなく、飛行機は付近の杉林の中に隠していて、そのための道路が設けられたのだそうです。また、市史に出てくる「神町航空隊」とは現在の山形空港の所属で、玉野原飛行場の南南西約22kmにありました

玉野原飛行場 データ
設置管理者:旧海軍
空港種別:退避用飛行場
所在地:山形県‎尾花沢市‎二藤袋‎
座 標:N38°35′52″E140°27′17″
滑走路:800m×60m
方 位:09/27?
(座標、方位はグーグルアースから)

沿革
1942年 この頃尾花沢防空監視所建設
1945年 春 玉野原飛行場建設
     7月頃完成
     8月10日 空襲

関連サイト:
ブログ内関連記事       

この記事の資料:
尾花沢市史
尾花沢市史下巻
玉野村史
昭和の玉野
防衛研究所収蔵資料「海軍航空基地現状表 内地之部 舞鶴鎮守府航空基地現状表」
防衛研究所収蔵資料:5航空関係-航空基地-77 終戦時に於ける海軍飛行場一覧表 昭35.6.29調


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コメント 9

鹿児島のこういち

神社の名前がわかればいちのにね(^_^;)でも、ただ神社と書かれていたのなら、その土地で一番賑わってたか、まったく寂れてたかのどちらかだったりして(^o^)
by 鹿児島のこういち (2012-11-09 05:45) 

me-co

いやー凄い執念ですねぇ(^^;)ここ、銀山温泉に行くために周辺を通ったことがありますが、田んぼか?すいか畑か?くらいしか印象がないですよ@@
しかし、これだけとことん調べてもまだ謎の部分がある?
そこが醍醐味なのでしょうね…きっと!
by me-co (2012-11-09 22:13) 

セバスちゃん

なるほど。
ちょっとした旅情ミステリーですね。
以上、内田康夫さん好きな僕でした。
by セバスちゃん (2012-11-10 09:42) 

tooshiba

よく調べられました。

既に語り部となるべきご老人(先の大戦時に10代後半以上)に三途の川を渡られた方が多くなり、「団塊世代~もう少し上が父母や祖父母等から聞いた話」という形での伝承になっていく中で、各飛行場/空港の跡地に関しての多方面からの検証は。
いつも申し上げていることですが、兄さんの記事たちは、後世に残すに値する資料としての価値を持っていると思います。
by tooshiba (2012-11-11 11:17) 

とり

皆様 コメント、nice! ありがとうございます。m(_ _)m

■鹿児島のこういちさん
そうなんです。神社の名前さえ分かればハッキリするのですが。。。
地元の方にとってはこれまでずっと何十年も当たり前過ぎることだったのでしょうけども。。。

■me-coさん
オイラはこんなにアチコチご存じのme-coさんの方がビックリです^^
調べても分かんないことだらけ。という感じですね~。

■セバスちゃんさん
内田康夫さん好きなのですか。
残念ながらオイラは見たことないんですよ。
今度本屋に行ったらちょっと見てみます。

■tooshibaさん
過分のお言葉、恐縮です。
オイラはそんな大それた意識はないんですけど、
もしちょっとでもお役に立つことがあればよいのですが。。。
by とり (2012-11-12 06:46) 

山形県民

はじめまして。別ソースから尾花沢に飛行場があったという情報を聞き調べる中でこちらのサイト様を拝見させていただきました。

最終的に現地を訪問し、現地の方々に伺った結果、管理人様の記述通りの座標に位置する小さな神社の位置付近を起点に滑走路があったそうです。神社の近隣で農作業をなされている方より伺いました。
ただ、戦後はすぐに開拓され滑走路は田畑になったとの事でした。国土地理院の地図「USA-M1072-119」、昭和23年の空中撮影ではC地点から西方面に田畑になっていないような荒蕪地状の場所が見受けられました。
by 山形県民 (2019-04-27 22:01) 

とり

■山形県民さん
非常に貴重な情報をありがとうございます。
地元の方が仰るのでしたら間違いないですね。
昭和23年の航空写真の存在も、この記事を作っていた時には気が付きませんでした。
後日記事修正させて頂きます。
本当にありがとうございました。
by とり (2019-04-29 04:56) 

山形県民

管理人様

コメントを取り上げて頂きありがとうございました。参考程度ではありますが、尾花沢市史 下巻に加え、「玉野村史」と「昭和の玉野」から得られた情報を追記させていただきます。

玉野原飛行場は昭和20年の春に、神町海軍航空隊の飛行機を隠す場所や水上飛行機の練習場として建設が始まった。
当時の玉野原はレンゲツツジや小楢の茂る原野だったので建設も容易ではなかった。
7月頃には完成し、神町飛行場から「赤トンボ」と呼ばれた複葉の練習機が10機ほど飛んできて配置され予科練兵の訓練が始まった。
8月10日には釜石沖から飛び立ち神町飛行場と真室川飛行場を襲撃したグラマンF4U戦闘機が玉野原飛行場や尾花沢市街地も銃撃した。
うち1機が尾花沢市毒沢の雑木林に不時着し、パイロットが捕虜となった(最終的に米軍に引き渡された)
玉野原全体が戦後に水田として開拓されたが、飛行場跡地を開拓地として割り当てられた人は開田するのに大変苦労した。

との事でした。今後も他の空港などに関する貴重な情報を拝見させていただくことを楽しみにしております。

by 山形県民 (2019-06-16 12:37) 

とり

■山形県民様
その節は貴重な情報をありがとうございました。
おかげ様で、やっと当飛行場の作図をすることができました。
今回も貴重な情報をありがとうございます。
たくさんの文献から該当部分を探すのは大変な手間だったと思います。
記事に反映させて頂きます。
本当にありがとうございました。
今後も基本的には毎週月曜日に未公表の国内の飛行場を北から順番に
アップしていく予定です。
宜しければお付き合いくださいませ。

山形県内の飛行場につきましては、
升形飛行場跡地、寒河江の滑空場跡地は既にアップ済みなんですが、
滑走路位置がキチンと絞り込めておりません。
また、升形と共に神町飛行場の補助飛行場として新庄市郊外に建設された「竹形飛行場」
があったと、一部のサイト、書籍等に出ているのですが、
山形県立図書館に問合せをしても、資料に出てこず不明とのことでした。
これらにつきまして、何か情報お持ちでしたら、ご教授頂ければ幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願い致します。
by とり (2019-06-17 07:19) 

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