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立野ヶ原不時着場跡地 [├空港]

   2011年10月、2018年5月訪問 2018/5/19更新  

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撮影年月日1947/11/06(USA M632No2 257)  
出典:国土地理院ウェブサイト(地理院データを加工して作成) 

富山県富山県南砺市にあった「立野ヶ原演習場」。

この演習場内に不時着陸場が設定されていました。

第1地区から第3地区まで3つあり、先頭のグーグルマップの通りで非常に変わった形をしています。

防衛研究所収蔵「水路部 航空路資料第4 昭和19年6月刊行 中部地方飛行場及不時着陸場」の中で、

当不時着陸場についての非常に詳細な記述がありましたので、一部引用させて頂きます。

第10 立野原陸軍演習場(昭和17年11月調)
管理者 立野原陸軍演習場主管。
位置 富山県西蠣波郡東太美村字上野
 (城端町の西方約4粁、36°31′0N,136°52′0E)。
種別 不時着陸場。
本演習場は富山平野の南部に突出せる丘陵上の自然の原野にして金沢師団管下砲兵の実弾射撃場なり。従来不時着陸場として使用せられつつある地区又は適当と認めらるる地域は演習場の略北西部にして俗稱宮野原、有田原及南部市野沢と称する3地区なり即ち第1及第2地区は道路を隔てて南、北に隣接し、第3地区は之より北方約1粁に在り前2者に比し其の面積狭小なるも着陸場として極めて好適なるを以て民間機屢飛来すと言う。

着陸場の状況
高さ
 平均水面上185米(第1地区)、160米(第2地区)、125米(第3地区)。
広さ及形状
 第1地区は長さ北北東-南南西700米、幅300米の略長方形、第2地区は長さ北東-南西650米、幅最大350米の略凸字形、第3地区は長さ東西350米、幅南北200米の短形地域なり(付図参照)。
地表の土質
 3地区とも地下30糎迄は黒土、以下は赤色粘土なり。
地面の状況
第1地区 着陸地域内は一般に起伏多く且北方に向け1/40の下り傾斜を成す。地盤は概して堅硬なり。西側寄りの南北に通ずる道路は地肌を露出し降雨続きの際は泥濘となる。一面に山芝密生し諸處に丈低き萩及萱類発生す。一帯に傾斜地なるを以て排水良好なり。着陸地域の略中央部に高さ約10米の独立樹2本及高さ2.7米の演習用「トーチカ」等の障碍物あり。冬季(12月-翌年2月間)は積雪50糎に達す。
第2地区 地表は一般に緩やかなる起伏あるを以て着陸の際は充分なる注意を要す。南西-北東に向け1/30の下り傾斜を成す。一面に山芝密生し夏季は伸長1.5米に及ぶ萱及雑草の草株諸所に点在す。排水概ね良好なるも南西側の道路は降雨の際軟化す。
第3地区 3地区中最も好適地にして民間機屡着陸すと言う。着陸地域内の中央北は凸凹起伏なく概ね平坦なるも南側は東西方向に長き窪地あり、又東方に向け極めて緩除なる下り傾斜を成す。地盤は堅硬にして一面に良好なる山芝密生し地表極めて平滑なり。降雨後の排水概ね良好なるも場内を通ずる各道路は軟弱となる。

場内の障碍物
 第1地区の略中央部に高さ約10米の独立樹2本及高さ2.7米の演習用「トーチカ」あり。第2地区の南端付近に高さ5-10米内外の針葉樹点在す。第3地区の南側に東西に長き窪地あり。
適当なる離着陸方向
 第1地区は北北東又は南南西。第2及第3地区は東又は西を可とす。
離着陸上注意すべき点
 第1及び第2地区は場内に障害物存在し且周囲に高樹木あるを以て可及的第3地区を使用するを可と認む。

其の他
第1及第2地区は地表起伏に富み且周囲に障害物多く過去に於て飛行機の離着陸せしことなきも極力障害物に注意せば低速度航空機の不時着陸場として使用し得べし。
第3地区は着陸地域極めて狭隘なるも最近民間機飛来せる際何等の故障なく離着陸せりと言う。

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第1地区
 

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第2地区

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第3地区


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おまけ。

演習場に「監的壕」が2つ残っています。

まずはその1つ、「丸山監的壕」。

南砺市桜ヶ池スケートパークからぐねぐねの山道を登る途中にあります。

監的壕とは、大砲の着弾効果を見るためのものです。

「なんで覗き窓をこんなに小さくするんだろう??」

というのが第一印象だったのですが、隣の説明版を読んで合点がいきました。

監的壕(全文) 眼下の桜ヶ池から北へ約3キロメートル、東西約2キロメートルに亘って広がる丘陵が立野ヶ原で、先土器時代から縄文時代を中心とする遺跡が点在する県下有数の埋蔵文化財包蔵地帯である。日清戦争が終わり、翌年の一八九六(明治二九)年に砲兵装備を有する金沢第九師団が設置され、陸軍省はその射撃演習場としてこの立野ヶ原に着目した。同年五月から四回に亘り一四七万坪、当時の南山田・太美山・東太美各村にまたがる一帯を買収して「立野ヶ原陸軍演習場」が設置され、砲兵のみならず諸兵科の演習地とした。特に砲兵の実弾射撃は、飛野(現在の自動車学校のあたり)を拠点として実施され、この地丸山周辺を被弾地としていたので着弾効果を観測するための「監的壕」がいくか建造された。この監的壕はその最後の構造物で、昭和一〇年代の遺構であり、現在演習場としての当時を偲ぶ唯一の遺産である。 平成十一年三月 城端町教育委員会

オイラの弟は元陸自隊員でして、一時測量班にいたのですが、まさにこの砲関係の測量でした。

測量班は風向、風速等諸々のデータを大砲側に送るのだそうです。

そして大砲、標的、測量班の三つは必ず三角形の形に配置して安全を確保するのだそうです。

そりゃそうだ。と思っていたのですが、案内板によるとこの監的壕って、こっちに向かって撃ってくるんですね(恐)

そういう発想がなかったオイラは説明を見てからは、逆にこんなにたくさん窓つけて大丈夫なのかと心配になりました。

まあわざわざ監的壕を標的に撃ったりはしないんでしょうけども。

日本軍最強伝説(汗)

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木が邪魔でアレですけど監的壕からの風景。

 

2つ目。

立野原監的壕。

こちらは水田の一角にあります。

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こちらも説明版がありました。

(全文)南砺市指定 史跡 立野原監的壕(目玉監的壕・めだまかんてっこう) 平成二十六年四月九日指定

 日清戦争後の明治31年(一八九八)、金沢市に砲兵装備を有する陸軍省第九師団が設置され、その演習場として立野原一帯
が買収され、450ヘクタールを越える大型演習場となりました。砲兵の実弾射撃は飛野(現 南砺自動車学校付近)を拠点
として実施され、約4キロメートル先の立野原周辺を着弾地としており、砲弾の命中率・性能効果を観察するために監的壕がいくつか設けられました。当初は土坑であったものが昭和3年頃に近代的で強固なコンクリート製に改修されました。構造は半地下式、監的室は円形型、ドーム屋根で導入路がついています。この監的壕は、その形状から地元では「目玉監的壕」と呼ばれ、保護されてきました。かつて立野原が軍事演習場として利用された歴史を今に物語る貴重な存在です。
 平成二十七年十月 南砺市教育委員会

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立野原一帯のあちこちに碑文がありました。

軍命で立ち退きを余儀なくされたこと、戦後開拓をしたこと等、当時の苦労が偲ばれます。



      富山県・立野ヶ原不時着場跡地      

立野ヶ原不時着場 データ

管理者:立野原陸軍演習場主管
空港種別:不時着場
所在地:富山県‎南砺市‎立野原東‎、立野原西
不時着陸場:
第1地区
座 標:N36°30′45″E136°51′32″
標 高:183m
第2地区
座 標:N36°30′59″E136°51′58″
標 高:167m 
第3地区
座 標:N36°31′43″E136°52′23″
標 高:123m
(座標、標高はグーグルアースから)

沿革
1987年 立野ヶ原演習場設置

関連サイト:
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この記事の資料:
現地の説明版
防衛研究所収蔵「水路部 航空路資料第4 昭和19年6月刊行 中部地方飛行場及不時着陸場」 


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